元記者ドクター 心のカルテ
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精神療法の実際(3)…「生きていても仕方がない」患者の苦悩
「何をやっても、意味がないし、気力が出ません」
「生きていたって、仕方ありませんよ。死んでしまいたい」
「“うつ”を治したいから、こうして何年も精神科に通っているんです」
再診に訪れるなり、件の男性は、ぶぜんと言い並べた。
にらみつける眼差しで、「窮状はわかったでしょう。ならば、どうしてくれるのか」と言わんばかりに、こちらを値踏みする。
さあ、お好きに取り計らってくれ――。自身のあるじの座を明け渡し、ふてぶてしく五体を投げ出し、べたつきもたれかかる。
迫りくる湿った重圧に、腰が引けてくる。逃げ口上をほのめかそうものなら、「出方によれば、死にますよ」と、先方は「命」を駆け引きにちらつかせる。袋小路に追い詰められ、困窮したのも束の間、「どうせ、生きている意味なんて、ないじゃありませんか」と、答えが出るはずのない謎解きの一撃に、とどめを刺される。
手も足も、言葉も出ない。気づいてみれば、全権を奪われ、絶対服従を強いられていた。
「命」を駆け引きに使うしたたかさ
卑怯千万。
寄る辺なさを言い沈んで誘い寄せ、首座を明け渡し、無防備に助けを懇願しておきながら、「命」を人質に、いつの間にか、生殺与奪の権を握って、医療をほしいままにしゃぶりつくそうとは――。
「そうやすやすと、手には乗るまい。手前を、精神科医療を、買い被りにかかってきたものだ」と、勢猛にひとしきり先方を勘繰り巡る。
独り語りが極まり、ここに表白するにはあまりにも醜悪な感情が渦巻いてようやく、行き過ぎに気づいてきびすを返し、手前自身を手なずけ、たしなめる。
「いつまで先読みを巡らせたままでいるのか。僻目にも程があろう」
すべて愚痴だった。先方を言い伏せ、矯めて、牛耳ろうと、たくらんでいたのは、むしろ手前だった。腹底で雀躍する天の邪鬼の僻言に、すっかり耳を貸してしまっていた。なのに、うやうやしく診察を気取ったりして、胡散臭さにあきれ果てる。
てこずってようやく「地ならし」が成り、先方の物言いが、しとしとと染み入る。
闇にさいなまれ 「同士」と支え合う
手前の闇に煩悶せずして、どうして、先方の苦悩の底に逢着できよう。
苦悩は、当人にしかわかりえない。ならば、「闇を抱えた、弱い者同士よ」と、めいめいが底に落ちて呼びかけ合い、肝胆相照らすより、ともに歩む道はない。
同情やら、共感やらと、そんな水晶玉のような澄んだ顔つきなど、もとよりできるはずがないと、高をくくっておくに越したことはない。殊勝にも「分かってあげたい」などと感傷すれば、早晩、うわべの忠告や傍迷惑な世話焼きを繰り出してしまったりし、先方を見下すに陥る。
手前の愚痴の闇を、徹底して掘りえぐるしかない。すると、愚痴の汚泥に四肢を引きずり込まれ、浮かぶ瀬のない手前こそ、先方の苦悩にまみえたのを好機に、利用して這い上がろうとしていたと気づき、そのあざとさに戦慄する。愚痴の闇は底なしで、手前の力ではとても掘り至れるわけがなかったのだ。
もっとも、こう表白する側から、卑下を誇って、どこまでも浅ましい。(次回に続く)
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