放送作家 高田文夫さん
メディアなどでお馴染みの芸能人、有名人だって、一人の人間として病気や心身の不調と向き合っています。苦しかった経験や、病によって気付かされたことなど、率直な思いをお聞きします。
一病息災
[放送作家 高田文夫さん]心肺停止(1)2週間、生死をさまよう
放送作家で、26年続くラジオ番組のパーソナリティー、真打ちの落語家。お笑い界のご意見番が3年前に突然、不整脈で倒れた。
心臓が4回止まり、8時間、人工心肺装置で命をつないだ。2週間も意識不明で生死をさまよい、70日間も集中治療室にいた。リハビリで大病を克服し、復帰した。
団塊の世代で、東京都渋谷区出身。生まれた時、日本史関係の出版社を経営する父は、知人の丹羽文雄と酒を飲んでいた。人気作家の名をいただき、名前が決まった(文夫は芸名)。
「ませた子で、小学生の頃から、おとなの笑いの世界が好きだったんだよ」。三木のり平やクレージーキャッツのテレビ番組に、笑いころげた。林家三平を見たくて、寄席にも行った。
学芸会で座長として自作コントを演出し、クラスで演じて人気者になった。小学校の卒業文集に「大きくなったら青島幸男になりたい」と書いた。早くも将来の仕事を決めていた。
大学では放送学科で学び、落語研究会に所属。もう一人のあこがれの放送作家、永六輔に、弟子入り志願の分厚い手紙を書いた。「お友達としてならおつきあいしましょう」と断られた。
後日談だが、2人は昨年、「幻の師弟初のふたり会 横を向いて歩こう」を開いた。2人の病名などから「パーキンソンVS心配停止」(配は、しゃれ)。闘病も笑いのネタにしていた。
高田 文夫(たかだ ふみお)さん 放送作家 66
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