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ケアノート

コラム

[渡邊正恵さん]舞台への情熱 支えた

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夫・中村富十郎さん看取る

 

「がんになって衰えていく主人を子どもたちは一生懸命サポートしようとしていました。成長したと思います」(東京都内で)=加藤祐治撮影

 渡邊正恵さん(52)は、3年前に夫の歌舞伎俳優、中村富十郎さんを直腸がんで亡くしました。81歳でした。最後まで舞台への情熱を絶やさず前向きに生きた夫を看取みとりました。「何が最善か考え続けた日々でした」と話します。

「余命3か月」

 

 元々、主人は心臓と腎臓に持病があり、舞台で酷使してきた膝の具合も良くありませんでした。その分、健康には注意していました。

 元気で快活なのがトレードマークみたいな人で、「つらい」とか「痛い」とか言わない人です。特に子どもの前では、絶対に弱っている姿は見せたくなかったようで、かえって病気の発見が遅れる原因になったのかもしれません。

 異変を感じたのは、2010年9月に東京・新橋演舞場で「うかれ坊主」を公演していた時です。中日を過ぎたあたりから終演後の疲れ方が尋常ではなくなり、自宅で点滴をするようになりました。腰もかなり痛かったようです。下痢と便秘を繰り返していたこともあり、千秋楽の翌日に直腸の検査を受けました。

 内視鏡検査を受けたところ、直腸がんが判明。しかも、がんは肺や膀胱ぼうこう、骨にまで転移していた。

 検査の翌日、医師から説明を受けた時、本人は動揺することなく、「納得がいきました」と話していたのが印象的でした。様々な治療法が示されましたが、主人は「治療はいりません。ただ、痛みだけは取ってください」と意思表示しました。自宅療養しながら、11月の舞台に備えることになりました。

 10月に入り、別の病院の先生に主治医が代わりましたが、その先生と私が衝突してしまいます。本人にいきなり「申し上げにくいことですが、あなたに残された時間は3か月です」と告げたからです。

 「そういうことは私に言ってください」「いや、本人が状況を分かっていないと、適切な治療ができない」。何度かぶつかり、担当を代わってもらおうかと考えました。

長男の作文

 

 そのさなか、11月の舞台が始まり、当時小学5年生の長男・鷹之資たかのすけが学校で作文を書いてきました。「家では廊下を伝い歩きしているのに、舞台では父の声が響き渡って、なんてすごいんだと思った。誇りに思います」

 私は、主治医の先生にこの作文を読んでもらい、舞台にも見に来ていただきました。80歳にしてなお、やるべきことがある。それを家族で支えているんだということを知ってほしかったのです。先生も舞台の迫力に驚いたようで、「できることは何でも協力します」と言ってくださいました。本音をぶつけ合って、深い信頼関係が築けたと思います。

 だが、富十郎さんの体調は徐々に悪化、11月の舞台も中日ごろに休演することになった。

 その頃は、膀胱に転移したがんの影響かもしれませんが、夜中に何度もトイレに起きるようになりました。普段、私と子どもは別の寝室で寝ていたのですが、真夜中に伝い歩きで移動するのが心配で、主人のベッドの片隅で寝るようにしました。

 「これじゃあ眠れないだろう」「私は大丈夫」。そんなやりとりの後、「明日、入院するよ」と自分から言い出しました。11月20日のことです。

 入院してもなお、主人は年明けの1月2日が初日の舞台に出るつもりでした。長男も出る舞台です。「初日だけでもいいから」と。先生もサポートを約束してくれました。

 病室で主人は快活に振る舞い、高熱にも「これは情熱」だなんて冗談を飛ばします。私も「普段通り」を意識して接するよう努めました。

 ところが、クリスマスに肺炎を起こして病状が急激に悪化します。私は思わず「どんな治療をしてもいいので、舞台の初日までは生かしてやってください」と先生にお願いしました。「治療はしない」と決めていた主人も、子どものためならと、きっと分かってくれると考えたのです。

 でも、少し冷静に考えてみると、やはりそれは違うと気づきました。体中に管を通された父を見たら、子どもはどう思うだろうか。先生ともかなり話し合って、延命的な処置はしないと決めました。

 11年1月3日の夜、富十郎さんは家族に見守られながら息を引き取った。

 鷹之資は午後6時に舞台を終えてから駆けつけ、死に際に間に合いました。

延命治療せず

 

 延命治療をしなかったことについて後悔はありません。100%正解ではなかったかもしれませんが、当時としては出来うる最善を尽くしたという思いがあるからです。何より、本人の希望に沿うことができた。入院中、主人が子どもたちについて、「僕は安心した。これなら大丈夫だ」と言ったのを覚えています。

 亡くなった実感は不思議とありません。鷹之資も15歳になり、だんだんと父親に似てきました。インターホン越しの「ただいま」という声にドキリとすることがあります。

 私も主人のように、自分らしさを失わずに最期を迎えたい。まだ先のことですが、今からそんなふうに考えています。(聞き手・赤池泰斗)

 わたなべ・まさえ 1962年、栃木県生まれ。中村富十郎さんと新橋演舞場の舞台「鬼平犯科帳」で共演したことが縁で、96年に結婚。長男の歌舞伎俳優、中村鷹之資さん、小学5年生の長女・渡邊愛子さんと3人暮らし。

 ◎取材を終えて 結婚当時、富十郎さん66歳、正恵さん33歳。その年の差は歌舞伎界でも話題になったが、正恵さんは「私なんかよりずっと気持ちが若い人。年齢はまったく気にならなかった」と話す。常に前向きで、病気を理由にイライラした感情を周囲にぶつけることもなかった。「理想の夫であり父だった」というのもうなずける。結婚生活は15年間と長くはなかった。でも、夫婦の絆とは時間の長短で決まるものではないと感じた。

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