芸人 肥後克広さん
一病息災
[芸人 肥後克広さん]腰痛(1)お笑いの陰で20年苦しむ
お笑いグループ「ダチョウ倶楽部」のリーダーとして、体を張った「リアクション芸」で、テレビや舞台で活躍している。だが、お笑い芸とは裏腹に、20年も腰痛に泣かされてきた。
那覇市の出身。「日本復帰前の、沖縄がまだアメリカだった頃」を知る最後の世代だ。「病院には、アメリカ人と思われる医者がいたのを覚えています」
遊んでいるうちに米軍基地に入ってしまい、米兵に銃口を突き付けられたこともあった。米兵に駆け寄って「ギブ・ミー・チョコレート」とお菓子をせがむ遊びもした。人を笑わせるのが大好きな少年だった。
中学生になる前に父を病気で亡くした。工業デザイン科に進学した高校時代は、部活代わりのアルバイトで学費を稼いだ。軍服を着て軍歌酒場でも働き、敬礼や行軍など演技の面白さも学ぶことが出来た。
高校卒業後にデザイナーの仕事で上京。本当にやりたいことがわからず、1年たらずで沖縄に戻ったが、故郷に仕事はなかった。夢が一つだけ見つかった。「沖縄初のお笑い芸人」になること。
沖縄そばの食堂を切り盛りして育ててくれた母に、「また東京に行きたい」と告げた。母は「曲がった木になったら許さんよ」と言った。まっすぐ正直に生きなさいという母心だった。
「今度はモノになるまで帰れない、と覚悟しました」
芸人 肥後克広(ひご かつひろ)さん(51)
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