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元記者ドクター 心のカルテ

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特異な言動の女性、統合失調症との診断に行き詰まり…(後編)

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慢性期入院患者を再検討

 残念ながら、女性の乳幼児期を知る方とはついぞ連絡がとれず、「発達歴」はわからずじまいだった。

 一方で、女性の所作を範とし、慢性期病棟に入院中のすべての患者に目を転じた。「統合失調症疑い」と診断を留保していた中で、少なからぬ方々が、広汎性発達障害に該当するとわかった。

 拾い上げる症状にどの術語をあてがうかで、印象は一変する。広汎性発達障害の特徴を、従来の精神医学の術語で記載すると、はからずも統合失調症になってしまうとわかり、途方に暮れてしまった。


新知見か概念の変遷の結果か

 もっとも、これで途方に暮れてしまっては、精神医学の先人の営為をおもんぱかれば、手前の浅はかさ加減に恥じ入るばかりだ。

 精神疾患を分類するに当たって、境界線をどこにどう引くか。あるいは、境界線などそもそも引けないのか。また、判然と分類できないのであれば、いくつかの次元の異なる“ものさし”を用意して、それぞれの“ものさし”をあてがってわかったことがらを重ね合わせて、総じて捉えていくのか。先人の営為は、百家争鳴に陥った。

 アメリカ精神医学会が昨年、『精神疾患の診断・統計マニュアル』を19年ぶりに改定し、“DSM-5”としてお披露目したが、診断方法や疾患の枠組みを巡って、いまだに不協和音をきしませている。

 統合失調症を巡る古典をひもとけば、W.ブランケンブルク著『自明性の喪失』に登場する女性患者は、単純型統合失調症の範例とされてきたが、昨今、広汎性発達障害の可能性も示唆されている。E.ブロイラー著『早発性痴呆または精神分裂病群』は、「統合失調症(精神分裂病)」の“名づけ親”で、統合失調症の研究の金字塔だが、広汎性発達障害を彷彿とする記述が散見される。

 また、三、四十年前の精神医学の教科書には、「幼児自閉症(小児自閉症)も症候学的には分裂病(統合失調症)に属する」と記載されていたりもする。

 「単純型統合失調症」または「寡症状性統合失調症」。「統合失調型障害」または「統合失調型パーソナリティ障害」、あるいは、古くは「偽神経症性統合失調症」や「類破瓜病(るいはかびょう)」――。統合失調症の類縁疾患を追い求めた先人たちは、ひょっとしたら、広汎性発達障害の影を追っていたのかもしれない。

 統合失調症や広汎性発達障害のみならず、精神疾患の枠組み全般が、国と時代によって変遷し、いまだに決着がついていない、と考えるべきであろう。


診断マニュアル 経験なくして役立たず

 小児自閉症は、小児科医が幼児の段階ですくい上げるため、精神科医にはなじみが薄かった。小児自閉症やアスペルガー症候群など広汎性発達障害について、経験から印象をつかみ取る機会がほとんどなかったのだ。

 自ら経験して印象をつかまないことには、はたからどれだけ言葉で説明されても、腑に落ちない。説明する言辞ばかりが微に入り細をうがって膨張し、言葉は操れるが一向に実感がわかない。ここ最近まで、広汎性発達障害を巡っては、そんな有り様だった。

 例えが不適切で恐縮だが、南国のフルーツ「ドリアン」の臭い、味、食感は、どれだけ説明されても不可解だ。

 「便所でシュークリームを食べているようで、くささにあてられた」
 「ライチと濃厚なバナナの食感に、ムスクの香り。さすが果物の王様だ」

 まるで正反対の評価に、食べないうちは、高価で手を出せないことも相まって、興味ばかりがかきたてられる。機会があって口にしたところ、どの説明も一応腑に落ちる。一度わかれば、説明は不要だ。

 腑に落ちる経験がないまま、概念の説明だけで対象を理解しようとしても限界がある。

 ICD-10やDSM-5といったマニュアルに頼ってみても、臨床経験の裏打ちがなければ、疾患概念が浮かび上がるはずもない。

 実は、疾患を知るためにマニュアルをひも解いても、役に立たない。経験を携えた者同士が、再び百家争鳴に陥る前に、先ずは互いの立場を、窮屈ながらもマニュアルを使って示し合いながら共有するところに、真骨頂がある。ICDやDSMの使い方を巡っては、誤解がつきまとい、どうにも歯がゆい。


過剰診断と誤診

 精神科臨床の現場で、広汎性発達障害の方々をよく目にするようになった。「発達」の視点さえ携えていれば、日ごろ来院して下さるだけに、診立てに窮することも以前ほどではなくなった。十年以上前とは、隔世の感である。一方で、あえて厳かに、精神医学の古典的診断に立脚する向きもあろう。

 昨今、広汎性発達障害が、巷間の興味にさらされているように思えてならない。

 周囲の“空気”を顧みず、相手の感情をよそに、こだわり抜いた価値観を精緻に一方的にまくし立て、失笑を買って孤立する。そんなデフォルメされた人物像が、ドラマや漫才の題材にされ、耳目を集めたりもした。“オタク文化”への志向性も、一時流行した“KY”(空気が読めない)といった揶揄やゆも、広汎性発達障害と部分的に重なり合ってしまい、後味が悪い。

 学校や職場で“浮いて”しまい、抑うつや不安に至り、教師や上司、同僚から、専門家に診断してもらうよう促され、自ら「(広汎性)発達障害ではないでしょうか」と、精神科を受診することも、珍しくなくなった。

 広汎性発達障害は、正常と疾患の線引きが難しい。正常から重度の障害までがひと続きとなっており、DSM-5では「自閉スペクトラム症(自閉症スペクトラム障害)」と名称が変更された。

 それだけに、その人の“持ち味”を、やみくもに疾患として「過剰診断」し、治療の対象としてしまう危険があり、昨今、その傾向が現れている。

 また、「(広汎性)発達障害を統合失調症と誤診され、人生を台無しにさせられた例が後を絶たない」といった指摘も、散見されるようになった。

 先人の営為が百家争鳴に至った経緯、あるいは、統合失調症の概念の変遷をかんがみれば、そもそも、軽率に「誤診」とは断定できないはずだ。また、「“誤診”だと訴える批判の急先鋒せんぽう」も「過剰診断」も、実は表裏一体と気づかされる。

 誤診を揶揄するあまり、広汎性発達障害を過剰診断するわなにはまっているかもしれない。“表看板”を変えただけで、相変わらず治療をし過ぎてしまっては、元も子もない。統合失調症あるいは広汎性発達障害であろうと、過剰な診断と治療は、害あるのみだ。

 自戒しきりである。

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