専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話
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声なき苦痛の訴えを見逃さない
「あなた、今回はいつもと違うけれども、大丈夫よ」
記憶の向こうの白衣。
彼女はいつもより少し瞳に力を込めて私を見ました。「大丈夫よ」に込められた語気とかすかな温かさ。
私は黙って
彼女の言ったことは正解でした。
家に帰って翌日から身体には赤い発疹が広がり始め、全身に及びました。
はしかでした。
もう30年くらい前の話になります。
今だったら彼女は「コプリック斑を見つけたから」とわかります。はしかの発疹が出る前に
けれどもいつもの発熱と違うと即座に診断し、心配しないように呼びかけた彼女の顔が今でも思い出されます。田舎の名医でした。
先生はその後しばらくして、若くしてがんで旅立たれました。
いま生きておられたら70代になっているでしょう。
高齢者施設の付属診療所長をされている中村仁一医師が2012年に出された『大往生したけりゃ医療にかかわるな』という本が、年配の方を中心によく読まれています。
私も以前読みました。文章は面白く先生の人間力の高さを感じさせます。一方でその内容には驚く部分もあったのは事実です。
最近ある記事を見つけました。
直接の面識はありませんが、大阪にあるひろたにクリニックの院長をされている廣谷淳先生が同書について述べている記事です。
以下、引用させて頂きます。
(以上引用)
私も同感です。
確かに、認知症を有しているがんの患者さんの場合は、痛みの訴えが軽いもしくはないことも経験しますので、中村先生のご覧になっている施設ではそのような方が多くいらっしゃるのでしょう。ゆえに、「がんは治療しなければ痛くない」という結論にたどり着かれたのだと思います。けれどもこれはがんの患者さん全体に当てはまるものではありません。がんの治療をしなくても痛みは出ます。
「がんは治療しなければ痛くない」という正しくないフレーズが幾人かの医師から広がったため、本来自明なこのようなことまで訴えていかねばならない現実があります。
「この鎮痛薬をやめてみたらもっと痛みが楽になりませんか?」
と難治性のがんの痛みの患者さんにまで言われてしまう……という事例まで漏れ聞きます。
本当に何も(鎮痛薬も!)しないほうが痛くないという誤った考えになってしまっているのです。
超高齢者の方のがんの場合は、確かに若年者よりも痛みの「訴え」は少ないかもしれません。
あるいは認知症があるがんの患者さんの場合は、痛みを言葉で訴えられない場合もあります。
さらには医師が、「治療しなければ痛みはないか軽いはず」と強く思っていれば、患者さんの小さな痛みのサインを見逃してしまうこともあるでしょう。
でも「訴えがない」から本当に痛くないのでしょうか?
じっくり観察し、例えば体位交換の際に顔をしかめたりしているとか、そんな言葉以外の「訴え」を見過ごしていませんでしょうか?
私自身の経験では、超高齢者や認知症の患者さんは痛みやつらさを訴えることが困難なために、耐えているという事例もあると感じています。先入観なく、言葉とそれ以外の患者さんからのメッセージをつかみとってゆくのが、あるべきがんの苦痛緩和医療であり、現代の標準的対応です。
廣谷先生も「骨転移の痛みは耐えられない」と書いていらっしゃいますが、無治療ならばしばしば実際にそうであるそれを持ちつつも、医療用麻薬を使用しながら元気に外来通院している方もたくさんいらっしゃいます。腸閉塞の痛みも緩和できます。何もしなければ痛いです。これが可能になっているのは適切な医療の力ゆえなのです。
次回に続きます。
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