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著名人インタビュー

もっと知りたい認知症

[岡野雄一さん]認知症 死の不安和らぐ…楽しい思い出が残った母

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「私が誰かを母がわからない時でも、帽子を取って頭を見せると『なんや、雄一やっか』とわかってくれたこともありました」(長崎市で)=貞末ヒトミ撮影

 漫画家の岡野雄一さん(65)は、認知症の母、光江さんを昨年8月、91歳で亡くしました。自宅やグループホームで見た光江さんの姿をユーモラスに描いた漫画は評判を呼び、映画にもなりました。「認知症は母に死の不安感を薄れさせ、穏やかな最期を迎えさせてくれた」と振り返ります。

入院後に知る

 

 高校を卒業後、漫画家を志して20歳で上京しました。でも、描いた漫画は全く売れず、出版社で漫画雑誌の編集長を務めていました。40歳で離婚。長男を連れて長崎に戻り、両親と暮らし始めたのです。

 母に初めて「あれ?」と思ったのは、父が亡くなった2000年頃。母は自分の故郷、天草の甘いみそでみそ汁を作っていて、その味が大好きでした。ところが、急に味が変わってしまったのです。

 冷蔵庫のプラグを抜いたために、氷が解けて家を水浸しにしたことも。徘徊はいかいも始まりました。でも、認知症とは思わず、「年を取ったらこんなものだろう」という感じで接していました。

 光江さんは05年、脳梗塞で入院。それまでの言動をケアマネジャーに話すと「認知症の典型的な行動です」と言われた。

 退院後はグループホームに入りました。当初はいら立ちもあったようですが、次第に穏やかになり、スタッフを自分の妹や幼なじみの名前で呼ぶようになりました。ホームの近くの海から天草が見えるので、気持ちは少女の時に戻っていたのかもしれません。

 週2、3回訪ねて、ベッド脇で話したり、車いすを押して散歩したりしながら1時間ほど一緒に過ごしました。

 ある時、母が目をこすりながら「とうとう目が見えんごとなってしもた」とつぶやきました。不安になって何が見えないのかと聞くと「わい(おまえ)の髪の毛」。そこで私の頭をなでさせて「髪の毛はなかと」と教えると、「ただのはげ茶瓶やったか」と安心する――そんなやり取りを何度もしました。

漫画に反響

 

 岡野さんは当時、長崎県内の居酒屋やバーなどを紹介する情報誌の編集長。そこに漫画で光江さんの様子を描くようになる。

 編集後記のつもりで、身の回りの出来事を8コマ漫画にして掲載していました。母が悪質商法にだまされそうになった話を描いたら、読者から「うちでも似たようなことがあった」と反響がありました。

 それ以降、母を題材にすることが増えました。私のいびきを聞いて「ブタか?」と声をかけてきたり、ひ孫から来た手紙に解読できないような字の返事を書いたり。母にイライラしても漫画に描くことでガス抜きできたし、母がトラブルを起こしても「漫画のネタができた」と前向きに考えられるようになりました。

 漫画をまとめて自費出版すると、長崎の書店で売り上げ1位となり、編集者の目に留まって単行本になりました。「初めて漫画を買った」という高齢者、「一人一人に人生があると気づかされた」という介護士など、全国からはがきが届きました。「認知症になるのは特別なことじゃない」という思いが多くの人に届いたとわかり、漫画家としてとてもうれしかったです。

記憶の濾過

 

 光江さんは10年頃から寝たきりになった。岡野さんは「少しでも長く生きていてほしい」と、光江さんに胃ろうをつけてもらったが、1年半後の昨年8月、光江さんは死去。岡野さんが前日に会った時と同じく安らかな表情だった。

 認知症になって以降、母は「今まで父ちゃんがおったばい」とうれしそうに話すことが増えました。父は酒を飲んで暴れることもある人でしたが、そうした苦労話は出ませんでした。認知症になると、つらかった時代を思い出すことなく、記憶が濾過ろかされ、幸せな時の思い出だけが残るのではないかと思いました。

 母のことはずっと「しっかり者」と思っていました。でも、認知症の症状が出てからは、自宅で盆踊りに似たダンス「パラパラ」を笑いながら踊ったり、帰宅する私に大声で「お帰り」と言って、無邪気に手を振って童女のような笑顔を見せたりしたのです。

 認知症にならなければ、こんな母に出会うことはなかった。認知症も悪いことばかりではなかったと思うようになりました。母にとっても、つらいことを忘れ、楽しい思い出だけを残して穏やかな最期を迎えさせてくれるものだったと、今では考えています。(聞き手・吉田尚大)

 

 おかの・ゆういち 1950年、長崎県生まれ。漫画雑誌編集長などを経て、2012年に漫画「ペコロスの母に会いに行く」(西日本新聞社)を出版。13年、日本漫画家協会賞優秀賞受賞。近著に「『ペコロスの母』に学ぶ ボケて幸せな生き方」(小学館)。タイトルは、髪の毛のない自分の頭がペコロス(小さな西洋玉ネギ)に似ていることによる。

 

 ◎取材を終えて 私の亡き祖父も認知症だった。私が結婚して5年ほどした頃、祖父が「いよいよ結婚か」と急に涙ぐんだことがある。その時は「結婚したのはずっと前だよ」と答え、記憶が混乱している祖父を悲しく思った。岡野さんから「認知症は記憶を濾過して楽しい思い出だけを残す」と聞いて、祖父も、私の結婚が楽しい思い出になっていたのかもしれないと考えた。あの時、優しい言葉をかけられればよかったなあ。

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