元記者ドクター 心のカルテ
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実は広汎性発達障害だった…セカンドオピニオンで人生に転機
読者のメールから
統合失調症で長年通院してきた家族は、実は広汎性発達障害だった。思い切ってセカンドオピニオンを求めて、人生が変わった――。
本紙メディア局編集部を通じて、読者からメールをいただいた。
統合失調症の概念は今なお錯綜し、鑑別に苦慮を強いられている。当連載『特異な言動の女性、統合失調症との診断に行き詰まり…(前編)(後編)』にも、その一端を記した。だからといって、「そもそも鑑別は難しい」と逃げ口上よろしく、暫定的に診断したまま省みず、あらゆる疑義に目を閉ざしてしまっては、“無為”のそしりを免れない。
年来の“なじみの患者さん”を目の前にしてなお、確かな診断と治療に向けてしのぎを削る姿勢が求められている。
「誤診、過剰処方をなくしてほしい。一生がかかっているのだから」
読者の悲痛な叫びを紹介させていただき、自戒としたい。
新たな指摘 主治医と異なる見解
メールの内容は概ね、以下の通りだ。
幻聴や感情の鈍麻が続き、高校2年生から4年間、家に閉じこもっていた。主治医からは統合失調症と診断され、少なからぬ量の治療薬を処方された。家族から見ても、薬で過剰に沈静されていると思われ、それがために、統合失調症であるかのようないで立ちだった。
薬の量が心配になり、インターネットで徹底的に調べた。セカンドオピニオンという制度も知り、試しに別の精神科を受診してみると、「成人の広汎性発達障害」と診断された。
後日、主治医を訪れ「広汎性発達障害ではないでしょうか」と伝えると、「違う」と断定されてしまった。主治医の強い口調に戸惑い、別の精神科を受診したてん末を、打ち明けざるを得なくなった。件の医師の見解を伝えると、「そんな話は聞きたくない」と怒鳴られてしまった。
主治医を代えた。徐々に薬は適量となり、社会参加もできるようになっていった。
「幻聴があった期間は、薬は必要だったと思います。でも、量の多さが気になりました。インターネットやセカンドオピニオンでわかってからは、あのままでは治るはずもなかったと、実感しました」
「同じような方がたくさんいます。中には、幻聴や妄想すらないのに、統合失調症の薬を出されている方もいるようです。そのような方にセカンドオピニオンの受診を勧めても、主治医を信じ切っているようですし、そもそも、疑うだけの情報がありません」
「統合失調症と診断された方に、(広汎性)発達障害の可能性がないかどうか一考してもらうような啓発ポスターを、医療機関に掲示してほしい」
伝統も流行も、過ぎたるは害
精神疾患の枠組み全般が、国と時代によって変遷し、いまだに決着がついていない。広汎性発達障害はかつて、統合失調症と診断されてきたことも事実だ。
メールに目を転じ、仮にセカンドオピニオンの医師の診立てが正しかったとして、件の主治医を、誤診したと一概に揶揄することはできないだろう。しかし、自身の沽券を墨守し、「発達」という軸に目を閉ざし、過剰な治療を省みるチャンスを逃していたならば、「誰のための医療か」と、そしりを受けても仕方があるまい。
ここ十数年来、精神科臨床の現場は、流行めいた枠組みに翻弄されてきた。境界性人格障害、多重人格、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、現代型うつ、双極Ⅱ型障害、そして、(広汎性)発達障害――。ことによると、同じものを違う器に移し変えただけで、したり顔になっていたりもした。
最近は、とある薬の販売戦略か、「大人のAD/HD(DSM-5では“注意欠如・多動症”)を見逃していませんか」とばかりに、煽られている。件の薬をはばからず投与している向きも散見され、苦々しさを通り越し、嘆息しうなだれる。
守旧に過ぎ、新たな枠組みを拒み、これまでの過剰な治療から抜け出す端緒をみすみす見逃す。流行に飛びつき、過剰な診断、投薬の罠にはまる。害あるのみだ。
伝統、流行のいずれにも謙虚でありたい。精神的不調をきたした方々の疑義に耳をすまし、自身の愚行に敏感でありたい。
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