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元記者ドクター 心のカルテ

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レビー小体型認知症、「なじみの関係」で治療奏功

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外来で笑顔に再会

 袖なしの羽織をまとい、開口一番「お世話になりました」と、静かに相好を崩し会釈した。レビー小体型認知症の70歳代の男性。退院後初めて、妻とともに外来診療に訪れた。

 「家内の握ったおにぎりを持って、近くの公園のベンチでお昼を食べています」

 退院して数週間というもの、昼時をはさんで、二人で犬の散歩に出かけるのが日課になったという。表情がすっきりと締まり、歩調は緩慢ながらもおぼつかなさはやわらいでいた。

 入院前、夫婦は硬直した「介護する、される」という関係だった。一年ぶりに夫が戻り、妻も生活に張りが出た。「なじみの生活」を再開し、いたわり合いを取り戻した。

 外来通院を重ねるごとに、表情と発話が豊かになった。夫婦の笑顔に触れるにつけ、「もっと早く退院を促せなかったものか」と、医療者としての自身の非力を悔やみきれない。

 

入院までの経緯

 「どうも様子がおかしい」と妻が感じてから、症状は日を追うごとに悪化した。

 反応が鈍くなり、会話が理解しにくくなった。シャツをはこうとしたり、両手で丸薬を丸めるような動作を繰り返したりした。「泥棒が来る」「警察を呼べ」「人がいる。追っ払え」と、虚空をにらんで叫んだ。屋外への徘徊はいかいも頻発した。

 妻は耐えかねて、大学病院精神科に連れだって受診した。症状と検査結果から「レビー小体型認知症」と診断され、抗認知症薬を処方された。その2週間後、家で暴れた。制止した妻は負傷し、恐怖に打ち震えた。おびえる妻を目にし、驚いて我に返り、自らの暴力の罪滅ぼしのためだったのか、勢いにまかせて、パンツ一枚まとったまま、自ら警察に出頭した。あえなくパトカーで家まで送り届けられ、警察官に連れ抱えられた無残な姿に、妻は幾重にも落胆した。

 見えるはずのない人の姿に興奮し、夜も眠らず大声をあげたかと思うと、食事を一切受けつけず、何日もの間、うつ伏せのまま布団にうずくまり、頬と胸に褥瘡じょくそうができるまでに至った。妻はその間、なすすべがなかった。救急車を呼んで内科に運ばれ、点滴治療を受け、近くの精神科病院に転送された。その2週間後、こちらに転院となった。妻が症状に気づいてから、3か月余りだった。

 

激しい症状 一進一退

 既に、抗精神病薬、気分安定薬といった精神科薬を投与され、車椅子にうとうとと腰かけていた。問いかけても注意を保てず、目をつむってしまった。しかし、その穏やかさも、ほどなくして一転した。

 意識が覚めたり曇ったりし、動揺した。突然大声を上げ、突発的に徘徊し、転んだ。スタッフが制止し介助すると、暴れた。車椅子に座ってもらい、体幹部を安全ベルトで固定し、拘束せざるを得なかった。

 失禁のためオムツを着けてもらわざるを得ず、それが不快なのだろう、裸になることがしばしばだった。更衣やオムツ交換、トイレへの誘導、入浴の介助など、そのたびごとに暴れた。夜も眠らず、病棟中に響きわたる大声を連発した。

 踏むと警報で知らせるマットをベッドの脇に置き、徘徊の端緒を察知したり、夜通しで頻回に見守りをしたりした。大声をあげれば、その都度、柔らかく口添えし応対した。そうした努力や工夫も、激しい症状には無力だった。やむにやまれず、拘束、オムツ着用に頼るに至る。こうして自由を奪われれば、再び大声を上げ、興奮するのも無理からぬことだ。悪循環である。

 精神科薬を投与して鎮静させなければ、興奮のため本人も疲弊し、介護、看護の最中に事故も起きかねない。

 「精神科病院に入院すると、拘束され、あげくに薬漬けにされてしまう」と、時に糾弾されもする。事実なだけに、言い訳のしようもない。理想を掲げ、不備をあげつらわれてしまったら、もはやなすすべがない。非力さ加減、五体投げ出し、うなだれるばかりだ。

 ただ、現実はまったなしだ。今、ここで、大声をあげて興奮し、よろめきながら徘徊する、施設からも療養型病院からも拒まれてしまった何人ものお年寄りをお受けし、安全面に最大に気を配りながら応対することが求められている。事故だけは避けなくてはならない。不備に気づいては修正し、また、不備に見舞われる。

 

行動の“くせ”と興奮の端緒を先読み

 入院して数か月間は、一進一退が続いた。やがて、精神科薬も奏功し、鎮静を保てるようになった。もっとも、意欲や活力の低下という代償があってのことではある。

 本人も病院環境に慣れ、スタッフも、本人の行動の“くせ”と興奮の端緒を、先読みできるようになった。本人とスタッフとが、「なじみの関係」になっていった。

 睡眠と覚醒のリズムが安定し、深夜の大声もまばらとなった。単語の羅列になってしまい、まとまった応答ができないことがしばしばだったが、「いやあ、これは(今の状況は)しんどいよ」「おや、元気かねえ」「すしが食べたい」などと、喜怒哀楽を表出してもらえる時も増えてきた。

 妻は恐怖と落胆のため、本人との面会を拒んでいた。無理もない。しかし、ふだんは眠りがちながらも、目覚めた時に穏やかに相好を崩す、その姿を見ていただきたく、促してようやく来院してもらった。

 

自宅に退院

 面会を繰り返すうちに、妻の恐怖感は薄らいでいった。穏やかだった生活を思い出せるようになり、夫の退院に前向きになっていった。

 二人には子供がいなかった。高齢の妻一人で介護することに、病院スタッフも地域の介護担当者も不安を抱き、施設へ退院できるように調整を進めた。

 面会の際、二人の笑顔を引き出せるように、折々にスタッフも寄り添った。介護のしんどさは病院に託していただき、そうして生まれた余裕で、夫婦の“なじみ”を取り戻し、二人でいられる幸せを実感することに専念してほしい――と、そんな願いを込めた。

 「自宅に退院させたい」

 妻が、そう切り出してきた。施設に退院するとばかりに算段していた病院スタッフはともども、「大丈夫だろうか」と、不意打ちに遭ったかのように戸惑った。が、ほどなくして「それが一番」と、めいめい深々と首肯しつつ、互いに見合わせ笑みをもらした。

 在宅で介護サービスを受けられるよう手はずを整え、入院後1年を経て、退院にこぎつけた。

 “治療”とは言え、ご本人には長らく無理を強いてしまった。手前の非力、非礼をび申し上げる言葉もない。

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