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佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」

コラム

「悩める健康人」襲う過剰診断

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 2013年春までの1年半ほど、ヨミドクターで私が連載した『佐藤記者の「精神医療ルネサンス」』。精神医療が抱える様々な問題に斬り込み、読者から対応仕切れないほど多くの情報提供をいただいた。中高年層の反響が多い新聞記事と比べ、学生や現役世代からの反響が圧倒的に多く、海外からのメールが度々届いたことも書き手として新鮮な経験だった。

 この連載を大幅加筆し、2013年12月、「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)を出版した。新聞やネットとは異なる読者層にも読まれ、「第13回新潮ドキュメント賞」の最終候補作に選ばれるなど、高い評価をいただいた。講演の機会も増え、精神医療を変えようと各地で地道に活動する方々との交流を深めることが出来た。

 だが、この数年で精神医療改革は進んだのだろうか。牛歩のような変化は散見されるものの、過剰診断や不適切投薬などの問題は、むしろ悪化する気配もある。

 2013年から2014年にかけて、厚生労働省は精神医療改革に関するいくつかの重要な対策を打ち出した。ところが、関連学会の抗議や政治的な力によって、骨抜きになったものもある。向精神薬の処方剤数を診療報酬の減額で規制する仕組みは、その典型だ。

 精神疾患で医療機関にかかる患者は、約320万人と推計される。がん(約152万人)や糖尿病(約270万人)などと並ぶ5大国民病(厚生労働省指定の5大疾病)なのに、メディアが一般向けに発する精神疾患関連の情報はあまりにも乏しい。

 そこで今回、新たな連載を始めることにした。情報の欠落を、わずかずつでも埋めていきたい。精神医療のダークサイドに再び斬り込むだけでなく、どうしたらブライトサイドを拡大できるのか、読者のみなさんと共に考えていきたい。

◆           ◆

2014年12月、神奈川県の広報紙に掲載されたわずか3項目の「うつ病チェック」

安易な自己診断表で受診すると……

 2014年12月、神奈川県の「県のたより」を何気なく開いた私の目に、「毎日ちゃんと眠れていますか?」「もしかしたら、それは『うつ病』かも」という大きな見出しが飛び込んできた。

 「またか」。思わず声を漏らしていた。わずか3項目だけの「うつ病」チェック。こうした雑な自己診断表は、これまでも全国各地の広報紙に掲載され、過剰診断、過剰投薬の呼び水となってきた。

◎ 疲れているのに2週間以上眠れない日が続いている

◎ 食欲がなく、体重が減っている

◎ だるくて、意欲がわかない



 この3項目にあてはまる人の中には、確かにうつ病の人もいるだろう。だが、それは一部にとどまる。大きなストレスを受ければ、満足に眠れない日が続くことは珍しくない。食欲低下やだるさは、だれにでも頻繁に起こりうる。埋もれがちな患者を医療につなげるためとはいえ、多数の健康人を惑わすような広報が、果たして適切といえるのだろうか。

 更に、このうつ病チェックには別の問題もある。精神疾患の国際的な診断基準「DSM―5」が、うつ病の主症状として挙げている「睡眠過多」「食欲増加」「体重増加」などが、完全に抜け落ちているのだ。これでは逆に、うつ病が見逃される恐れもある。

 このような安易なうつ病チェックで不安になり、「病者意識」が芽生えた人が精神科や心療内科を受診しても、医師が基本的な診断能力を身につけてさえいれば、問題は深刻化しない。精神科医の井原裕さんが以前から指摘しているように、多くはうつ病患者ではなく、「悩める健康人」なのだから。だが、ろくに話も聞かずに「うつ病」と決めつけ、抗うつ薬や睡眠薬をすぐに処方する医師が絶えない現状では、受診がかえってあだになり、心身の健康が脅かされる事態が生じていく。


中村勘三郎さんも被害に

 一例をあげてみよう。2012年に57歳で亡くなった歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎さんのケースだ。妻の波野好江さんの著書「中村勘三郎 最期の131日」(集英社)に、精神科での災難が詳しく記されている。会話部分を同書から引用させていただき、紹介してみたい。


 事の起こりは2010年暮れ。ひどい倦怠けんたい感などに見舞われた勘三郎さんは、東京の総合病院に入院した。当時、東京・東銀座の歌舞伎座は建て替え工事中で、集客力の低下が懸念されたため、勘三郎さんはこれをカバーしようと、例年以上に多忙な毎日を送っていた。

 こうした状況からみれば、体調不良は過労の影響と考えるのが自然だ。好江さんは同書に「更年期障害だったとしか思えない」とも記している。ところが、勘三郎さんを担当した精神科医は、十分な診察もなしにこう言い放ったという。

 「あなたは五十六年間そう病だったんですよ。それで今ウツになられてしまった。(中略)悟りなさい。長くやってたんだから、もういいじゃないですか。定年ですよ」

 勘三郎さんは我が耳を疑い、「えっ、僕、芝居、できないんですか?」と聞き返した。すると、精神科医はこう続けたという。「こういう病気になった人はもう台詞をしゃべれません」。

 勘三郎さんはショックを受け、以後、次々と処方される抗うつ薬などを飲み続けた。しかし副作用に苦しむばかりで、病院を替えても好転しなかった。結局、回復に導いたのは薬を使わない医師だった。この医師はきっと、勘三郎さんがうつ病ではないことに気づいたのだろう。

 勘三郎さんは元気を取り戻したが、すぐに食道がんが見つかり、手術後に亡くなった。もし精神科での不要な遠回りがなければ、食道がんはもっと早く見つかっていたかもしれない。そう思うと残念でならない。


 精神疾患のほとんどは原因が分からない。研究者たちは、科学的根拠に基づく精神医療を確立するため、日夜努力を続けているが、臨床現場を劇的に変える発見は当分見いだせそうもない。ある精神科医は、検査や治療の劇的進歩を「20年から30年先」と予想し、別の精神科医は「50年先」と予想する。

 まだしばらくは、曖昧模糊もことした精神医療を受け入れるしかないのだが、それならばせめて、患者が「受診してよかった」と思える医療体制を築いて欲しい。そのために記者の私ができることは、患者や医療者の声を幅広く拾い、伝え続けることだと考えている。

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佐藤写真

佐藤光展(さとう・みつのぶ)

読売新聞東京本社医療部記者。群馬県前橋市生まれ。趣味はマラソン(完走メダル集め)とスキューバダイビング(好きなポイントは与那国島の西崎)と城めぐり。免許は1級小型船舶操縦士、潜水士など。神戸新聞社社会部で阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、2003年から医療部。日本外科学会学術集会、日本内視鏡外科学会総会、日本公衆衛生学会総会などの学会や大学などで講演。著書に「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)。分担執筆は『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ)など。

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