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元記者ドクター 心のカルテ

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精神療法の実際(2)…いつもの流儀で信頼を得る

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「ああ、そうか」「弱りました」

 無頼漢然とした男性は、鬱陶うっとうしそうに不審の眼差まなざしを垣間見せてはいたものの、いつもの流儀で水を向けると、意外にも雄弁だった。

 「いつもの流儀」。もったいをつけるには及ばない、陳腐な“心得”にすぎない。気後れするが、あえて種を明かすと――。

 

 「ただ、耳を傾ける」

 

 そんなものかと、哄笑こうしょうを招いてしまったと、想像するに難くない。ここで一席、講釈をお許しいただかないと、飽きられてしまうのがおちだ。

 無理やり言い膨らませると、こんなところだろうか。

 「ああ、そうか」「しようがない」「弱りました」と、吐露するよりほかなくなるまで、ただ聞き込む。

 先方の投げかけに、情景がありありと目に浮かぶまで耳を傾ければ、事情が読み解け、おのずと共感を覚えよう。投げかけを、無条件に受け入れざるを得なくなる。それでも、受け入れられなかったら、手前の“狭量”を嘆き、途方に暮れ、許しを請うばかりだ。

 許しを得られなければ、どこまでもへりくだるよりなく、卑下慢ひげまんを口上する一人喜劇に陥る。対話あってこそだ。許し合う。

 「ああ、しようがない。弱りました」と呼応し、いずれにも行き着く道が絶えてはじめて、「この先、どうしたものか」と、一蓮托生いちれんたくしょうに至る。ならば、と、いよいよ手前の十八番のお披露目どころだ。症状を見定め、診断し、治療やリハビリテーションを繰り出すといった、一連の歩みが、都度に開けてくる。

 

来し方を表白 表情が柔和に

 まるで「問わず語り」だった。

 幼時を振り返ると、記憶が抜け落ちていた。時間軸は断裂し、入り乱れていた。無理に手繰り寄せると、飲んで暴れる父と、逃げきれずに恐れ忍従する母の姿が陰影をなし、夢のようだ。嘆願と制止も虚しく、母もろとも、罵声と手拳をたびたび浴びたようだが、虚実が判然としない。辱められ号泣する妹にも、兄としてなすすべがなく、恐怖と罪悪感との相克に、意識が遠のいた。

 学童の時分までには、父の姿は消えていた。母は水商売で一家を支えた。

 幼少期から重い喘息ぜんそくを患い、たびたび呼吸困難に襲われた。救急搬送され、麻酔をかける間もなく、メスで喉を切り割られ、一命を取り留めたこともあった。母は、気ぜわしく体を気遣ってくれた。

 義務教育を終えて、食品関係の業者を転々とした。一時は店長に抜擢ばってきされたが、リーマンショックのあおりを受けて、30歳半ばを過ぎてリストラされた。以来、50通はくだらない履歴書をしたためては応募したが、大方は書類選考で落とされた。面接にこぎつけても、はなから疎んじられ、緊迫して呼吸が乱れて、まともに受け答えができなくなってしまった。惨めをさらし、無学を嘆いた。

 母は老いやつれ、生活保護で口にのりした。妹はぐれて家を飛び出していた。風俗店を渡り歩き、派手に交遊しているようだった。知人にそそのかされ、性を売った。

 信じ、頼るべきものが何一つなくなった。夕暮れになると、孤独が募り、不安、過呼吸、頭痛、胸痛が襲った。職業安定所に向かう勇気すら、萎えた。

 蓄えが底をつき、生活保護を受給した。張り詰めていた構えが、一気に弛緩しかんした。生活を立て直すどころか、昼夜が逆転し、無為に甘んじた。

 「生きていても仕方がない」と、リストカットを繰り返した。

 福祉担当者に勧められ、精神科を受診した。「うつ」と言われ、通院し続けたが、気分はいっこうに晴れない。診察は毎度、睡眠薬を上乗せしたり、抗うつ薬を変えてみたりと、薬のやり取りに終始した。

 「何をやっても、らちがあかない」

 捨て鉢になり、通院先を変えた。手っ取り早く現状を変える術が、他にはなかったからだ。

 男性は時に嗚咽おえつ しつつ、し方をつまびらかにするうちに、猜疑さいぎ、憤怒は、穏やかな物憂いに移り変わっていった。

 「ああ、そうだったのですね」「どうにも、致し方がありませんでしたね」「伺うほどに、弱りました」――。折々に、そう嘆息せずにはいられず、手前こそ、眉間、鼻梁びりょう、口唇に力が入り、顔が真ん中に寄って尖って、苦渋を食らった形相になっていた。

 「診察で、これだけ聞いてもらえたのは、初めてでした」

 幸い、信頼を手向けてもらえたようだ。一方で、買いかぶられていやしないだろうかと、危惧した。

 持ち上げられて、無防備にしたり顔になろうものなら、期待を込めてもたれかかられ、先方自らが担う役割まで託されかねない。結果として、自助を阻んでしまうのだ。

 初回にしては、聞き過ぎてしまったと省み、買い被りに用心した。

 (次回に続く

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