日野原重明の100歳からの人生
介護・シニア
八芳園、花見のはずが花より団子
2015年4月5日のイースター(復活祭)に私は聖路加国際病院のチャペルでの礼拝に出席して、礼拝後に挨拶を済ませていったん自宅に帰りました。そして、夕方4時半からは招待を受けていた目黒の八芳園でのお花見の宴に出向きました。あいにく小雨が降りだし、桜も散り始めていました。
八芳園といえば東京都港区白金台に1万2000坪(4万平方メートル)の庭園で有名です。もともとは江戸幕府旗本の大久保彦左衛門の屋敷でしたが、幕末のころ、松平薩摩守の下屋敷を経て、大正時代には日立製作所の創業者久原房之助の手に渡りました。
かねて中国大陸進出を主張していた久原氏は、清国(中国)で革命を企てて日本に亡命してきた孫文を八芳園の壺中庵にかくまったというのです。壺中庵の貴賓室には隠し戸があり、非常の際には孫文はその床下から地下通路に抜け、同じ白金台にある明治学院大学のあたりまでたどり着けるようになっており、その抜け穴がいまも残されているというのです。
八芳園でのご馳走は大変なものでしたが、招待してくださった方の次男のお嫁さんが私たちのために歌ってくださったソプラノ独唱もまた素晴らしいものでした。というのは、この方は元宝塚歌劇団の娘役の歌い手として活躍しておられたのですが、入団8年目に念願の舞台で歌うことができたので、それを最後に引退されたというのですからもっともです。
少し遅れてバレエの練習を終えた2人のお孫さんが挨拶に見えましたが、お花見を口実にして和やかで楽しい日曜日の夜のひと時を過ごしました。そして夜の8時過ぎ、雨の中を自宅に帰りました。
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