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3件 のコメント

人口受精も上手くゆかず、、、

埼玉のシニア

どこかで投稿したような、、昭和の時代が懐かしい。

昭和39年か40年か、信濃町の大きな大学病院を訪れました。子供が欲しかったからです。家内と一緒にさん婦人科を受け、私の検査、精子が少ないですの宣告。どうじに人口受精をやりましょう、とその先生。

私の精子では駄目なので、大学で採取した優れた精子を使いますが、承諾しますかの問いにうなずく私。先ず最初は排卵日に子作りをしてください、1ヶ月後に又来てくださいと。私と家内は共に複雑な気持ちで玄関を出ました。道を挟んで中華屋さんがあり、大きな餃子が売り物のその店で、食事をしながら窓の外は青空が、、、、、沈黙が流れました。

その大学病院には半年通いました。結局出来ませんでしたが、今の医学では出来そうです。50年も前の技術でしたからね。仕方がありません。その後家内は気丈夫に、何事もなかったかのように、働きましたが、56歳で脳を侵されました、母親の遺伝子が家内にもとりついて、アルツハイマーと診断されました。そして今、オームで暮らし、神の手が支えてくれてます。

これも人生、あれも人生と、今は介護の日々ですが、子供の欲しがる夫婦への資金援助は潤沢に、また子供を虐待する人へは厳罰と、本当につくずく、思う毎日です。私も77となり、将来に対する不安はありますが、家内の気丈夫差を真似て生活設計をしております。100までは生きるつもりで。

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すっかり諦めていたY教諭に

めざめたじいさん

 幼稚園教諭に応募してきたYさん、人格、才能、気力・・などすべてに秀でていた。合格のお知らせを送ったところ不妊治療中という。定期的にお休みをとり、病院にも行かせて欲しいと言われた。

 年少児の担任は面倒見のいい人、年長児の担任は活動的で、園児の力を十分に引き出せる人が理想。Yさんには、比較的柔軟な指導が出来る年中児を受け持っていただくことにした。

 二クラスを3人で面倒を見るティーム・ティーチング制度を活用し1学期は乗り切れたYさんに、2学期になって試練が来た。Yさんのクラスの園児に変化が起きたのだ。登園を渋る、夜泣きが始まる、クラスが纏まらなくなる・・。Yさんは他の2人と同じように保育しているように思えたが、不妊治療と結びつけて悩むようになった。

 園長、副園長の支援にも限界があった。ご主人との話し合いも実らず、1年経たずに退職してしまった。不妊治療と仕事の両立は難しかった。事務系の仕事に就いたそうだが、「まだ子どもが授からない」と残念な便りだけが届いていた。

 先日、40歳を前にお子さんが生まれたという知らせが来た。転職して2年後に妊娠を諦め、治療を止めたという。お子さんを授かるとは思わなかったときに妊娠。諦めることで精神的に楽になった結果、おめでたとなったようだ。人には理屈では分からないことが起こることがある。

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妊娠おめでとうございます

えみ

私も、不妊治療をして双子の男の子を、出産しました。
やと15才に成長しました。子供が、生まれると大変な事も有るけど、楽しい事も、沢山有ります。
子育て、頑張って下さい。

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