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ケアノート

コラム

[笠井咲さん]落語会で驚きの回復…こん平さん、生死の境まで

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「全国の路面電車で落語会やりたいね、師匠!」「いいね!」――。笑顔を取り戻したこん平さん(右)に寄り添う咲さん(東京都内で)=高橋はるか撮影

 テレビ番組「笑点」の人気者だった落語家林家こん平さん(72)は難病を患ったうえ、2013年には糖尿病の悪化で生死の境をさまよいました。でも、今では月1回の落語イベントに顔を出すほど元気です。介護する次女の笠井咲さん(47)は「生きがいを得たことが最高のリハビリになりました」と話します。

多発性硬化症

 

 父が倒れたのは04年8月22日、日本テレビ「24時間テレビ」に出演した直後でした。「師匠が意識もうろうとしている」とお弟子さんから電話を受けたのです。

 父は母と弟との3人暮らしですが、母は1998年に脳出血で倒れ、その後も糖尿病を患っています。2歳違いの妹と私が通いで介護を続け、やっと慣れたところでした。

 知らせを受けて病院に駆けつけましたが、車いすに座った父はまるで別人でした。

 右半身が硬直し、声も出せないこん平さんは緊急入院。05年1月、大学病院で「多発性硬化症」と診断された。脳や脊髄の炎症で手足がまひする難病だ。2月にはリハビリが始まった。

 声が出なくなったのは体が動かなくなったからです。声の大きかった父ですが、元々声帯に異常があり、体を大きく動かすことで大声を張り上げていたのだそうです。

 妹や父の門弟と交代で、誰かが絶えず父のそばにいるようにしました。何しろ父は病院嫌い。かすれ声で「こんな所にいる場合じゃない。仕事に行くんだ」と言って困らせるのです。

 退院は05年5月。でも、仕事に復帰できる体ではありません。家に戻った父は口数も少なく、当初は笑点が始まるとテレビを消していました。

糖尿病が悪化

 

 その後、咲さんは心も体も安定してきた父と一緒に、介護講演会で全国を回るなどの活動を始めた。だが、今度は糖尿病が悪化する。左足の壊死えしが進み、13年には入院生活に逆戻り。心臓も弱っており、同年6月には心肺停止に陥った。

都電落語会で若手の小咄を聞くこん平さん(左)(2月、都電荒川線で)

 命を取り留めた父は、壊死した足の指を切断し、13年10月に退院しました。自宅で両親の介護が始まり、私たち家族は役割分担を決めました。

 介護は妹がメインで、月~土の朝と昼。私は月、水、木の夕方と日曜の朝からです。それぞれ食事や入浴などの介添えをします。通院の付き添いは妹が母、私が父です。弟や一番上の姉も手伝ってくれています。家族以外の手も借りました。ヘルパーが週3回。在宅のリハビリや訪問看護も頼みました。

 それでも過酷でした。倒れてから右手が不自由だった父は、左足まで患い、昨年4月までは寝たきりでした。日々の排せつの介助や、通院のために車いすに乗せるのは重労働。父は父で、おむつをはかせるのが遅いと不機嫌になるし、呼びかけても首を振る程度で、ほとんど言葉を発しません。やってもやっても成果の見えない日が続きました。

元気に「やるよ」

 

 咲さんは昨年5月、イベント企画会社を設立した。その初企画が「都電落語会」。東京の下町を走る路面電車、都電荒川線の車両に高座を設け、乗客に落語を楽しんでもらう趣向だ。

 都電落語会を父抜きで開くことは、最初から考えていませんでした。とはいえ、外に長時間出るのは久々のことですから、直前に「本当に大丈夫?」って念を押しました。そしたら、父は「やるよ!」と元気に答えました。

 第1回は昨年8月22日。ちょうど10年前に父が倒れた因縁の日です。父は着物姿で参加しましたが、それからなんです。驚異的に回復したのは。9月には自分でトイレに行くようになり、要介護度が4から3になりました。今では、ベッドから起きてリハビリ用の靴を履き、ご飯を食べ、薬を飲み……すべて自分です。階段も一人で上ります。お風呂はお湯を私がかけますが、体も髪も自分で洗います。

 態度も変わりました。介護に来るとニコニコと迎えてくれます。一緒にテレビで笑点を見ていると、「面白いこと言うね」と笑います。

 都電落語会は月1回開催し、父は毎回参加しています。笑点時代の持ちネタ「1、2、3、チャラーン」と発車合図を出すのが父の仕事。これに生きがいを見つけたのではないでしょうか。着物を着た瞬間、スイッチが入ったように顔が変わるのです。

 「高座復帰」は父の、というより私の夢です。今は正座も無理ですが、リハビリで克服できるはず。そうやって障害者の方々も頑張っているんです。だから、目標は東京パラリンピックが開かれる2020年。この頃には都電落語会で小咄こばなしぐらい披露してくれると私は確信しています。(聞き手・植松邦明)

 

 かさい・えみ 1967年、東京生まれ。司会業などを経て、2014年5月、「EMIプランニング」と「林家こん平事務所」を設立、それぞれ代表を務める。自らの介護体験を語る講演に落語を組み合わせ、介護に追われる人々に笑いを届けるイベントを企画中。子ども2人を育てる母でもある。

 

 ◎取材を終えて こん平さんと都電落語会で会った。まだ足元が頼りないが、客からの写真撮影の求めに笑顔で応じる姿に回復ぶりを感じた。医師のお墨付きがあったとはいえ、1回目の時はこん平さんを外に出すことに反対もあった。結局、大勢の視線を浴びる「晴れ舞台」こそが、芸人には一番の薬だったのだろう。ならばいつか、娘の用意した舞台に立つ、いや、座ることを目指してほしい。同じ難病と闘う人の励みにもなるだろう。

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