元記者ドクター 心のカルテ
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精神療法の実際(4)…独白から対話へ 苦悩の訴えを授受
窮して、地ならしを経て、動き出す。静かにたたみかけた。
「身内から暴力とはずかしめ受けて、逃げようもなく、耐えるしかなかったのですね」、「呼吸困難に陥るほどの喘息発作がいつ起きるともわからず、身がまえし通しで、あなたのお話をお聞きして、息がつまってきて、いたたまれません」、「苦境をみずから打ち破りになり、ようやく落ちつかれたのに、自身の落ち度でつまずいたのならまだしも、不況のあおりをくらってしまわれようとは――」、「あげくに、就職活動をどれだけお重ねになっても、世間が受け入れようともしてくれない」。
男性は目をしばたたき、いつの間にか背筋を伸ばしていた。「ええ」と、都度に低くうなずいた。
「八方ふさがりでいらっしゃる」
「ええ、八方ふさがりです」
独り語りに陥りがちな男性を先回りし、対話に持ち込む。孤独の闇に、二人称の光を差し入れ、「間」を熟すに任せた。
「それで、何をやってもだめだって、そうなってしまうのですね――」
「ええ。履歴書を送ったって、門前払いです。チャンスすら与えてくれません」
「苦境をうち破ろうにも、チャンスすらない――。それでは、あまりにも――。ああ――」
「ほんとうは、生活保護だって受けたくないんです。世間にやっかいまでかけて、生きていたくない」
「自分の力によって立って生活できないまま、生きがいを感じようっていったって。そう、まったく――」
手前の述懐は、うなるばかりの語尾の揺らぎに宿されているようだった。
「ええ、そうなんです。生きていたって仕方ないんです」
深く嘆息し、しばらく沈黙に間をゆだねた。
臨床で「標語」を弄する愚
「生きていても仕方がない」、「死んでしまいたい」という先方の闇の底に、着地できたかは、心もとない。この先は、闇の中で浮かび沈みつ懊悩し、ともに浮かぶ瀬を、しぶとく探し続けるばかりとなる。
だが、この機に至ると、懊悩に疲れ、荷を下ろしたい誘惑に襲われる。
専門家然と居直って、「生きる意味を見失い、死にたいと思ってしまうのは、それこそが“うつ”の症状です。治療で楽になります――」などと、診察の場で多用される紋切り型の口上を、あやうく弄しそうになる。紡いできた主観の綾が、とたんにト書きに裏返り、「間」がきしみ、一転して先方を見下し、先方も手前もふたたび、めいめいの孤独の闇に突き落とされかねない。
「がんばらない」、「励まさない」、「“うつ”は必ず治ると伝えてあげて、安心してもらいましょう」などと、耳触りのよさがかえって鼻につく、巷間に飛び交う紋切り型の標語を、場をわきまえずに弄する、そのしたり顔の、なんとてらてらと、わざとらしく光っていることよ――。
懊悩のうちにようやく踏みとどまり、ト書きに逃げる誘惑をあやうく払いのけて、精神的不調を抱えた方々を前にしてなお、逃げたい、楽をしたいと懈怠に明け暮れようとする、手前の性根を知る。
愚痴の闇は、どこまでも深い。
(次回に続く)
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