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岩崎航さん(1)「暗闇の灯火 それは五行歌」

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筋ジストロフィーを病みながら、生きる喜びを歌う詩人、岩崎航さん


 筋肉が徐々に衰える難病「筋ジストロフィー」を3歳で発症し、人工呼吸器や身の回りすべての介助なしでは生きられない詩人、岩崎航さん(39)。詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社 写真・齋藤陽道)に収められた五行歌は、生きる喜びと生き抜く覚悟を歌い、読む者に力を与えてくれる。「多く失ったこともあるけれど、今の方が断然いい。絶望のなかで見いだした希望、苦悶くもんの先につかみ取った『今』が、自分にとって一番の時だ」と書く岩崎さん。命や医療について考えるインタビュー連載は、この人から始めたい。

◆◆◆

詩を紡ぎ、「生きる手応えを感じている」と語る岩崎航さん(撮影・冨田大介)



 仙台駅からタクシーで約15分。初夏の青空が広がる5月中旬、岩崎さんが両親と暮らす郊外の一軒家を訪ねると、ベッドに横たわった姿で、「初めまして」とほほ笑んでくれた。枕元の人工呼吸器から、24時間空気が送られているが、喉を切開するタイプではなく、鼻マスク式なので、会話は普通にできる。ベッドサイドには、ヘルパーの女性。平日は毎日、午前9時から午後6時ごろまで、胃ろうから1日に3回入れる経管栄養剤の世話など、生活すべての介助を受ける。

 「病気になっていなかったら、というのは想像もつかないのですけれども、この病を外すと私の詩は成り立っていないと思うんですね。病を抱えながら生きることで感じてきたこと、形作ってきた考えが、私の詩の大事な部分になっているんです。医療者や介助者と関わることも、病を持って生まれたから。そういうすべてがきて、収斂しゅうれんされていって、今の私があるんだと思うんです」

 岩崎さんが、転びやすいことに両親が気づいたのは、3歳の時。翌年、進行性筋ジストロフィーと診断された。七つ上の兄も、その前年に同じ病の診断を受けていた。

 幼い頃、両親は病気について岩崎さんに詳しく説明しない方針を選んだ。病気を意識し過ぎて、消極的に生活することになってはいけないという思いからだ。症状はゆっくりと進行し、子どもの頃は、「足が遅い」「運動が苦手」と思うことはあっても、病気や障害を意識することはほとんどなかった。素早く動けないことから、ガキ大将にいじめられることはあったが、友達と遊び、同じ学校に通い、当たり前の少年時代を過ごした。

 6歳の頃、中学1年になっていた兄が学校で転倒し、自力で歩けなくなった。同じ病の先輩である兄の姿に間近で接することは、岩崎さんに、将来、自分の身に起きてくることへの心構えのようなものを与えた。中学3年の時に、立ち上がろうとして足を踏ん張っても、どうしても動かなくなった。それでも、自分が歩けなくなったことを静かに受け止めたという。

 だが、歩けなくなって、生活は大きく変わる。仙台市内の通信制高校に入学。月数回の通学や、散歩、年数回の受診のほかは外出することが減り、半ば引きこもるような日々が始まった。

 「必然的に人との接点が少なくなり、心も沈むんですね。テレビを見たり、色々なものを耳にしたりすると、同世代の人たちは楽しそうに毎日を送っていると想像し、羨んでしまう。彼らは自由に出歩けるけれど、自分はそんな自由は得られない。どうしても人と比べ、自分はできない、人が羨ましいという気持ちばかりに覆われて、すごく感傷的になっていました。誰にも相談はせず、一人で抱えていましたね」

 そんな毎日が続いた17歳のある日、夕方、一人になった部屋で、発作的に、命を絶とうとす る。手に取ったナイフを見つめているうちに、涙があふれ、次の瞬間、思いがけず、強い感情が湧き上がってきた。

 「このまま死にたくない、もういっぺん生きてみようという気持ちがぐわーっと湧いてきたんですね。怒りというと語弊があるかもしれませんが、そういう激しい感情が自分の内部から湧いてきたんです。どん底まで落ちたことで、理不尽な運命に反抗する力というか、エネルギーが湧いて立ち上がれたと思うんですが、なぜなのかは説明がつかない。普段は自覚できませんが、生きようという、命そのものが持っている力があるんじゃないかと思うんですね」


 この時、自分を生の方に引き戻した力は何なのか、岩崎さんはその後も繰り返し考え続けた。家族や近しい人とのつながり、自殺したら、大事な人たちが救いようのない悲嘆に暮れるのではないかと考えたことも、自殺を思いとどまらせたのではないかと。

 「自殺を考えた時でさえ、まるっきり他者と断絶していたわけじゃないと思うんです。一人で 悶々もんもんとしている時は、自らが壁を作って孤立していたわけですが、家族や友人らとの関わりはあった。たとえ、細くても、狭くても、そういうつながりがあった。そういうものがいざというときに光を放ってくれたと考えたりもするんです」

 その後も、悩みはすっきり消えたわけではなかった。気持ちは日々揺れ動いたが、徐々に、病を抱えて生きる自分を受け入れていった。10代の終わりには、「病を持っていることも含めて自分」と、自分の障害を恥じることも、人を羨むこともなくなった。

