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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん

編集長インタビュー

岩崎航さん(2)「『病魔』と闘う 医学の力と生活を支える力」

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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん


 病気の進行で食がだんだん細くなり、21歳の時に、鼻から管を入れて栄養剤を送り込む「経鼻経管栄養」を始めた。

手元に置いたタッチパッドでパソコンを操作する岩崎航さん

 「食事が生きるための義務となり、食べ物を前に2~3時間苦しむというおかしなことになっていました。少しずつ体重は減り、おいしさも感じられなくなっていく。ご飯というのは、本来おいしく、楽しく食べるものなのに、それができない。無理やり入れると戻しちゃうんです。経管栄養を始めて、食べなくてはならないという苦痛からやっと解放されました。そうすると、やっぱり楽です。生きるための栄養は経管栄養で確保して、あとは好きなものを食べればいい。今でもお茶やコーヒーなど水分は飲めますし、チョコレートとかアイスクリームとか溶けるものは食べることができます」

 その1年後には、呼吸機能が衰えて、鼻に着けたマスクから空気を送り込む人工呼吸器を使うようになる。今の機械は、以前使っていたポンプ音の大きい旧型とは違い、ほとんど音もない。29歳の時には、経管栄養のチューブを自分で鼻に入れることができなくなり、胃に開けた穴から人工栄養を入れる「胃ろう」を作った。その管理が必要になったのをきっかけに、訪問看護に加え、訪問診療と訪問介護も受けるようになった。今は、平日はほぼ毎日、時には休日もヘルパーが来て、経管栄養や排せつなど、日常生活全般の介助を受ける。週1回、訪問リハビリも利用する。

 「それまでは外部の人が日常的に家に来ることはなかったので、少しずつ時間を増やして、私も家族も慣れていきました。家族だけで担っていたことを、訪問介護の方に担って頂くようになってきました。両親も70代になっているので昔のようにはいきませんし、近くに住む姉も時々来て、助けてくれています」

 「在宅医療や訪問介護を本格的に使い始めてからは、医療や介護面での不安がだいぶん軽減されました。それまでは、大きな病院に通院して経過観察をし、何か問題があれば、大きな病院に行っていた。今も重い症状が出れば入院することもあるのですが、だいたいのことは在宅医療でカバーできます。自宅で点滴もできますし、経管栄養剤も以前は父が車を運転して、薬局に取りに行っていましたけれども、在宅医療を受けるようになってからは、薬剤師さんが医師の処方を基に来て下さる。具合が悪くても、電話一本入れれば、先生につながりますし、24時間いつでも必要があれば来て下さいます。私も家族もすごく安心感があります」


 創作や調べもの、友人らとのやり取りは、パソコンの設置を工夫している。ベッドに横たわったままでも見られるように画面を金属のアームで頭上に掲げ、板状の入力装置「タッチパッド」をわずかに動く指でなぞってカーソルを操り、文字を書いたり、インターネットを使ったりする。

 「治療や経管栄養で解決できることもあると思うんですけれども、パソコン環境がなかったら、こんな風に書けてはいないと思います。ネットが発達したことでメールもできますし、ブログ、ツイッターなど様々なSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もできますし、出版するということになって、スカイプ(インターネット電話)も使い始めました。そうすると、私のような体でも、東京にいる編集者とも会議ができるわけですね。色々なことを道具で補うことで、可能性は広がります。それがつながりの全てではないですけれども、こういう道具を使ってつながることが、創作活動にもつながっている。道具の技術の発展は、これからもどんどん進んでいくと思います。今までできなかったことができるようになれば、さらに可能性は広がると思うんですよね」

 筋ジストロフィーやALS(筋萎縮性側索硬化症)など、進行性の難病を抱えると、人工呼吸器や胃ろうを着けるべきか悩む患者もいる。

 「この状態で生かされて、本当にこの人のためになっているのかと、自問せずにはいられない極限的な状況があること。それは自分なりに無視していないつもりです。その問いは、ある意味で周りの支援する人たちの真摯しんしさの表れでもあると思います。そして、当事者も、周りに迷惑をかけてしまうのではないかという思いから、こうした医療や介護の助けを借りることにためらいを感じてしまうことがあるのも事実です。ただ、色々と困難な状況はあると思うんですけれども、『点滴着けてまで』とか、『呼吸器を着けてまで』と言う前に、一人の人間が前向きに生きる力を失うことのないように、もう少しできることはないのかと言いたいんです」


