文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

元記者ドクター 心のカルテ

yomiDr.記事アーカイブ

統合失調症? 幻聴の不安、切迫して訴える女性(後編)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

不安に駆られて減薬を拒否

 入院して数日が過ぎ、「処方薬を徐々に減らしていきましょう」と提案した時だった。「薬を減らさないで」と、不安を募らせ泣き叫び、過呼吸で倒れ込んだ。「変化」には、至ってもろい。

 後日、1日分の処方薬をボール紙にセロハンテープで貼って並べて示し、それぞれの効能と副作用を記した。似た効能の薬が大量に処方されていることをわかってもらい、薬を減らす利点を繰り返し説明した。

 「減らした方がいいのは頭ではわかるけど、でも不安」と訴えかけてくれば、「理解できたなら、不安を抱えながらでも実行しましょう」などと応じた。

 薬を減らすたびに、前もって、ボール紙に貼った薬を差し替え、減らす意味を幾度となく説明した。

 流涎りゅうぜんは軽快し、滑舌を取り戻した。曇った表情に、生気が差し始めた。とはいえ、不安はしぶとく動揺し続けた。

 患者同士の人間関係に頻繁に巻き込まれ、葛藤を募らせた。院内の売店で、思い通りのお菓子が買えなかったと後悔が極まり不安を募らせる、などということもあった。そのたびに医療者にすがりつき、不安を訴えた。「声が聞こえたから不安なのに、わかってくれない」と、不満の矛先をこちらに向けることもしばしばだった。長時間手を洗わずにはいられないという、不合理とわかっているのにやめられない「強迫行為」もあらわになった。一方で、減薬しても、“幻聴”が悪化することはなかった。

 

生い立ちと病歴

 女性の生い立ちと病歴を振り返ると、次のようだった。

 双子の妹として地方で生まれ、小学生時に大都市圏に転居した。母は何らかの精神疾患のため精神科病院に入退院を繰り返していた。高校卒業後、小売店の販売に従事したが、その年の秋、独語、幻聴、あるはずのない身体の異常感覚(「体感幻覚」)が現れ、精神科病院に約1年間入院した。その後も、職を転々としつつ、症状が悪化したと判断されては、入退院を繰り返してきた。

 25歳時、父が大腸がんで亡くなり、母と2人で大都市郊外に移り住んだ。情緒不安定だった母の言動に振り回された。27歳時、母も亡くなった。姉と暮らし始めたが、家に閉じこもるようになった。食事をらなくなり、体重が著しく落ちた。自宅前に立ちつくしたり、「殺される」などと訴えたり、行動がまとまらなくなり、再び精神科病院に入院した。疲弊した姉は同居を拒んだため、退院後、グループホームに入所した。

 病歴から、あるいは、母が何らかの精神疾患で遺伝の関与が示唆されたことも相まって、統合失調症と診断されたのも無理からぬと思われた。もっとも、幼少時の母子間の「愛着関係」の問題や、双子の姉との葛藤、児童期の転校、母の精神的不調による翻弄、20歳代で立て続けに直面した両親の死と、生きていくだけでもままならなかった様子が彷彿ほうふつとする。そうした心理、状況面に十二分に配慮すれば、「統合失調症」として診断、治療するに先立ち、慎重を期すことになったはずだろう。

 生い立ちと病歴を振り返り、入院治療を通じて改めて見えてきた態様と、胸中にいったん納めた印象をすり合わせ、「全般性不安障害」と診断した。また、統合失調症を彷彿とさせていた「幻覚」や「妄想」は実のところ、過去の耐え難い体験を呼び覚ますやもしれない思考や感情、知覚を、意識から切り離してしまうという心のメカニズム「解離」だったのではないかと、判断した。

 

実家に退院 姉と2人暮らし

 入院後、2か月かけて減薬を進め、リスペリドン(1ミリ・グラム錠)2錠、アルプラゾラム(0.8ミリ・グラム錠)3錠、カルバマゼピン(200ミリ・グラム錠)2錠とし、睡眠薬も含めて計7種類に減らした。今後の方針として、さらにリスペリドンを中止し、不安や強迫に効果のあるパロキセチンを新たに投与することとした。

 一方、姉に来ていただき、本人に会ってもらった。焦燥に駆られていた表情が明るくなり、不安の訴えも鎮まり、落ち着いて話す余裕すらある本人を目の当たりにし、関わりを拒んできた姉も打ち解けていった。医療者は、姉の疑義や不安にひとつひとつ答え、2人の関係を支えた。

 外泊を繰り返し、買い物や料理、掃除も一人でできるようになった。不安が高じることも時にはあったが、姉の励ましもいよいよ正鵠せいこくを射るようになり、波状を描きながら症状は改善していった。

 入院後2か月余で退院し、再び姉と2人暮らしを始めた。

 

「後医は名医」

 大量の精神科薬による副作用を解いてみれば、流涎も発話の“こもり”もなく、柔らかい声色で、やはり、笑顔が似つかわしい女性だった。精神科病院への入退院に明け暮れ、妙齢ならではの彩りを添えられずに青春期をやり過ごしてしまった、その来し方をおもんぱかるにつけ、憂いに浸らずにはいられなかった。

 医療現場には、「後医は名医」という言い慣わしがある。これまで主治医たちが試行錯誤し、他の選択肢を一つ一つ潰してくれたからこそ、ここに至ってようやく的確な判断が可能になった。たまたま確からしい判断ができたからといって、これまでの主治医たちの試行錯誤を得意げに揶揄やゆするのは、天を仰いで唾するに等しい――。他山の石とせよ、との戒めの言葉だ。

 過ちは人の常である。殊に臨床現場では、自身の非力さ加減を思い知らされるばかりだ。過ちをいち早く知り、正すためにも、精神的不調を抱えた方一人一人の訴え、症状、来し方に、そして、ご家族や地域の方々、チーム医療の同僚たちなど周囲の多くの助言者の声に、ただ耳をすます日々である。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

元記者ドクター 心のカルテの一覧を見る

最新記事