芸人 肥後克広さん
一病息災
[芸人 肥後克広さん]腰痛(2)20代で発症 手術見送る
20歳を前に、2度目の上京をした。浅草芸人になろうと、有名な先輩芸人を生んだ劇場の門をたたいたが、相手にされなかった。
弟子入りを志願した人気コメディアンの萩本欽一さんから、「君は僕の所ではなく、他に行った方が売れるよ」と励まされた。「単純だから、その言葉をすぐに信じました」
渋谷道頓堀劇場に行った。師匠になる故・杉兵助さんの助け舟もあり、芸人見習いとして、踊り子の雑用係もしながら、幕間コントで腕を磨いていった。
劇場の先輩の渡辺正行さんから、お笑いライブ出演を誘われた。そこで、ほぼ同年齢の上島竜兵、寺門ジモンらと知り合う。当時、人気の女性アイドルグループ名に対抗して、1985年に「ダチョウ倶楽部」を結成。2年後には、リーダーとなった。
極貧の生活からようやく脱しようとしていた。だが、突然、腰に激痛が走った。まだ20歳代前半だったが、修業時代に重い荷物の上げ下ろしなどのアルバイトで、腰に負担をかけていたためらしい。
担ぎ込まれた病院で「急性の腰椎椎間板ヘルニア」と診断された。医師が勧めたのは1週間後の手術。
帰宅して、ヘルニア経験のある友人に聞いてみた。手術しても完全に痛みが消えないことを知ると、手術は見送ることにした。長い腰痛生活が始まった。
芸人 肥後克広(ひご かつひろ)さん(51)
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