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17件 のコメント

教育における個人主義と集団主義のブレンド

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

錦織選手というケースで見ると皆さんの中で見えにくい部分もあると思いますが、ビル・ゲイツでモノを考えるとわかりやすいと思います。

ビジネスにおける傑出した個の果たす役割が大きくなったことで、政府としても教育の在り方そのものを考えざるを得なくなったと考えるべきだと思います。

より多くの80点の人材よりも150点や1000点を出す人材が一人でも多く出ることで国家や地域の稼ぎ出す能力が変わる時代です。
(今は傑出した個だけでなく、彼らを理解し支えるような人材も重要視されているのではないかと思います。)


だから、ゆとり教育が出てきたのだと思いますが、「ゆとり」という名前と与えられたゆとり時間の使い方を多くの家庭が理解できなかったことで不利益が大きくなった部分もあるのかもしれません。

けれども、それはゲームにおけるルールチェンジに適応できるか否かの問題でなかったかと思います。
また、極端な成功や失敗だけをクローズアップすると理解がゆがみます。


家庭力だなんだといわれても、すべての人に救いはありませんし、与えられた環境の中で、変えられる要素とそうでないものを切り分けて、うまく自分を伸ばしていける、生きていける能力というものが大事なのかもしれません。

長時間椅子に座ることと勉強することはイコールではありませんし、経験だけが学びでもありません。
また、個々人の学習適性も違います。
でも、個々人の最適な学習スタイルが与えられるわけでも許容されるわけでもありません。
要はそういう当たり前のことを理解してどういう距離感でお付き合いするかの問題ではないかと思います。

医療においても、同じようなことが言えるのではないかと思います。

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才能に投資してもらえる環境を

KEIのファン

錦織君が大活躍し、マスコミで取り上げられていますが、かなり間違った情報もあります。
松岡修造さんが、世界で戦えるテニス選手を育てるコトを提唱して、修造キャンプなるものを開催してますが、錦織君は、これを嫌ってアメリカに行ったわけではなく、ここから選抜されてアカデミーに入学しています。おまけに、この留学にはSONYの会長だった盛田氏が基金を作ってくださって、そのお金で留学しています。

そういった環境で自らも努力し、つかみとったものなのです。事実、錦織と一緒にアカデミーに留学した何人かは、帰国を余儀なくされています。

ゆとり…とは正反対の、親元を離れ過酷ともいえる環境で切磋琢磨したからこそ、今の錦織君がいるのだと思います。

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ゆとり など、考えてはいけません

埼玉のシニア

ゆとり の解釈で価値観が変化していきます。一時日本でも ゆとり の名のもとに教育内容が緩やかなものに変わりました。そして世界から遅れてしまいました。

いつも思うことですが、日本人の考え方が極端で左右に大きくずれ、ずれてもそれは個人の考え方であると突き放し、直ぐ変えようとしないから世界レベルから離されていきます。教育も同様で、是は役人の独りよがりの、本当の現場を知らない人間の、下手なダンスです。
詰め込み過ぎでも、そために置いていかれる生徒が出ても、それは教育現場とは関係なく、その人間の能力や環境によるものであり、それに気がつくまで放任するのが本来の教育なのではと考えます。ゆとり を与えてどうするのですか。

自分の才能や能力や行動が、どんなに大切かを教えるのが教育だと思います。一方でどんどん進みたいのに、後ろから息せき切って来る生徒が居るからと、休憩の指示を出すのは、それは単なるハイキングです。教育は違うのです。

何事でも世界で一番になる為に、ゆとりはそうしたいと思う人に任せて、突き進んでもらいたいものです。科学、医療、文学など、それこそノーベル賞をとれる人間の教育に、是非突き進んでもらいたいのです。そのためモーレツに、勤勉に、ゆとりは感じさせながら、勉強してもらいたいのです。

ノーベル賞をもらう事。  で我々凡人は鼻が高く、まるで自分の事のように日本人の優秀さを感じるのです。凡人のために、優秀な人間形成をゆとりの名のもとに、葬り去ってはいけません。

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ゆとり教育の成功例か、敗北か

一心軽妙

最後まで日本で教育を受け、秀でたのならゆとり教育、日本の社会の成果でしょうが
スポーツ・芸術・科学にしろ成功者は、いかに若いうちに日本に見切りを付け
欧米で延びるかが、鍵となっている様に思えます。
松岡スクールのスパルタ精神論から早期にアメリカの合理的トレーニングに切り替えたようです。
お金は盛田さんの組織援助のようで幸運だったようです。
一つの特異点でゆとり教育の成果というのは、無理があるのでは
もちろん本人の努力才能が秀でていたのでしょうが、
なぜ日本で延びないのでしょうか


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ゆとり教育と関連はあるのか

マリヒト

パンパシフィック水泳で活躍した選手と年代が被るので、ゆとり教育の成果と見る向きもあるようだがそれは違う気がする。イチローは?田中マー君はと対象を広げて見る。またゆとり教育世代の他の子供達の生活をそうでない世代と比較しないと軽々に判断できないだろ。錦織の子供時代の興味はゆとり教育と関係はあるまい。音楽の才能あふれる子供が幼少期に大家に見出されて、留学して大成する話は結構あるものだが、そこにはその子を取り巻く環境が経済的に裕福であったという幸運や、同じテニススクールで親の執念で世界のトップに立ったシャラポアのように国がどうしたというより、個人的な環境の影響が大きいと思う。

