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中村祐輔の「これでいいのか!日本の医療」

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がんと戦え…私が「織田信長」から「徳川家康」になった理由

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 私を知る多くの人は、私の性格を「織田信長」タイプだと語るし、私自身もそれを信じて疑わなかった。研究の世界は、「金メダルが難しければ、銅メダルでもいい」では済まない。世界に日本の誇りを示すには「金メダル」しかない。世界で初の研究をしなければ、あとは「その他大勢」と言ってもいいくらいだ。

 世界初と言っても、本当に「画期的な」「類似の先人がいない」山中伸弥先生のような世界初から、たとえば「大腸がんでは世界初」だが、乳がん、肺がんなど、他のがんでは類似のデータがたくさんあるような「小さな世界初」もある。

 いずれにせよ、他の研究者が自分の研究成果と類似したデータを先に発表すれば、科学的業績は決定的に低くなる。したがって、どんなレベルの「世界初」にせよ、競争を生き抜くのは大変だ。「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」では生きていけない。織田信長にならねば(生まれつき、そのような性格だったかも知れないが)、勝ち抜くのは厳しいと思って生きてきた。

 しかし、がんワクチンの臨床研究に携わるようになって、徳川家康のような忍耐を積み重ねなければならないような環境に置かれるようになった。何百、何千人の患者さんやその家族の悲痛な声を聞き、いつの間にか、その重荷を一緒に背負っている自分を意識するようになった。それに、東日本大震災の被害者に何も貢献できなかった自責の念が重なり、再起を期してシカゴに移った。

 しかし、この重荷から逃れたわけではない。シカゴにいても、日本の患者さんや家族の声は届くし、昨年の秋にがんの新薬となる物質を発表してからは、世界中から問い合わせが来る。ある時、「重荷を背負いすぎて苦しくはないのですか」と聞かれた。もちろん、つらいし、苦しいし、逃げ出したくなることもある。「忘れやすい性格ですから、わりと平気です」と言ってごまかしたものの、それで重荷が軽くなるはずもない。


無力感に打ちひしがれた母の死

 マザコンと言われるかもしれないが、私の人生観は、母の大腸がんによる死を契機に激変した。母は自分が大腸がんにかかったことを、私に恥をかかせて悪いと謝った。私が大腸がんの研究で成果を上げてきたことを知っていたので、そのように考えたようである。正直、この一言は胸に突き刺さった。さらに、がんによる痛みを耐えている顔や浮腫で腫れあがった両足を見て、自分の研究の無力さを痛感した。

 亡くなる前日、「ようやく自分のやりたいゲノム研究ができるかもしれない。明後日、通産省(当時)で会議がある」と話をしたところ、「私に何か起こっても、その会議には出なさい」とポツリと話をした。自分の死が近いことを悟っていたに違いない。この一言がとげのように心に引っかかったが、その夜、実家のある大阪から東京に戻った。そして、翌朝、母は私に最後の別れを告げずに旅立って行った。すぐに東京から大阪に向かい、母と対面した。普通であれば、夜に通夜、そして翌日に葬儀であるが、父は「お母ちゃんの遺言だから、葬儀は明後日にする」と告げた。これで悲しさが倍になった。

 翌日、新幹線で東京に日帰りし、通産省の会議に出席した。これが、翌年の小渕内閣が立案したミレニアム・ゲノムプロジェクトにつながった。この時、新幹線から見えた富士山の美しさ、荘厳さを見て、涙ぐんだ自分を今でも覚えている。この時から、母を奪ったがんに対する弔い合戦が続いている。ミレニアムプロジェクトでは自分を律するために、目標達成まで2年間近く酒を断った。失敗しては、死ぬ前日まで、私に気遣いをした母に申し訳がない。

 しかし、がんへの戦いは厳しい。頑迷な医師たち、利権を守ることが最優先の人たち、そして ゆがんだ目を持ったマスコミ。信頼していた人間に裏切られたこともあった。しかし、「患者さんのために」という共通の思いで懸命に研究を続けた医師や研究者、そして数は多くはないが私の応援団によって支えられ、戦いを続けている。研究者として私は、勝利するまでこの戦いをあきらめない。

 患者さんにとって、がんとの戦いは、あきらめた瞬間から100%の確率で敗北が待ち構えている。勝利するためには、戦い続けるしかないのである。ただし、「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」ではなく、じっと我慢しながら、一歩一歩重荷を背負ってでも前に歩み続けなければ、オアシスにはたどり着けない。

 患者さんや家族も絶対にあきらめないでほしい。そして、一人ひとりの死を無駄にせず、他の患者さんの治療に役立てるためにも、国には、がんの治療の向上に寄与する大きなデータベース構築を期待したい。

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中村 祐輔(なかむら ゆうすけ)

1977年大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部付属病院外科ならびに関連施設での外科勤務を経て、1984-1989年ユタ大学ハワードヒューズ研究所研究員、医学部人類遺伝学教室助教授。1989-1994年(財)癌研究会癌研究所生化学部長。1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。1995-2011年同研究所ヒトゲノム解析センター長。2005-2010年理化学研究所ゲノム医科学研究センター長(併任)。2011年内閣官房参与内閣官房医療イノベーション推進室長を経て、2012年4月よりシカゴ大学医学部内科・外科教授 兼 個別化医療センター副センター長。

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