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佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」

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学会ボツ企画を救済する

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――精神医療を根底から変えるかもしれない「オープンダイアローグ」とは――

 医療系学会の学術総会といえば、第一線の医師らが最先端の治療法などを報告し合い、患者のためになる医療の拡大を目指して技術を高め合う場だと認識している。2015年6月4日から3日間、大阪市で開かれる「第111回日本精神神経学会学術総会」も、さぞや有意義な場になるのだろう。だが、開幕前に気になる出来事があった。今や世界的に注目され、日本でも急速に関心が高まる患者にやさしい治療「オープンダイアローグ」(開かれた対話)のシンポジウム企画案が、あっさり却下されてしまったのだ。

 北欧フィンランドの西ラップランドで生まれたオープンダイアローグは、患者、家族、医師、看護師らが同じ部屋に集い、全く対等な立場で治療ミーティングを繰り返す手法だ。薬を飲むか、否かについても、医師ら医療者が決定権を持つのではなく、全員で意見を出し合い、より良い道を探る。すると、患者自身が自分の言葉で思いを語るようになり、自己決定力を取り戻していく。このミーティングを繰り返すことで、統合失調症の症状が表れていた患者も、多くが薬を使うことなく治り、社会復帰を果たしていくという。

 短時間の初診で早々と「統合失調症」のレッテルを貼り、「脳の病気で一生治らないから薬を飲み続けなさい」と強要する日本の精神医療とは大違いだ。この企画、ゴミ箱に放り込まれたままではもったいないので、提案した精神科医の斉尾武郎さんに、企画の意図やオープンダイアローグの展望について語ってもらった。

 ――オープンダイアローグについて分かりやすく教えてください。

 「精神疾患を初めて発症した人たちの自宅を医療機関のスタッフが訪れ、患者さんや、患者さんの親しい人たちと一緒に『開かれた対話』を行う治療法です。1980年代、フィンランドの西ラップランド地方で開始され、すでに約30年にわたる実績があります。英米、日本など、世界各地でこの方法を取り入れる動きがあります。日本でオープンダイアローグが話題になったのは、2013年後半から2014年前半にかけて、ドキュメンタリーフィルム『オープン・ダイアローグ』が各地で上映され、その人道主義的な治療態度が世間の大きな共感を呼んだからです。この動画は、今はYouTubeで見ることが出来ます。オープンダイアローグには、有効性や作用の仕組みの解明が、いまだ不十分であるという問題はありますが、患者に治療を強制しない『開かれた姿勢』が魅力です」

 

 ――米国や英国の取り組みはどうなっていますか。

 「米国では、この方法の有効性を示すべく実験的な研究を行う動きがあるようですが、実行はまだ先のようです。英国では、この方法論を医療従事者等に教えるセミナーもあるようです。世界中で注目度が高まっています」

 

 ――日本で特に関心を示しているのはどのような人たちですか。

 「医学書院の『精神看護』誌の特集が看護師に広く読まれていますし、患者さんたちがインターネットで話題にしているのをよく見かけます。医師をトップとした医療現場のヒエラルキーがもたらす閉塞感、絶望感といったものを、オープンダイアローグという民主的な治療法が解決してくれるのではないかという期待感が大きいのだと思います」

 「日本で広めるにあたってのネックは、日本の精神医療の世界に、真に『開かれた心(オープンマインデッド)』を持つ医療従事者や福祉関係者がほとんどいないということです。この方法が話題だからといって安易に飛びつくのではなく、その背景を含め、よくよく検討した上で、日本でも地域を限ってフィールド実験(社会実験)してみることが大切だと思います。その際、この方法のおかげで『初めて発症した急性精神病の人が本当に入院せずに済んだのか』『向精神薬の使用量は減ったのか』などの量的なデータを収集することがとても重要です」

 

 ――統合失調症の症状のある人まで、なぜミーティングで治るのでしょうか。

 「実のところ、オープンダイアローグで治ったとされているケースには、急性一過性精神病性障害などの予後の良い病気が含まれているのではないかと思っています。しかし、こうした予後の良い精神病性障害の有病率は高いものではなく、これだけでは十分にオープンダイアローグの効果を説明できません。やはり、統合失調症の初発の人の重症化や再発を防いでいる可能性はある。となると、オープンダイアローグというフランクな対話の方法論、もしくは民主的で『開かれた』心やすい療養環境が、急性精神病にかかった人たちのデリケートで傷つきやすい精神状態を保護し、さらには心を癒やす働きを持っている、と考えてもあながち間違いではないでしょう」

 「例えば、急性精神病で混乱のさなかにある患者さんがここにいるとします。従来の治療法であれば、少なからず、患者さんの不安な心理状態への配慮の足りない、無理強いをして治療する場面もありました。いわば、コミュニケーション不足のまま治療をするからこそ、患者さんの不安をあおってしまうという側面もあった。しかし、オープンダイアローグは、決して患者さんに無理強いせず、周囲の人たちが患者さんの言うことを否定せず、徹底的に支持的に振る舞うのです。自分の心身が正体不明の不調に襲われている患者さんにとって、これほど心強いことはないのではないでしょうか。何があっても周囲の人たちが慌てず騒がず、おおらかに受け止めてくれる治療環境。後は患者さんが自然に治っていくのを見守っていれば良い。それがオープンダイアローグの最大の重要ポイントだと思います」

 

