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専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話

yomiDr.記事アーカイブ

終末期の胸水は抜かなくても方法がある

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 胸の水―胸水きょうすい―は様々な病気でたまる可能性があります。

 今回はがんの高度進行期の胸水についてみてみましょう。

 がんによる胸水―がん性胸水―は肺がんばかりではなく、他の場所のがんが肺の外を覆っている膜である胸膜きょうまくに転移しても起こります。

 胸水がたまってくると苦しくなりますから、針を刺して水を出す処置がよく行われています。また管を入れて持続的に排液することもあります。

 さらに胸膜癒着術という、管から薬剤を入れて炎症を起こして胸膜をくっつけ、水がたまるスペースをなくすことで胸水をたまらなくする処置も行われています。


 私が緩和医療を始めた頃に、困難を感じた60代の肺がんの女性がいました。

 彼女には何回か胸膜癒着術を施行しましたが、それでも胸水はたまりました。

 そもそも胸水は非常にドロッとして、管を入れても素直に流れ出てくれません。

 また隔壁という壁が胸の中に形成されてしまい、管を入れてもその壁に囲まれた部分しか胸水は抜けず、すると他にも同じようなコンパートメントがあるので、症状の緩和の効果は限定的でした。

 とうとう左肺いっぱいにたまった胸水は心臓まで圧迫し始め、彼女の息苦しさはさらに増悪しました。この時点で、余命は短い月の単位と考えられました。

 なにせ管を入れてもあまりに胸水はドロッとしているため、ほとんど引けませんし流れ出てくれません。私は頭を抱えました。

 当時私が勉強させて頂いていた『最新緩和医療学』(恒藤暁、1999)や『緩和ケアマニュアル』(淀川キリスト教病院編)という本には、ステロイドの胸水への使用に関しての記載がありました。そこで意を決してステロイドを使用してみました。

 すると…どうしたことでしょう。

 胸水がみるみる減り始めたのです。

 まずは心臓への圧迫が取れ、次に胸水の水位が少しずつ下がってきます。

 最終的には左肺いっぱいにあった胸水が半分くらいになったのです。患者にとっての呼吸困難の改善の効果も劇的でした。ベッド上で少しみじろぎするだけでも苦しいと言っていたのが、同室者の車いすまで押してあげられるようになったのです。

 「気分転換に行きましょう」

 元来親切な方であった彼女は、同室者を元気づけようとそのようなことまでする力を再び手に入れたのです。

 そして驚きは胸水や呼吸困難の改善効果ばかりではなく、だるさや食欲まで改善されたことです。私が緩和医療の力に魅せられるきっかけになった事例でもありました。

 その後、文献的な裏付けの弱さから、今は本邦のガイドラインにも胸水にステロイドの文字がありません。けれども、効果がある事例があるのは事実なのです。

 ここが難しいところで、少し前も他院の研修医の先生から、指導医に文献を示すことを言われたために、説得力があるものを提示できず、適応があるのに投与できなかったというお話をうかがいました。


 これは少し前に私が経験した事例です。

 次の胸部X線写真は40代男性の肺がんの胸水貯留の症例です。これまでも管を入れて抜くドレナージや、胸水がたまるスペースを無くす胸膜癒着術を受けていました。

6月13日



 次の外来の6月19日にはこのように胸水の増量を認めました。

6月19日

 この日胸水ドレナージを施行され、また私がベタメタゾン(※ステロイド)4mgを処方しました。

6月19日胸水穿刺後


 その後の効果は見違えるほどでした。この方の奥さんは、胸水へのステロイド使用について記した拙著『世界イチ簡単な緩和医療の本』(総合医学社)<本年2月に第2版に改訂>の読者さんでもありましたが、「ステロイドが本当に効くのだということがわかりました」とおっしゃっていました。

 胸水貯留のスピードは大幅に緩徐になり、何より呼吸困難が緩和され、家から出られなかったのが外出も可能となりました。だるさも改善され、表情には笑顔が戻ったのです。趣味を再び行う余裕も生じました。

 胸水の穿刺せんしも行わなくて良くなりました。そして約2か月後。

8月14日

 上は8月14日の胸部X線写真です。

 まだ6月19日の胸水穿刺前と同等かそれ以下の貯留であることがご理解いただけると思います。

 ステロイド開始前は患者さんが抜いてほしいと希望するレベルの胸水貯留の増悪が6日で進んだのに対して、開始後は57日経過しても、まだ開始前の6日間の貯留量より少なく、抜かなくて大丈夫だと患者さんはおっしゃいました。これがステロイドの力です。

 呼吸器内科医にも徳田均先生<社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)>のように、胸水穿刺を行うことなくステロイドで胸水をマネジメントした報告「ステロイドは進行癌の病態形成を抑制する」をされている先生がいらっしゃいます。


 あるご家族から、家人が末期がんでたまった胸水によって苦しんでいたところ、ご家族が主治医の先生に『世界イチ簡単な緩和医療の本』を渡してくださり、主治医の先生がステロイド投与を決断され、投与後にかなり呼吸困難や胸水が改善して穏やかな生活を送られた、という話を聞きました。

 かつて『最新緩和医療学』や『緩和ケアマニュアル』を片手に、悩みながらステロイド投与を決断したことを思い出し、ご家族や主治医の先生の心中に思いをせ、また患者さんにとって利益があったことをとても良かったと感じました。

 “かつての(緩和医療の初心者だった)自分にあったら助かった本”を目指してつづった非常に易しい専門書である『世界イチ簡単な緩和医療の本』は私の予想を超えて、実地臨床家だけでなく、患者さんのご家族にも読まれた本でした。

 確かに、薬局でもらえる薬の説明書は副作用がずらずらと記してあり、この薬を使う「メリット」が時に見えにくくなりがちでもあります。なぜ、どうしてこの薬が必要なのか、それを短い診察時間で理解して頂くことは容易ではなく、また聞いても忘れてしまいがちなものでもあると思います。ステロイドや医療用麻薬など一部社会的に誤解されている薬剤ならばなおのこと、医療者が考えている意図を誤解して「処方の意味」が受け取られていることも稀ではありません。

 一般向けの良質な情報をもとに、さらに医療者と患者さん・ご家族の相互の意思疎通が図られることを願ってやみません。


追伸 3月で連載を卒業することになりました。あと2回、どうぞよろしくお願いいたします。

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専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話_profile写真_大津秀一

大津 秀一(おおつ しゅういち)
緩和医療医。東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンター長。茨城県生まれ。岐阜大学医学部卒業。日本緩和医療学会緩和医療専門医、がん治療認定医、老年病専門医、日本消化器病学会専門医、日本内科学会認定内科医、2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科医としての経験の後、ホスピス、在宅療養支援診療所、大学病院に勤務し緩和医療、在宅緩和ケアを実践。著書に『死ぬときに後悔すること25』『人生の〆方』(新潮文庫)、『どんな病気でも後悔しない死に方』(KADOKAWA)、『大切な人を看取る作法』『傾聴力』(大和書房)、『「いい人生だった」と言える10の習慣』(青春出版社)、『死ぬときに人はどうなる』(致知出版社)などがある。

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