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中村祐輔の「これでいいのか!日本の医療」

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二つの医療事故に見る医療の課題

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 群馬大学医学部付属病院の内視鏡手術事故(事故という呼び方が適切かどうかは疑問だが)と国立国際医療研究センター病院での造影検査事故に関する報道を目にした。事故で一括ひとくくりに扱われているが、両者の間には、その背景となる要因に根源的な差がある。後者のような人為的ミスは医療情報システムの開発で回避可能だが、前者のような事故の回避には医療従事者の意識改革が不可欠だ。

 国立国際医療研究センター病院での過失は、亡くなられた患者さんや家族は本当にお気の毒であるし、患者さんのご冥福をお祈りしたい。この事故は、知識不足から起こった単純なものであり、医師は非難されて当然であるし、二度と繰り返されないことを願っている。しかし、医学や医療に関する情報が膨大になり過ぎて、すべてを頭の中に詰め込むことなどできるはずがない。

 類似した名称の薬があれば、うっかり間違えて記載することもあるだろう。だから、事故が起こっていいという意図は全くない。人間の記憶能力の限界を前提に再発予防に対応する必要があることを強調したい。

 このような不幸な事故を防ぐには、情報技術の活用が不可欠である。

 病名や検査法は診療記録に記載されているはずである。薬剤名や検査薬名も当然記載されている。それらを照合して、問題があれば、警告を発すると同時に処方されないようなプログラムなど、今の情報技術をもってすれば簡単にできるはずである。しかし、現実にはこれをするには、これまでの利権という大きな壁がある。

 日本国内で統一化した電子カルテシステムができないのは、病院内にあるいろいろな電子情報(診療記録、検査記録=生化学的な検査結果や画像記録=、薬剤の処方記録)などが、別々のシステムで運用されていることが多いからである。このような状況では、ひとつの病院内でも統合するのが難しい。

 日本国内で医療情報システムを統一する動きもないわけではないが、どの企業のシステムが採択されるかによって、大きな利権が関わってくるので一筋縄でいかない。しかし、医療の安全性を高めるには乗り越えなければいけない壁である。ぜひ、国の医療改革の一環として大鉈おおなたをふるい、だれでも、どこでも、安全な医療を受けることが可能なシステムを確立してもらいたい。


なんのために医学部へ?

 それに対して、群馬大学医学部の問題は、医療そのものの根源的な課題、「医療従事者としての良識・良心」の欠如を露呈したといえる。記事を目にする限り、これはもはや事故ではなく、事件といっていい性質のものではないかと思う。患者さんに対する人間愛があるならば、このような事件は決して起こらなかったと思うし、どこかの時点で歯止めがかかっていたはずだ。決して個人や診療科の問題で片付けるのではなく、医療の根源に関わる課題であるという認識に基づいた対応が必要だ。

 特に重要なのは、医学部や医療に関連する学部に入学する人たちの意識の問題だ。私が大学に入学した頃に同級生などと話をしたことがあるが、多くの人は、何を目指して医学部に入学したのかという目的意識をしっかりと持っていた。自分のためにだけではなく、「患者さんのために、医学に貢献するために」という意識があった。

 しかし、20~30年前から、「偏差値が高いので医学部への進学を勧められた」という学生が増えてきた。彼らのなかには、なぜ医学なのか、なぜ、医師になりたいのかという明確な考えも、どんな医師になりたいのかというビジョンもない人が少なくない。こんな若者たちに、「ノーベル賞を目指せ」などという教育を授ければ、ますます、他人のために尽くすという医師の本分を置き去りにしてしまう。

 残念なことだが、現在の医学教育は科学を教えても、医師としての本分を十分に教えていないのではないかと思う。医師という職業を目指す強い動機があって医学部に入学してくるなら、この種の教育は必要ないかもしれないが、医師になる心構えができていない若者が医学部に入学してきているという現状を踏まえた教育制度が求められる。

 医学は科学だが、医療は科学に加え、他者に尽くす気持ち(人間愛)が必要であると思った。二つの事故報道を通して、科学で解決できる課題と科学では解決できない課題は質が異なるが、いずれも解決に向けたオールジャパンの取り組みが急務である。

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中村 祐輔(なかむら ゆうすけ)

1977年大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部付属病院外科ならびに関連施設での外科勤務を経て、1984-1989年ユタ大学ハワードヒューズ研究所研究員、医学部人類遺伝学教室助教授。1989-1994年(財)癌研究会癌研究所生化学部長。1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。1995-2011年同研究所ヒトゲノム解析センター長。2005-2010年理化学研究所ゲノム医科学研究センター長(併任)。2011年内閣官房参与内閣官房医療イノベーション推進室長を経て、2012年4月よりシカゴ大学医学部内科・外科教授 兼 個別化医療センター副センター長。

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