 「例えば、もうちょっと人の手助けとか、道具の手助けがあれば、もうちょっと実現できることがあるかもしれない。私も呼吸器や経管栄養で楽になりましたが、そういう道具は、集中治療室にいる人が使うようなものでもあるけれど、生活の場に持ち込んで使うこともできる。そういう見方もあるということを知ってもらいたい。できないことは山のようにあるけれども、こういう助けを借りれば、こういうことが実現できるということを色々なつながりで知れば、本人も周りの支援者も、また違った考えが生まれてくる可能性があると思うんです。医療だけでなく介護も、道具も制度の助けもフルに活用して、知恵を尽くせば、何かができる可能性、生きていて良かったと思える可能性、そして生活を取り戻すということができるのではないかと思うんです」

 岩崎さんは、治療しても回復の見込みのない患者が終末期を向かえた時に、本人の事前の意思表示で延命医療を差し控えることを可能にする「尊厳死法案」の議論にも、高齢者の終末期に対して経管栄養や人工呼吸器の使用は慎重になるべきでないかという議論にも、不安や疑問を感じているという。

 

 「私のような病気を持つ患者は、どうしても家族に負担をかけるのは申し訳ないという気持ちがあり、こうした患者の生活を支えるための医療や介護などの社会資源や、生活の質を上げる機器などの情報は十分行き渡っていない。そうすると、患者は、生き続けるための機器や人工栄養を使いたくても言えなくなってしまう可能性があります。また、『終末期』をどこに置くかは、個人の生命観に左右されると思いますが、社会全体に、『動けなくなったら、ものを食べられなくなったら、生きていても仕方ない』と思い込む傾向が、無意識のうちにもあると思います。医師の中にもそういう人はいるでしょう。そうした人たちは、まだできることがあるのに、『終末期』を早めてしまわないかという懸念が拭えません。終末期の苦痛を減らしたいという気持ちは理解できますが、現状で、そんな法案が通過したり、社会通念が広まってしまったりすれば、生きたいのに生きられない人を増やすことになるのではないかと恐ろしさを感じます」

 iPS細胞(人工多能性幹細胞)などによる再生医療の研究は進むが、現時点で筋ジストロフィーの治療は難しい。10代の頃、岩崎さんは、「病を治さないと自分の人生は始まらない」という考えに、苦しんでいた。

 「病を否定してしまうと、自分を消すしかない。自分を全否定してしまうんです。でもそれでは始まらない。それでは、いつまでたっても自分を受け入れられない。自分じゃどうしようもできないものを追い求めたら苦しくなるし、追い込まれていく。闘病という言葉がありますけれども、私は『病』と『病魔』は別のものだと考えています。私にとって闘病とは、病そのものと闘うことではなく、生きようという気持ちを奪う『病魔』と闘うこと。病気っていうのは……、これまだうまく言葉にできないんですけれども、いやなものなんですね。本当に。病を生じると、不自由さが表れたり、治療の苦しみもある。そこで打ちのめされてしまう。途方にくれる状況も生まれてくる。そういう生きようという気持ちを弱め、もうだめだという気持ちにならせる力。それが私の表現する病魔」

 「病魔は、自分の人生、与えられた命を生きようという内部の力を押しつぶしてしまう。そうするともう手も足も出なくなって、存在自体を消し去りたくなる。そうすれば周りの状況も全部解決するし、こうやって苦しんでいること自体もなくなるという思いが湧いてくることがある。私も今でもそういう思いを抱くことがあるんですね。理屈ではない。本当に追いつめられてしまうと、そういう気持ちになる。筋ジスの色々な症状は確かに簡単なものではないので怖いですが、それよりもっと怖いのは病魔。今では、死にたいとまでは思いませんけれども、そういうものと闘っていく、打ちっていくというのが闘病ではないかというのが私の思いです」

