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[シカゴから]「情」が問われる臨床試験

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 昨年度から、シカゴ大のがん関連の臨床研究審査委員会の一員として評価に携わるようになりました。毎月20件前後、新しい研究計画が提出され、研究の妥当性を審査員5人で評価し、その内容をもとに議論して可否が決まります。

 審査員のうち必ず1人は統計学の専門家で、1人は研究内容の倫理性を評価する担当です。他の委員が研究計画を妥当と判断しても、統計学専門家が「期待できる効果から考えて参加患者数が不適切」と判定すると認められません。漫然と「研究もどき」を行うのではなく、一定の確率で白黒がつけられる内容が求められます。

 治療法の優劣を比べる臨床試験の場合、ランダム化試験(患者を無作為に二つのグループに分けて二つの治療法を比べる方法)が標準的です。これまでの抗がん剤は、1年の生存が2か月延びる程度のわずかな差を評価してきたので、医師の予見や患者の意向に左右されないこの方法でなければ見向きもされませんでした。

 しかし最近では、非常に効果の高い治療薬が開発されるようになり、一方のグループが「何も治療しない無治療群」であることが、患者から見て倫理的と言えるのかといった議論がなされています。

 薬剤の承認には3段階の審査が必要です。最初は安全性を調べることが主な目的ですが、この段階で半数の患者でがんが消えた場合、次の段階で従来のように無治療のグループを置くことが必須条件かどうかは疑問です。希望を求めて試験に参加する患者に「その薬で治療されない可能性が半分ある」ことを納得してもらうのは決して容易ではありません。医療は科学的であるべきですが、「情」の部分をどうするのかが改めて問われている気がします。(シカゴ大教授 中村祐輔)

(おわり)

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