 ――極めて重要で、ホットなテーマなのに、日本精神神経学会はなぜボツにしたのでしょう。 今回は会場に限度があり、多くのシンポジウムを不採択にしたとのことですが。

 「過去の学術総会では、企画を褒められることはあってもボツにされたことはありませんでした。ボツの理由は不明で、不採択という知らせだけが届きました。今回の学術総会のシンポジウムなどを改めて一覧してみますと、オープンダイアローグのような『治療共同体』『環境療法』『社会療法』にまつわるテーマはまったく取り上げられていません。代わりに、明らかな誤診例なのに、治療がうまくいったかのようにまとめている著名精神科医の講演などが予定されているので驚きます。被害を受けた患者さんは今、私が診ています。この大先生は、患者が来なくなったから治ったと勝手に思い込んでいるのでしょうね」

 

 ――オープンダイアローグにあって、日本の精神医療に欠落しているものは何ですか。

 「人間の健康は『身体(生物学的次元)』『心理』『社会(環境)』の3つの要素から成り立っています。それぞれに目を向けながら、精神疾患を含む『病』を治していくべきなのに、日本の精神医学界では『社会(環境)』の側面がおざなりになっています」

 「オープンダイアローグで私が特に注目しているのは、『治療共同体』という考え方です。治療的に有用な環境のもとで、精神疾患を癒やしていこうという考え方で、安らげる環境や規律ある環境が人を癒やすという思想が根底にあります。そのことが過去に、精神科病院の収容主義を正当化する理由に使われたこともあります。患者の自立性や自律性を損なうしき父権主義につながったという批判もあり、治療共同体という考え方は、この20年以上、日本では学問的なテーマとしてほとんど取り上げられていませんでした。しかし、現代の精神医療が薬漬け医療(精神疾患は脳の病気であるから薬で調整するという考え方)として批判されて久しく、かといって、心理療法(精神疾患は心の病なのだから、心を人と人との対話で治そうという方法)も、恩恵にあずかる人はそう多くはありません。今こそ、精神疾患を『社会の病』として考えるべき時なのではないでしょうか」

 「オープンダイアローグは、病院という『壁』のない地域に開かれた新しい『治療共同体』なのではないかと私は考えています。この方法を、集団心理療法の一種として考える人もいると思いますし、それはそれで正しいでしょう。しかし、精神医療は今こそ、時と場所が人を癒やすのだということを正面から考えてみるべきなのではないでしょうか」

 

 ――日本でも、かつては京都の岩倉などに精神疾患の治療共同体があったようです。明治以降、なぜそのような共同体が消えたのでしょうか。

 「治療共同体は、高尾山の麓とかにもあったわけです。そこで、修験道(山伏の世界)の影響で治療として滝行などをやっていた。民間療法ですね。そうした高尾山の精神医療は、その後、八王子近辺の精神科病院の乱立につながるわけです。京都の岩倉も、明治時代に岩倉癲狂てんきょう院ができ、治療共同体は変貌していきました」

 「結局、近代医学が輸入されて、医学の中心が『病院』という建物の中に移行したから、地域医療は必然的に崩壊したのではないかと思います。西洋医学が輸入されたため、伝統的な医学であった民間療法の良いところが、非科学的だという理由で完全に否定されてしまったのです。科学的医学というのは実験的医学なわけで、病院に患者を集めておいて、次から次へと治療という名の実験をすることで、科学的な知識を深めてきたわけです。その利点もあるけども、当然のことながら、病院内で疫病が流行はやったり、人権が無視されたり、ということが起きていた。それは精神科以外でもそうだったわけで、むしろ精神科のほうが、フランスのピネルをはじめとする、人道主義的な医師が影響力を持っていた時代もあったのです」

 

 ――今後、オープンダイアローグの考え方は日本でどのように受け入れられていくと思いますか。

 「日本では今後、オープンダイアローグのブームが訪れ、講演会やシンポジウムが目白押しになると思います。日本精神神経学会も、扱わざるを得なくなるでしょう。その時に必要なのは、理想を語るだけではなく、患者さんにとっての癒やしの環境というものを本気で考えていくことだと思います。それこそが、今の薬漬けと、テクニックばかりを優先した心ない心理療法を変えうるラストチャンスになるでしょう」

 「しかし、オープンダイアローグが商業化されて、全国各地でこの方法のテクニック面を重視した研修会が行われるようになれば、いずれは家元制度のようになり、本場での研修を受けた人間が偉くて、その人の考えた通りのオープンダイアローグ以外は間違っているという教条主義がはびこるのが目に見えています。オープンダイアローグで重要なことはテクニックではありません。心を病んだ人には、傷ついた心を癒やすにふさわしい環境が必要で、その環境とは取りも直さず、病める人を囲む人間関係の優しさなのだと思います。そのこと抜きでは、オープンダイアローグは形骸化するでしょう」

 フィンランドの一地方でひっそりと熟成されてきたオープンダイアローグ。まだ日本では情報が少なく、よくわからない部分が多いものの、閉塞感の極みにある日本の精神医療を劇的に変えるきっかけになるかもしれない。今後も注目していきたい。

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佐藤光展(さとう・みつのぶ)

読売新聞東京本社医療部記者。群馬県前橋市生まれ。趣味はマラソン(完走メダル集め)とスキューバダイビング(好きなポイントは与那国島の西崎)と城めぐり。免許は1級小型船舶操縦士、潜水士など。神戸新聞社社会部で阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、2003年から医療部。日本外科学会学術集会、日本内視鏡外科学会総会、日本公衆衛生学会総会などの学会や大学などで講演。著書に「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)。分担執筆は『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ)など。

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