 20代に入って、管で鼻から栄養剤を送り込む経管栄養を始め、人工呼吸器も使い始めた。そのストレスもあってか、20代前半は、原因不明の吐き気に4年近く苦しんだ。それが落ち着いた25歳の時、「自分にできることを見つけたい。このまま寝たきりで、何もせずに一生を終えたくない」と考えるようになる。それが、創作のきっかけだった。

 「特に詩が好きだとか、得意だとか、昔からたくさん読んできたとかということもなかったんです。あまり立派でない動機なのかもしれませんが、こういう寝たきりの体で何ができるか考えると、今まで創作もせずに生きていた中で、何をすればいいのか正直手がかりすらない。短い詩、言葉だったら書けるんじゃないかと、その時無謀にも思ったんですね(笑)。あれできない、これできない、才能がないとそういうことばかり考えていると、何もできないですよね。とりあえず、まあやろうと決めたんです。それでやってみた」

 短い詩の代表的なものは、短歌や俳句。短歌や俳句、種田山頭火のような、五七五でない自由律俳句と色々試み、魅力や奥深さにも気づいたが、どうもしっくりこない。

 「短歌や俳句では季語もあるし、どうしてもそのことにこだわるから書けないということもあったと思います。外に出る機会が少ないから、想像はできますが、実感としてやっぱり季節を感じるのがなかなか難しい。短歌や俳句のルールの中では言い足りないし、書ききれない。自分の思いなり、感情を乗せきれていないというもどかしさもありました」

 試行錯誤を重ねていた2004年秋頃、詩の中では比較的新しい「五行歌」というジャンルに出会う。

 「それを書き始めたら、わーっと、こう、詩が形になったんです。ああこれだ、という手応えがあった。自由に、自分の呼吸で、自分固有のリズムで書ける。5行で書くという以外は、なんの決まりもなく、自由に普通の言葉で書けばいい。それが私に合っていて、そういうものに出会えたというのは幸運でした」

 初めて書いた五行歌。


 「創作を始めたことで、ゆっくりと心が動き出してきました。心が動き出す中で、人と関わって生きたいという気持ちも強まり、実際の行動にも結びついていったのではないかと思います」

 本名が「みのる」の岩崎さんは、「わたる」というペンネームを決めた。

 「航海の航、航空の航。サン=テグジュペリの書いた『夜間飛行』を読んで感動があったからです。闇のような、真っ暗で何も見えない中、たどり着く灯台のようなあかりも、帰り着く先もわからなくなってしまう状況もある。そういうことが書いてあって、ほとんど自分の人生と一緒だと思ったんですね。迷ってしまって、光も見えない時もあるけれども、それでもやっぱり飛び続けていく、生き続けていく。だから航。人生の大海原も、山坂も渡っていく。自分の人生を渡りきっていこうという思いを込めました」

続く

【略歴】岩崎 航(いわさき・わたる)  1976年、仙台市生まれ。本名は岩崎稔。3歳で発症、翌年進行性筋ジストロフィーと診断される。現在は胃ろうと人工呼吸器を使用し、仙台市内の自宅で両親と暮らす。2004年秋から、五行歌形式での詩作を始め、06年、『五行歌集 青の航』を自主制作。13年、『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)を全国出版し、話題を集める。公式ウェブサイト「航のSKY NOTE」で新作を発表中。


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5件 のコメント

胸が熱くなりました

コスモス

航様の五行歌を読んで凄く感動しております。 難病を受け入れ思いを詩に託されているお気持ちが ぞくぞくと伝わってきて涙が出ます。 私も夫と息子に先...

航様の五行歌を読んで凄く感動しております。
難病を受け入れ思いを詩に託されているお気持ちが
ぞくぞくと伝わってきて涙が出ます。
私も夫と息子に先立たれ残された田畑・家屋の修理等
高齢のため背負いきれず、足腰の痛みに悩まされております。
僻地ですので買いてもなく埋もれて行くしかないとおもってい居ります。
中々自分の境遇を受けがたいで居るときこのブログに出会い凄く励まされております。私も少しばかり五行歌を勉強していますので、すぐに引きつけられました。
青の航 五行歌集を求めたくてアマゾンで検索しましたが売り切れで在庫がありません。買い求める事は出来ないでしょうか。
航様授かった命どうかお大事になさって下さいませ。貴方様のいのちは縁ある皆様の心に永遠に生き続けていくでしょう。
本当に有り難うございました。

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東京在住様、ありがとうございます

岩永直子

ご感想、ありがとうございます。心を病まれ、孤立した思いの中で岩崎さんの詩が届いたこと、取材した記者として嬉しく思います。ぜひ、岩崎さんの詩集『点...

ご感想、ありがとうございます。心を病まれ、孤立した思いの中で岩崎さんの詩が届いたこと、取材した記者として嬉しく思います。ぜひ、岩崎さんの詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』も読んでください。きっと東京在住様の心に寄り添ってくれる1冊になると思います。

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言葉が出ない

東京在住

岩崎さんの経験の重さに、その経験から培われた言葉の重さに、厳粛な気持ちになりました。私も心を病む者で、長年誰も助けてはくれないし、私の苦しみをわ...

岩崎さんの経験の重さに、その経験から培われた言葉の重さに、厳粛な気持ちになりました。私も心を病む者で、長年誰も助けてはくれないし、私の苦しみをわかるはずはないという、ひとりぼっちの絶望を感じてきました。それでも、そこから始めるしかないのだと、少し勇気づけられました。大事なことを気づかせてくれて、ありがとうございました。

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