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元記者ドクター 心のカルテ

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食べられない…命が傾く兆しの中、ぎりぎりの決断

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 食が細くなり、介助でようやく一口含んだはいいが、なかなか飲み込もうとしない。食べることそのものに関心を失い、勧めるそばから口をつぐんで拒絶し、不機嫌になる。飲み込むたびにむせ込み、たまらずに吐き出してしまう。また、誤嚥ごえん(食べ物を飲み込み、気管に入ってしまう)しても、反射的に不快と知覚することもなくなり、あるいは、むせ込む力すらなく、肺炎を繰り返す。

 精神科病院の認知症病棟に入院中のお年寄りに、そうした食欲不振、拒食、嚥下困難が現れ始めると、病棟スタッフは一同、身構える。食べられなくなると、病が勢いづく。今ここは一つ、徹底的に人手を尽くしてあらがわないと、命が一気に傾いてしまう。

 

人手を尽くし 食事を介助

 手始めに、元気だった頃の好みのものを勧め、ご機嫌に合わせようと試みる。休み休み1時間以上かけながら、しぶとく食事介助を続けてもみる。ご飯やおかずをペースト状にし、汁物にはとろみをつける。それすら受けつけてくれなければ、液体状の栄養飲料を“吸い飲み”を使って口に含んでもらう。

 静かな個室に移ってもらったり、あえてにぎやかな会食の輪に連れ入れてみたり。

 嚥下困難を引き起こしているかもしれない疑わしい薬は、全て中止する。一方、食欲不振や拒食の背景に、「抑うつ状態」や「脳機能低下」が隠れている可能性もあり、時に抗うつ薬や脳血流改善薬を使うが、どうにも姑息こそく的だ。奏功することもままあるが、効果がなければ、あっさり止める。

 飲み込む力を取り戻してもらおうと、親指大の冷やしたスポンジで、口の中をくまなくマッサージする。歯磨きも重要だ。細菌が繁殖した唾液を誤嚥すれば、たやすく肺炎に至る。

 

点滴の限界

 幾重に手を尽くそうとも、どうにも食べてもらえない。あるいは、誤嚥で肺炎を繰り返してしまう。そうなると、点滴に頼らざるを得ない。手足の静脈に針を留め置き、一日かけて水分と栄養を投与する。細い静脈からなので、命をぎりぎり保つ程度の栄養しか補えない。2、3週間、長くても数か月が限度だ。

 点滴を始めるに際し、ご家族に来ていただく。まるで戦いに敗れたかのようなむなしい口上に、ご家族、スタッフ共々、うなだれる。

 

 「口から飲食できず、点滴のみになった場合、生きていくのにぎりぎりの栄養しか補えず、命が確実に傾きます。もっとも、食べられなくなり衰弱するのは、自然の摂理とも言えましょう」

 「もちろん、点滴を始めても、口から食べてもらえるよう、ぎりぎりまで人手を尽くします」

 

栄養投与の選択肢 家族の迷い

 ご家族は、再び食べ始める可能性に望みを託しながらも、大方は現状に納得して下さる。しかし、次のように、“究極”ともいえる選択肢を投げかけざるを得ない段になると、途方に暮れてしまう。

 

 「これから先、点滴による栄養補給にとどめて、自然の摂理に抗わず、命の傾きに寄り添いましょうか。あるいは、口から取るのと遜色のない栄養を投与して、人工的ではありますが、命をつないで行きましょうか」

 「手術で胃に穴を開けて管を挿入するか、太もものつけ根や首のあたりにある、皮下をやや深く走行する太い静脈に管を通せば、濃厚な栄養を投与できます」

 

 濃厚な栄養によって半年から数年にわたって命を保てる可能性がある一方、手術や管の挿入の際に危険を伴う、人工的に栄養を投与しているだけに事故や感染症などの合併症を起こしやすい、といったことも併せ伝える。

 

 「ご本人の尊厳を損なったり、苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退もあり得るでしょう」

 

 日本老年医学会が一昨年、「高齢者の終末期の医療およびケア」に関して発表した、声明内容の一節を、“むなしい口上”の最後に、情報として紹介してもみる。

 

尊い苦悩 本人になり変わり、たった一つの答えを…

 ご家族は、医学的な説明に困惑しつつ、自然の摂理に沿い、遠からず訪れるであろう死期を今覚悟しなければならないのか、あるいは、意識がないまま人工的に生き続けてもらうべきなのか、答えに窮してしまう。

 「父はもう十分、つらかったと思います。これ以上、体を痛めつけて、苦しむことだけはさせたくない。自然なままで命を全うしてほしい」

 「妻は認知症で別人になってしまった。それでも、息を引き取ってしまうのかと思うと不憫ふびんで、受け入れられない」

 「祖父は、延命治療はしてほしくないと言っていた。本人の意思を尊重したい」

 ご本人になり変わり、たった一つしか採りえない答えを、絞り出すように示して下さる。その逡巡しゅんじゅんの過程が、ただ尊い。

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