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見守る慎重さがほしい

健康増進法

今回はテニスということですね。
これは得意な部分は勝手に伸びるとは思います。
スポーツでは弱点になる部分を克服しないと無理でしょう。

本人自体にそれを乗り越える環境と素質があったのでしょうね。
どうしても得意だから伸びたと思いがちだけど、苦手を克服していかないとスポーツでもなんでも難しいです。

なによりスポーツの場合は、怪我等したときの回復力がものを言うので、そういう見えない素質は大事ですね。
あとスランプなどもあるでしょう。

そっくり真似すればと思いがちですけど、自分にあった方法を日々見つけていくだけでしょう。日々変化するので不断の努力っているのは皆そうですから、なになにのおかげでと言い切れないと思います。

この選手がスランプの時に見守る気持ちが今は一番大事だと思います。
あれだけの試合をしてますから、体を相当消耗しているはずです。

本人はきっとまわりが騒ぐほど完成していないと思ってますよ。
連勝とかあまり考えないで見守っていきたいと思います。
ゆとりを持つのは見ている私たちではないでしょうか。

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ゆとり教育より家庭力

鈴木 実

ゆとり教育を実践しているオーストラリアを見てください。褒めて育てる、学校の評価には絶対悪いことを書いてはいけない、やりたくないことはやらなくて良い、宿題はない、休みは日本よりひと月多い、この結果どの様な人材が育っているか、貴方には分かっていません。ノーベル賞をとった人もいなければ、世界一になった技術は何もありません、音楽、絵画などの芸術でも世界的に有名な人はいません。わずかにテニス、ゴルフ、水泳にトップ選手がいたのみです。更に離婚率と言えば60パーセント近い。我儘、自分勝手、仕事の作業率は低く、怠ける、時間はルーズ、月、金曜日はすぐ休む、自分が楽に、楽しめればそれでいいと考える、そういう人材が育っては、資源のない日本では困ります。錦織君が優勝したのは、ゆとりから出たのではなく、親がきちんと学問もスポーツも生活も指導して育てた「家庭力」が源になっています。ゆとりでは精神力など育ちません。忍耐力のない我儘に育つだけです。日本の教育は本当に素晴らしいです。自国の教育にもっと自信を持ちなさい。海外のモノマネは日本では通用しません。なぜなら、すでに優れたものを持っているからです。だからもっと自国の教育に自信を持つことです。オーストラリア在住、鈴木。

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英才教育に方程式は無い!

King of Jijii

一つの偉大な成功例から 普遍的な答えを引き出そうとする事は 大変危険だと思います。
錦織選手の快挙は素晴らしい事ですが 学ぶべき事は唯一つ 全身全霊をこめて努力する事!
それだけで充分だと思います。

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一人の成功者の影には

”ゆとり教育”???

錦織選手の活躍は、本当に素晴らしいと思います。
しかし、彼の活躍が、ゆとり教育の成功例 というタイトルに、直に共感することができません。
錦織選手の存在は、本人の才能と超人的な努力に加え、テニス関係者の、日本で世界に通用する選手を育てる、という悲願に沿った研究とその実践、また、家族の徹底した協力、コーチとの出会いなどの運、にまでも支えられたものだと思うからです。
私は、テニス関係者の方々が、指導者を育てるためのコーチの海外研修、才能あるジュニアの海外派遣制度などの確立を当初の費用捻出も含め、地道に行ってこられた経緯の一部を身近に見せていただける環境におりました。
以上を踏まえて考えると、錦織選手の例は、ゆとり教育の成功ではなく、幼少から才能ある選手を見出し、徹底した指導を行うという、ゆとりとは正反対のエリート教育の賜物、としか思えません。
また、錦織選手と同様に日本はおろか、ヨーロッパ各国などからテニス留学したジュニア選手を数多く見てきていますが、子供のころに天才の名をほしいままにしたからといって、そのままプロとして世界に通用するかと聞かれれば、大部分については残念ながらNOと断言できます。
四大大会ジュニアで優勝した選手でも、プロに転向して成功するとは限らない、そういう世界です。あふれる才能を発揮していても、あまりに危険な賭けをわが子にさせたくない、と勉学重視の方針を崩さないご両親も沢山おられます。それもまた、わが子の将来を思っての行動です。
ですから、安易にゆとり教育の成果と報じていただきたくありません。
また、彼のような本当に稀有な存在は過剰な取材で煩わしい思いをさせたりせず、そっと見守っていただきたいと思います。

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才能と親の役割

2児の母

子供がスポーツや芸術の習い事を始めた時、その集団には、一人二人は「才能あるな」と思う子供がいます。
そうでない子供は、それ以外の力(コミュニケーション力、学力、お愛想力、真面目力など)があるだけの話です。

習い事において才能がある、と指導者に見込まれた者は、生活をそれにかけるという選択をしなければならず、その代わりに大なり小なり周りのサポートを受ける事ができます。
錦織圭選手も、ここまで来るのにすべての費用を自腹で払ったわけではなく、テニス基金の援助を受けてアメリカに渡っています。

大切なのは、ゆとり教育でも裕福な実家でもなく、我が子の才能を見極め、できる限りのサポートと決断をしようと覚悟する親の姿勢ではないでしょうか。
その力が、プロの世界でお金の稼げるテニスや野球でなくてもです。

日本から素晴らしい若者が出ると、皆「どんなふうにして育てたのか」ということに興味が湧くようです。

錦織圭選手のご両親が、彼の才能を伸ばす為にできる限りのサポートをし、常に選択と決断と実行を繰り返していたことは尊敬に値し、子育てが大成功だった、というのは確かだと思います。

でも、人間は一人一人才能が違うのです。
全米オープンで準優勝する才能もあれば、周りの人の空気を読む天才もいます。

自分の子の姿を見つめ、できる限りのサポートをする覚悟があるか、親がそうできるほど自制心があるか、親として自分を見つめ直す事が必要だな、とこの記事を読んで改めて感じました。

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