文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

石井苗子の健康術

yomiDr.記事アーカイブ

亡きあの人に伝えたい…電話線のない電話ボックス

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

(絵本「風の電話」のすばらしさ)

 コメント欄でご質問いただいた件ですが、基本的に医師はパワハラが原因で病が改善しないとは診断書に書けません。一方からだけの話では判断できないこともあるからです。前回の医師のアドバイスは、パワハラが病の原因だと思うなら、とことん追求して闘ってから次を考えましょう、それをしないで「死んだ方がましだ」などと考えてはなりませんという意味です。言葉が足りなくて申し訳ありませんでした。

災害時の避難所も進歩

 ここのところ、広島県の土砂崩れ災害のニュースが続いています。私の東日本大震災の支援活動は今も継続していますが、その当時のことを思い出していました。広島のある避難所に、段ボール製の簡易ベッドが並んでいるのを見て、3年前にはなかったなあと思いました。大震災の経験から日本の避難所の設備は進歩しつつあると感じています。防災グッズや設備の技術はこれからも発展していくでしょうし、ボランティア活動も徐々に広まっていくと思うのですが、広島で災害に合われた方々もおっしゃっていたように、被災者の方々は避難所から戻ってきてからの生活の方が心に重くのしかかってくるのです。失った家、亡くした家族、仕事も当然のことながら、これまで積み重ねてきた日常生活を元に戻すところからはじめて、生きていくことは経験者にしかわからないつらさだと思います。とくに自分の人生で大切に思っていた人が亡くなられたと知らされたとき、どうしたら気持ちが和むのでしょう。

「風の電話」に求める心のよりどころ

 震災後、岩手県大槌町に設置された、電話線のつながれていない「風の電話」は、人があまり通らないところに置かれたままになっているそうですが、この電話ボックスをモデルにした「風の電話」という絵本が好評です。本の人気のせいで現地が観光スポットになるなんてことが起こらなければいいのですが、「心のよりどころがほしい」という人々の思いを受け止める場所や人が、どうして日本には少ないのかと思いました。もしかしたらそうではなくて、日本人が人に何かを打ち明けるという行為に不慣れなのかもしれません。

なぜ「懺悔室」で罪を打ち明けるのか

 アメリカに住んでいたころ、日曜日ごとの礼拝時に「懺悔ざんげ」を申し出る人がいました。たとえ犯罪を打ち明けたとしても牧師は相手に黙って警察に通報することはありません。懺悔を試みた時点である程度の覚悟があってのことと知っているからなのでしょうが、だったらなぜ出頭する前に懺悔をするのか、若かった私にはまったく理解できませんでした。中には、それこそ風の電話のように、あの人に伝えたかった胸のうちを訴える人もいます。でもそこには牧師か神父か、いずれにしても聞いている人間がいるのです。その人の職業を信用して打ち明けているのでしょう。

 懺悔室は、実際は線がつながっていない電話ボックスに入り、受話器を耳にあて、相手に聞いてもらっていると想像しながら話して帰る「風の電話」システムとは、ちょっと違います。

 「風の電話」は大変いい話ではありますが、心温まるかと言えばどうなのでしょう。

 一方で、日本の寺や神社には、教会の「懺悔室」のような役割はあるのでしょうか。

 今ごろになって疑問に思います。私の近所に、悩みを打ち明けられるような住職がいません。

「風の電話」がカウンセラーの代わりに?

 個人が胸のうちを軽々しくブログに書けば炎上することもあるような現代社会だからこそ、人々はさびしい場所の電話ボックスの方の受話器を取って「もしもし、おかあさん?」と話しかけ、返事が返ってこなくても、きっと聞いてくれているのだと信じて話し続ける。本当の人間がそこに居ないから本当のことが言える。「うそをついて、ごめんなさい」ともいえるのでしょう。

 これで気持ちが和む人と、そうでない人がいるとすれば、「風の電話」のシステムは奥が深いと思いました。

 もしかしたら病院や、避難所に電話線がつながっていない電話ボックスを置いて、その日その時に感じたことを話して帰るという方が、カウンセラーに打ち明けるより気に入られてしまうのではないかと心配になりました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

石井苗子さん顔87

石井苗子(いしい・みつこ)

誕生日: 1954年2月25日

出身地: 東京都

職業:女優・ヘルスケアカウンセラー

石井苗子の健康術の一覧を見る

3件 のコメント

孤独と人間との付き合い方 偽装 代替行為

寺田次郎関西医大放射線科不名誉享受

独語やその他、しばしば病的と人に言われる状況が人にはあります。多くは程度問題ですが、その程度問題を指摘して他人を追い込んでいく人間がいることもま...