 病は、ならなければならないに越したことはない。治れば治るに越したことはない。しかし、岩崎さんは、病はマイナスかというとそうは言い切れない、と言う。

 「見た目だけで言えば、病気のせいで悪いこともあり、しかも進行性と言われる病気で、どんどん悪くなっていく体なんですけれども、それがなかったら得られなかったものがあるんです。病気を抱えながら生き、絶望のどん底にいたからこそ見えてくるものがあり、それを詩に書いているわけですから、それによって一つずつ広がるものがある。そして今の生きる手応えにつながっている。ということは、やはり病気はマイナスだけでは捉えられないんです」


 「病はゼロにはできないし、病を否定しないということと、治療法があれば治る、医学の力で解決するということ。その二つは矛盾するようで、私の中では矛盾していない。五体満足で、健康な体というのは素晴らしいことだと思います。もし医学の力で治療法が実現できるならどんどん実現したらいいと思うし、実際に少しでも回復する手だてが発見されたら、私も治療すると思う。だけど、そのことと、病が必ずしもマイナスというわけではないということは、私の中では矛盾しないです。だから、医学の力で病気を解決するという努力も本当に大事だし、その一方で病を抱えながら生活する、生活を支えていく努力というのも本当に大事だと思う。その二つが両輪になって、病魔と闘うことができる。元通りにはならないのかもしれない。すべては取り戻せないのかもしれないけれども、病の技術的な解決と同時に、生活を取り戻す工夫をしていくことはとても大事なことだと思います」

続く

【略歴】岩崎 航(いわさき・わたる)  1976年、仙台市生まれ。本名は岩崎稔。3歳で発症、翌年進行性筋ジストロフィーと診断される。現在は胃ろうと人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で両親と暮らす。2004年秋から、五行歌形式での詩作を始め、06年、『五行歌集 青の航』を自主制作。13年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を全国出版し、話題を集める。公式ウェブサイト「航のSKY NOTE」で新作を発表中。


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編集長インタビュー201505岩永_顔120px

岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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8件 のコメント

中年会社員様 ありがとうございます

岩永直子

中年会社員様 ご返信ありがとうございます。なるほど。そうですね。私も中年会社員様と近い考えだと思うのですが、こうした考えを十分理解したうえで、岩...

中年会社員様 ご返信ありがとうございます。なるほど。そうですね。私も中年会社員様と近い考えだと思うのですが、こうした考えを十分理解したうえで、岩崎さんは、それでも不安や疑問を抱くと訴えていらっしゃいます。
 記事中にも岩崎さんの言葉で紹介していますが、医療や介護支援が十分行き届いておらず、「動けなくなったら生きていても仕方ない」と考える傾向が社会にある現状で、終末期医療の差し控えが拡大解釈されていくことに恐怖を抱かれています。私はこれは重要な指摘だと思っています。
 現在同時に、高齢者の終末期医療差しひかえについて訴えていらっしゃる宮本顕二・礼子夫妻のインタビューも掲載中です。私はこちらも重要な主張だと考え、両者の考えは十分な配慮さえあれば、必ずしも対立するものではないのではないかと思っています。丁寧な議論が必要な問題です。もしまだご覧になっていなかれば、両方をじっくり読んで、考えて頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

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中年会社員

老人の場合は、目が見えないのに無理やり眼鏡をかけて、食べられないのに口をこじ開けて入れ歯を入れるようなものじゃないかと思うんですが

老人の場合は、目が見えないのに無理やり眼鏡をかけて、食べられないのに口をこじ開けて入れ歯を入れるようなものじゃないかと思うんですが

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中年会社員様 ありがとうございます

岩永直子

コメントをありがとうございます。なるほど、確かに、眼鏡も入れ歯も、見る、食べるという生活の根幹を支える道具ですね。そういう自然な受け止め方が広が...

コメントをありがとうございます。
なるほど、確かに、眼鏡も入れ歯も、見る、食べるという生活の根幹を支える道具ですね。そういう自然な受け止め方が広がるといいと思いました。重要な視点をありがとうございました。「老人の終末期医療は違う」とのことですが、どう違うと思われるのか教えて頂けますか?

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