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中村祐輔の「これでいいのか!日本の医療」

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「がんもどき論」は破綻している…進化するがん細胞

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 遺伝子を解析する技術が急速に進展している。1990年に始まったヒトゲノム解析計画では十数年の歳月と約1000億円をかけて、人の遺伝暗号(ヒトゲノム)が読み取られた。2000年6月26日、ヒトゲノム暗号のほとんどが解読されたのを祝して、米国のホワイトハウスでプレス・カンファレンスが開催されたのは、私にとっては感慨深い思い出だ。

 クリントン大統領(当時)がこの日、フランシス・コリンズ博士(当時、国立ヒトゲノム研究所長、現在は国立衛生研究所=NIH=のトップ)とクレグ・ベンター博士(セレラ社社長)を引き連れてカンファレンス会場に入ってきた。会場には1953年にDNAの二重螺旋らせん構造を発表して、後にノーベル賞を受賞したジム・ワトソン博士もいた。

 【カンファレンス再録】
 http://www.genome.gov/10001356

 【カンファレンス動画】
 https://www.youtube.com/watch?v=slRyGLmt3qc


 クリントン大統領のスピーチに続いて、イギリスのトニー・ブレア首相(当時)が衛星中継でスピーチした。イギリスの会場には遺伝暗号解析法を開発したフレデリック・サンガー博士が控えている。ブレア首相はこのプロジェクトに貢献した国として、まず日本の名前を挙げたが、クリントン大統領の2回目のコメントでは日本は抜け落ちた。両者に続いて、コリンズ博士、ベンター博士のスピーチと続いた。まさに、医学研究に革命的といえる進歩が起こった記念すべき日であった。

 1988年、当時ミシガン大学にいたコリンズ博士から、「ミシガン大学に移って一緒に研究しないか」と誘われたことが頭によぎる。もし、あの時移籍していれば、ホワイトハウスで歴史的な瞬間を見ることができたのではないかと。

 日本が科学立国、特に生命科学の分野での世界的な貢献を目指し、それを国の基盤にする意思があるなら、このプレス会見に日本の総理が同席できなかった無念をかみ締めるべきではなかったのかと、今更ながら思う。

 大変な作業であったゲノム暗号解読が一段落した後、世界ではゲノム研究が勢いを止めることなく進められ、ハップマップ計画(個人間での遺伝暗号の違いをデータベース化した。日本は約25%の貢献)、1000人ゲノム計画(1000人分の全ゲノムを読み解く計画。日本の貢献はゼロ)、がんゲノム解析計画(日本の貢献は約5%)と続いた。日本の世界への貢献は、線香花火のように、ハップマップ計画の一瞬で燃えつきてしまった。

 日本の代わりに台頭したのは中国や韓国の企業だった。米国の企業に割り込む形で遺伝子解析産業に進出し、今やゲノム解析を提供する企業に試料を提出すると、約50万円・2週間程度で結果が返ってくる。解析に必要な試薬のコストは1000ドルを切っているが、高額な機械やそのメンテナンス、人件費、コンピューター関係の費用を積み上げると、1人分のゲノム解析費用は10万円切るまでは至っていない。

 このような国際的な活動の中で、膨大ながん細胞でのゲノム情報が明らかにされ、がん細胞の遺伝子異常が実にダイナミックに起こっていることが、多くの論文で報告されている。がんのひとつの塊から複数の部分を別々に調べたり、多くの転移したがんを個別に調べたりすると、遺伝子異常がどんどん積み重なっていることがわかっている。


「がん患者よ、希望を捨てずにがんと戦え」

 がん細胞は日々、進化しているのである。がんの種類によって、そして、個人個人でも異なるが、がん細胞からは数千か所から数万か所に及ぶ遺伝子変異が見つかる。

 がんの分子標的治療薬がいったん効いても、がんが再発してくるのは、がん細胞が更なる遺伝子異常を生み出し、薬剤に対する抵抗力を身につけているからである。科学的な事実は、近藤誠氏の提唱する「がんもどきはいつまでもがんもどき」「ゆっくり増殖するがんはいつまでもゆっくり増殖する」ことなど、絶対にないことを明示しているのである。

 近藤氏の提唱する「がん放置療法」は時代錯誤的な「がんもどき」「本物のがん」理論が根拠となっているのであるから、その根拠は根底から崩れ去っていることになる。

 「がん患者よ、希望を捨てずに、真正面からがんと戦え」と言いたい。

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中村 祐輔(なかむら ゆうすけ)

1977年大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部付属病院外科ならびに関連施設での外科勤務を経て、1984-1989年ユタ大学ハワードヒューズ研究所研究員、医学部人類遺伝学教室助教授。1989-1994年(財)癌研究会癌研究所生化学部長。1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。1995-2011年同研究所ヒトゲノム解析センター長。2005-2010年理化学研究所ゲノム医科学研究センター長(併任)。2011年内閣官房参与内閣官房医療イノベーション推進室長を経て、2012年4月よりシカゴ大学医学部内科・外科教授 兼 個別化医療センター副センター長。

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