独語やその他、しばしば病的と人に言われる状況が人にはあります。
多くは程度問題ですが、その程度問題を指摘して他人を追い込んでいく人間がいることもまた残念ながら人間社会の現実です。


人前ではなくても、弱音や本音を吐けるという状況が、人にかかった過度なストレスを軽減し、心身の症状を和らげます。

もっと社会的な制限が厳しかった昔は和歌に想いを乗せたりもしていたのも似ています。
代替行為を人間は思いつくものです。

日本でカラオケが流行したのも、戦後は資本主義になりながらも社会主義的官僚国家の名残が染みついている証拠なのかもしれません。

孤独に本音をどこかに残すか、誰かに喋るか、形を変えて表現するかは人それぞれです。
その方法を知らないばかりに、心身や生活を崩していくのは悲しいものです。


先生は文頭で謝罪をされてますが、サッカーでPKを蹴らなかった者はPKを失敗しません。
あんまり気にしないでください。

本当に問題なのは度を過ぎたいじめやパワハラを実行し続けるヒトデナシの人間であって、先生の対処法の記載の甘さではありません。

つづきを読む

違反報告

山村の信徒と住職の役割

めざめたじいさん

 東京にも山村がある。水田もなく畑も石ころだらけ、急斜面を耕すのは一苦労だ。30戸の集落の生計は、少しの畑と林業の手伝いで立てていた。 父は、そ...

 東京にも山村がある。水田もなく畑も石ころだらけ、急斜面を耕すのは一苦労だ。30戸の集落の生計は、少しの畑と林業の手伝いで立てていた。
 父は、その集落の古寺に住職として派遣された。身ごもった母を連れて。

 父の最初の仕事は、村人にいい生活をさせることだった。急斜面でも育つものは梅、越生梅林に青年たちを連れ自転車を走らせた。梅の苗を、寺の費用で賄い高〇梅林を作り、寺の雑木山から榾木を切り出し椎茸栽培をさせた。出稼ぎで家を空けていた青年たちは、椎茸を観光客に売り、生計が少し楽になった。

 村の青年の文化は、ほとんどなかった。農作業が終わると、本堂に青年を集めバイオリンを教えた。バイオリンを弾きながら麦踏みする青年も現れ、古老から苦言が出たという。住職自作の鉱石ラジオ、天気予報を聞き気象の旗を立て、村人にその日の予報を伝えた。

 毎晩青年は寺に集まり、バイオリンを愉しむ傍ら、悩み事を住職に訴えた。後で聞くと「子どもが出来ないようにしたい」「恋愛を成就させたい」「病身のクスリを・・・」気象予報士、人生相談、村おこし、文盲対策、金融・・・住職は一人でこなした。

 住職が入滅したときに村人は別れを惜しんで泣いた。明治34年生まれの父であった。村の産業は未だに残っている。
 

つづきを読む

違反報告

愛とは??

キドニ

 私見なのですが,愛とは・・自分にとって失うことが辛い対象・・と思っています.親であり,また,子供であり.また友人やお世話になった人であったり....

 私見なのですが,愛とは・・自分にとって失うことが辛い対象・・と思っています.親であり,また,子供であり.また友人やお世話になった人であったり.時には,十何年も精いっぱいに動いてくれてた愛車であったり.
 仏壇や,墓前では自分や家族が健康でいることの感謝と同時に,見守っていてくださいね・・と心でかたりかけます.
普段の生活でもちらっとは思う事はありますが,襟を正して言葉ではきちんとは苦手な中,自然と心の言葉が沸き起こります.
 外国の懺悔部屋での相手は,おそらくは,「神」に対してでしょうが,恥ずかしながら私は日本人であり,宗派に属していながら,その誰に?はよくわかりません.ただ,現実に愛する人がこの世にいないことを理解してもなお,気持ちを話してみたいという叶わぬ気持はどこかに存在しています.通じることがない公衆電話であったとしても受話器の向こうから相槌をうってくれてるように感じずにはおれまません.

つづきを読む

違反報告

すべてのコメントを読む

最新記事