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りんくう総合医療センター 感染症対応

深化する医療

(下)「SARS経験」が生んだ工夫

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 関西空港は昨秋、開港20年を迎えた。関空経由の感染症侵入を防ぐため、開港翌月の1994年10月、対岸に完成した「りんくう総合医療センター・感染症センター」(大阪府泉佐野市、当時は市立感染症センター)はこの間、日本の感染症対策の先導役として、関係機関と連携を積み重ねてきた。

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 「最も警戒感が高まったのは、中国で発生した新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)の世界的流行の頃だった」。昨春まで15年間、感染症センター長を務めた診療局参与の玉置俊治(66)=写真=は振り返る。

 SARSは危険性が極めて高い、未知の新感染症だった。2003年の流行当初、対応できるのは国内で同センターしかなく、患者発生時の唯一の受け入れ機関となったからだ。

 玉置らは連日、対策会議を開き、防護服の脱着や患者受け入れの模擬訓練を繰り返した。03年4月下旬には、SARS流行地のカナダ帰りの女性患者が入院。最も厳重な感染症対策を講じた病室を初めて使用した。

 翌日には陰性だと判明したが、「あの経験で、受け入れ態勢のいくつかの改善点に気付いた」という。

 病室の2重扉は、空気が外に漏れないよう同時に開かない構造で、ナースコールで呼ばれても入室に時間がかかったため、ベッド脇にカメラとモニターを設置。看護師詰め所といつでも画像と音声でやりとりできるようにした。顔を覆う防護具も息苦しく、治療の妨げになりかねなかったため、防護具に清浄な空気を送る装置も新たに導入した。

 こうした改善策は、昨年11月のエボラ出血熱疑いの患者受け入れ時も役立った。

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りんくう総合医療センターで行われたエボラ出血熱疑い患者の受け入れ訓練。大阪府内の保健所や病院、自治体などから計70人が参加し、搬送手順などを確認した(昨年11月17日、同センター提供)

 感染拡大を阻止するには、関係機関との連携が欠かせない。玉置は、関空検疫所や大阪府内の保健所、自治体、医療機関などと対策会議や合同訓練を実施。国内をはじめ豪州やベトナムの医療機関とのテレビ会議による症例検討会といった連携も試みた。センターは開設以来、エボラ対策を最大の課題と位置づけ、01年には世界保健機関(WHO)の専門家を招いた国際会議を開催するなど、最新情勢の把握にも努めてきた。

 「01年の米国同時テロ後は、生物兵器テロを想定し、世界で根絶していた天然痘のワクチン接種訓練もした。長く感染症にかかわってきたが、初めての経験だった」と話す。

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 感染症法では、最も危険な「1類感染症」として、エボラ出血熱や天然痘、ペストなど7種類が指定されている。ただ、国立感染症研究所の資料などによると、1類の国内発生例は、当初1類と同等以上の扱いとされたSARS(現在は2類)を除けば、同法施行前の87年にシエラレオネからの帰国者がラッサ熱の陽性反応を示して以降はない。

 「危険な感染症は頻繁に現れるわけではないので、高度の感染症病棟を持つ病院でも、少数の医師が兼務で頑張るケースが多い。だからこそ、連携を一層深めていく必要がある」と強調する。(敬称略、萩原隆史)

 
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