作家・作詩家 なかにし礼さん
一病息災
[作家・作詩家 なかにし礼さん]食道がん(3)誤診に遭い心筋梗塞に
27歳の心臓発作には、原因があった。「これからの人生をどうはばたいていくか、悩んでいたのです」。歌謡曲の作詩を始めようとしていたが、妻は夫が翻訳家や大学教授への道に進むことを希望した。この溝は離婚に発展していった。
45日間入院した病院で誤診にあった。「若者が心臓発作を起こすはずがない。これは自律神経失調症だ」と。心臓の薬は与えられず、効かない薬ばかり飲まされた。その結果、後でわかったが左心室が壊死し、心筋梗塞になってしまった。
作詩家としてデビューし「知りたくないの」「恋のフーガ」などヒット曲を連発した。しかし、心臓発作が続き、何度も救急車で運ばれた。
ようやく、心臓病の主治医が見つかった。しかし、ヒットメーカーの弟を食い物にする兄の借金の肩代わりに、何度も苦しめられた。評判を落とし、再起不能とまで言われた。そのたびに心臓の薬をなめながら、「時には娼婦のように」など起死回生の名曲を発表していった。
人生の恩師、石原裕次郎さんの生前最後の歌「わが人生に悔いなし」など、訳詞を含め約4000曲を作詩。だが、昭和が終わると作詩への意欲が消えた。
1992年(平成4年)、54歳で再び大きな心臓発作に襲われた。意識を失い、目覚めるまでの8時間に臨死体験もした。
作家・作詩家 なかにし 礼(れい)さん(75)
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