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専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話

yomiDr.記事アーカイブ

世代のくびきから人は逃れ難い

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 前回の記事の続きです。

 『大往生したけりゃ医療にかかわるな』(中村仁一著)という本について、大阪にある「ひろたにクリニック」の院長をされている廣谷淳先生が同書について述べている文

 からもう一つ引用します。

(以下引用)

 まず、この本は、「私の人生はもうそろそろ終わりでいいかな」と思うことができる十分に高齢の方のための本だということを最初に述べるべきです。「大往生」というタイトルから多くの人はそういう意味にとらえるでしょうが、まちがって(比較的)若い世代の人が真に受けてしまうと大きなまちがいを生じそうです。

 すなわち、若い世代の方がこの本を読んで「医療を拒絶」してしまうと、胃潰瘍など治療を受ければ「治る」病気で命を失うことになりかねませんし、また、高血圧や高脂血症、糖尿病など、様々な合併症を予防することができる病気の対策をとる機会を逃してしまう可能性も高くなります。

(以上引用)


 先生のご指摘の通りと私も感じました。

 まず医師の大先輩の先生方のおかげさまで、今の医療があることは感謝しております。その敬意は変わりません。

 一方で、一部の60代以上の先生方が「医療否定」の本を積極的に書かれているのはどういうことでしょうか?

 一つの理由として、今と比べて、さらに濃厚な延命的治療がかつては行われていたからかもしれません。これは誰が悪いわけでもなく、今の段階からかつてを振り返れば、いくらでも改良点は言えるはずです。進歩は常にそのような産物を残します。医療においてもそれは例外ではないのです。

 延命的治療の結果として、つらい思いを患者さんにさせてしまった悔いもあって、ご自身も年齢を重ねられ、濃厚な医療の無意味さに気がつかれて、それらをしないで自然死するのが一番と唱えられている、そのような背景が感じ取られます。

 しかし一方で、かつてに比べて、症状を和らげる治療も長足の進歩を遂げました。

 必要な医療を行うことで、以前と比較してはるかに苦痛が少ない時間を過ごすことができるようになっています。

 抗がん剤治療に関しても、60代以上の先生方がそれをなしていた頃に比べれば、ずっと副作用の制御が可能となり、また病勢の制御を通した症状緩和がなせるようになって来ています。

 どのような医療を行い、またどのような医療を行わないのが、目の前の方の希望に合致するのか、そのような取捨選択がより慎重に為される傾向もあります。

 今の現場と昔の現場は違います。

 私は一般向けの書籍を書かれている60代以上の一部の先生方が必要な医療まで否定する傾向があるのは、このような時代背景と無縁ではないと思います。かつて先生方が見てきた世界がゆえに、このやや傾斜した結論が導き出されていると思うのです。

 そしてまた、人は誰でも年齢のくびきから無縁ではありません。

 60代、70代ともなり、お子さんも独り立ちしているような状況では、「いざ病気になっても大往生」との考えに親和性が高いのは理解できます。

 かつて俳優の故・入川保則さんとお会いした時も、入川さんは「なぜ末期がんと知ってもまったく平静にされているのか」との質問に、「一番は年齢だと思います。自分が若かったら、きっとこのようにはいられなかったと思います」と明言されていたことを思い出します。

 先生方の年齢というのも、この「医療を遠ざけて自然死」という思考とわかちがたく結びついているのではないでしょうか?

 確かに60代や70代の先生が書かれている本を、人生の仕事をだいぶ成し遂げられた方が強く信じても、価値観にはよりますが(あと苦痛緩和はちゃんと受けたほうが良いですが)、相対的に若い世代、現役世代が信じるよりは、周囲に与える打撃も含めて少ないかもしれません。

 しかし問題は廣谷先生が警鐘を鳴らしているように、若い世代、「まだ生きねばならない」と感じている方がこれをそのまま信じることは、不利益が大きくなる可能性があるということです。

 若い世代でも様々なきっかけから医療に対して信じがたい気持ちを抱いている方もいらっしゃいます。年齢を重ね、「もう医療なんてなくてもいいじゃないか」という境地にたどり着いて、実際自身が死に至る病になられても比較的迷いなく過ごされるであろう先生の説を、そのキャッチーな言葉を若い世代や現役世代がうのみにして、必要な医療まで遠ざけると「こんなはずではなかった……」となりかねません。

 最新の医療の進歩に関しては、中堅や若手の医師からの情報をもとに考えたほうが良いでしょう。


 60代、70代の立派な先生はたくさんいらっしゃいます。

 緩和ケアの研修会で何度かそのような先生とお会いしました。

 研修会では実際に自分が(模擬の)患者役となって、説明を受ける側を体験します。

 ある60代の開業されている先生は、説明が実に見事で、患者の気持ちにすっと手を差し伸べる様をみて、若い医師たちと感嘆したことがあります。これこそ経験のもたらした重みであると感じました。

 私たちが所作や言葉にむしろ大きな学びを頂戴するにもかかわらず、その先生はこうおっしゃいました。

 「いや、最近の医療はこんなに進歩したんだね。君たちはすごい」

 学びを忘れず、精進し続けるさまは頭が垂れるばかりです。

 自分がもし60代、70代までいけたら、どんなふうに医学・医療の世界に貢献できるだろうか、先生方のお姿を見ながら考えます。長く現場にいるからこそ伝えられることを、新しい医療にもめくばせしながら、医療の限界を冷静に過不足なく、一般の方が過度に怖がったり、心ある医師や適切な医療まで否定したりしないようにしっかりと伝えたい、そう思います。


 昔日に私の麻疹を鮮やかに診断し、何より安心を与えてくれた、記憶の向こうにいる先生の年に、私も近づきました。先生は、今も私のはるか先を歩いています。惜しむらくは今生きていれば70代となったであろう先生の声を聞けないことです。

 「大丈夫よ」

 医師が安心を与えることの大切さを知っていた彼女ならば、心配する私たちにきっとかつてと同じようにそう太鼓判を押してくれたはずと思います。

 弱い存在に絶大な安心感をもって大丈夫と保証してくれた彼女の姿は、今でも私の心に焼き付いています。年を経てもそんな医師でありたいと、今も彼女は教えてくれるのです。

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専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話_profile写真_大津秀一

大津 秀一(おおつ しゅういち)
緩和医療医。東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンター長。茨城県生まれ。岐阜大学医学部卒業。日本緩和医療学会緩和医療専門医、がん治療認定医、老年病専門医、日本消化器病学会専門医、日本内科学会認定内科医、2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科医としての経験の後、ホスピス、在宅療養支援診療所、大学病院に勤務し緩和医療、在宅緩和ケアを実践。著書に『死ぬときに後悔すること25』『人生の〆方』(新潮文庫)、『どんな病気でも後悔しない死に方』(KADOKAWA)、『大切な人を看取る作法』『傾聴力』(大和書房)、『「いい人生だった」と言える10の習慣』(青春出版社)、『死ぬときに人はどうなる』(致知出版社)などがある。

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