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中村祐輔の「これでいいのか!日本の医療」

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知識ギャップが生むインフォームドコンセントの形骸化

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 医学・医療に関する新しい情報は、加速度的という言葉で補えないような速度で増えている。このような環境下では、医療関係者でも自らの努力で最先端の医学情報を常に更新していくことは不可能と言っていい。

 たとえば、がんの分類を考えてみよう。50年前は、胃がん、大腸がん、肺がんと臓器別にがんは分類されていた。それが顕微鏡で見たがん細胞の形によって分類されるようになった。肺がんでは小細胞がんと非小細胞がん(後者はさらに、腺がん、扁平へんぺい上皮がん、大細胞がんなどに分類される)といった具合だ。治療法も、がん細胞の形に応じて区別されるようになった。

 それが21世紀になって、遺伝子異常別の分類となってきた。

 遺伝子分類でも利用する情報はいくつかあるが、たとえば、乳がんは、ホルモン受容体の有無、HERという分子がたくさん作られているかどうかなどで、治療法が異なってくる。肺がんで異常が見つかっている遺伝子は、頻度の高いものから、KRAS、EGFR、FGFR1、PTEN、ALK、MET、DDR2、BRAF、PIC3CA 、ROS・・・・などと続き、EGFRやALKなどに異常がある場合には、それに応じた治療法が提供される。今や、遺伝子異常が薬剤選択の重要な因子となっている。

 私は時々、患者さんや家族から質問を受ける。肺がんとの説明を受けていたが、どうも話がかみ合わないので、資料を見せてもらったところ、大腸がんの肺転移であったことも少なくない。がんが最初にできた場所が重要なのだが、現在の教育システムでは、そんなことさえ教えていない。

 中学校や高等学校などで教えている内容が、科学の進歩に追いついていないために、説明する側と説明を受ける側の知識ギャップが急速に広がっている。上記のような遺伝子の話を唐突に聞いても、KRAS?、EGFR?と頭の中が?マークで渦巻いて、異次元の話になってしまう。私が医学部にいた頃でも(古すぎると言われるかもしれないが)、がんの遺伝子異常など見つかっていなかった。

 それに加えて、副作用の危険性を細かく聞かされても、患者さんに混乱が広がるだけだ。医療側にとっても、どのレベルから話をしていいのかの判断が難しく、まじめに考えれば考えるほど、時間的・精神的負担が過度になってくる。マニュアルにしたがって、淡々と説明すれば義務は果たせると考えると簡単だが、患者さんに優しいとは言いがたい。

 メディアや倫理学者と称する人たちは何か問題が起こった際に、「説明責任」を無責任に追及する。しかし、拡大していく知識ギャップを社会全体が埋めていく努力をしない限り、現場が負担しきれなくなるか、十分な説明ができない状況が悪化することは確実である。


薬剤服用歴をそのたびに記載する不思議

 最近、調剤薬局で薬剤師が薬剤服用歴を記載せずに患者に薬を出していたとのニュースを読んだ。記事では診療報酬を不正に請求したことが問題視されていた。薬剤服用歴が整備できていないことは、医療制度の根幹的な欠陥にかかわる問題であるが、問題が矮小わいしょう化されている。

 そもそも調剤薬局で薬剤服用歴をそのたびに記載することなど時代遅れだし、私も複数の薬剤を服用しているが、薬剤の名前を書けと言われても出てこない。ICカードやスマートフォンに診療記録や薬剤データを入力してしまえば済むことだ。なぜ、こんな陳腐なことをしているのか、不思議だ。

 そして、薬の組み合わせに問題があれば、その情報をコンピューターが薬剤師に伝え、薬剤師が患者さんや処方した医師(や病院)に伝達・連絡すれば、簡単にできることだ。薬剤師もすべての薬剤に関する知識が頭の中に記録されているはずもないし、プリントアウトされた上に記載されている細かい副作用の説明を聞きたくない患者さんも多いはずだ。情報が整理されていないため、本当に重要な情報が埋もれているように思う。

 たとえば、タモキシフェンという乳がんの治療薬を服用している患者さんには、三環系抗うつ剤を投与してはいけない。なぜなら、タモキシフェンという薬剤は肝臓のCYP2D6と呼ばれる酵素でエンドキシフェンという物質に変えられて、薬剤としての効果を発揮する。この種の抗うつ剤の分解にも同じ酵素が利用されるため、お互いが取り合いをして、十分な量のエンドキシフェンができないのだ。当然、薬剤の効果は弱まり、再発リスクも高くなる。

 しかし、乳がんの専門家でも上記のような知識がない人は少なくないし、このような悪い薬の組み合わせ情報を、個人の責任で常に最新情報に更新していくことは不可能だ。患者さんだけでなく、医療従事者にとっても、日進月歩をはるかに上回るスピードで更新されていく情報を速やかに収集するデータベースと、その利用を可能とするIT産業の育成が急務だと考える。インフォームドコンセントを意味あるものにするために、国をあげて医療問題に取り組む必要がある。

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中村 祐輔(なかむら ゆうすけ)

1977年大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部付属病院外科ならびに関連施設での外科勤務を経て、1984-1989年ユタ大学ハワードヒューズ研究所研究員、医学部人類遺伝学教室助教授。1989-1994年(財)癌研究会癌研究所生化学部長。1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。1995-2011年同研究所ヒトゲノム解析センター長。2005-2010年理化学研究所ゲノム医科学研究センター長(併任)。2011年内閣官房参与内閣官房医療イノベーション推進室長を経て、2012年4月よりシカゴ大学医学部内科・外科教授 兼 個別化医療センター副センター長。

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