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宋美玄のママライフ実況中継

医療・健康・介護のコラム

出生前検査と人工妊娠中絶、妊婦さんとの接し方

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上野動物園のモノレールが大好きな娘です

 娘はますます言葉が達者になりました。日本産科婦人科学会などの仕事が詰め詰めになっているため先週から実家の母に来てもらって任せきりにしてしまっています。母は娘の要求を全面的に受け入れ、相手をするのも手慣れているので、すっかり「ママきらい」「パパこわい」になってしまいました。いつものことですが、母が帰った後がこわいです。

ベストセラー小説「誰も知らないわたしたちのこと」著者に質問

 先日、出生前検査と選択的人工妊娠中絶をテーマとしたイタリアのベストセラー小説「誰も知らないわたしたちのこと」(紀伊国屋書店)の著者シモーナ・スパラコさんが来日され、講演会を開かれたので聴きに行きました。「誰も知らないわたしたちのこと」については以前の「妊娠29週で先天異常発見、人工妊娠中絶の苦悩」という記事でも触れました。

 この小説で、主人公のルーチェは、念願かなって赤ちゃんを授かったのに赤ちゃんがかなり大きくなってから非常に重い先天性疾患の可能性を医師から指摘され、最終的に人工妊娠中絶を選択します。物語では中絶後の主人公の苦悩と葛藤、そしてそこからの脱出の過程に多くページが割かれ、主人公のルーチェと同じ体験をした女性から共感したという多数の反響が寄せられたそうです。この小説はシモーナさん自身の体験を基に書かれたといわれていたので、私はシモーナさんがルーチェと同じ体験をされたのだと思っていましたが、そうではなく、シモーナさんは妊娠して赤ちゃんがかなり大きくなってから死産をされたとのことでした。自分の心に留めているのはつらすぎるけれど、自身の体験をそのまま書くことも辛く、小説として書くことが自分にとっての癒やしだったと話されていました。

 シモーナさんにとって小説を書くのが救いであったように、小説の中では主人公と同じ体験をした多くの女性がインターネット上のフォーラムで他所よそでは吐き出せない思いを出し合っていました。シモーナさんは、このような体験をした女性の多くは孤独であり、専門家が話をきいてくれるだけで救われる部分があるが、そのような心理サポートはイタリアでは整っていないと話されていました。これは日本でも同様だと思います。

 講演ではシモーナさんに質問出来る貴重な時間があり、多くの方がイタリアでの出生前検査と人工妊娠中絶について質問されていました。私は出生前検査を日々行う医師の立場から、小説の中ではルーチェが診断に関わる医師に対し不満や不信を抱くシーンが何度かあるが、辛い場面でどのように接すればルーチェにもっとマイナスな感情を抱かせずにすんだと思うか質問しました。シモーナさんは、イタリアで赤ちゃんに重い病気が見つかって人工妊娠中絶を選択した女性の中には医師との関係性がうまくいかなかったという人が多く(小説に出てくるフォーラムに該当するような日本のインターネットサイトの書き込みを見ても同じような感じを受けます)、「早く次の子どもを妊娠するといい」などと言わず、相手の気持ちを想像し心を持って接するといいと答えられました。

中立と共感、両立し得るか?

 シモーナさんの「肝心なのは心」という答えに、私は期待の半分を満たされましたが、やはり難しいのだなというのが率直な感想でした。こういったケースを含め、医療現場では患者さんにとって良くない結果を宣告したり、倫理的に難しい判断を助けたりすることがしばしばあります。中には心を通わせず、非常に淡々と患者や家族に接する医療者もいることでしょう。しかし、多くの医療者は共感を示しながら、少しでも衝撃が和らぐよう腐心しながら接していると思います。しかし、誰のせいでもないバッドニュースを伝える医療者は、受け手から不満を持ってみられないというのは難しいというハンデがあるとは感じます。また、赤ちゃんに重い病気が見つかった場合、医師は倫理的に中立な立場を取ることが求められます。中立な立場を保ったまま、妊婦さんに共感し寄り添うということが両立し得るのか、今も多くの医師が答えを求めて旅に出ている途中だと思います。

 この小説では、赤ちゃんを失った女性の悲しみが非常にリアルに描かれており、自分が今までに関わらせていただいた患者さんたちに思いをせざるを得ませんでした。医療が助けになれるのは一部とはいえ、医療スタッフの中で心理サポートを含めた役割分担が出来るよう体制を作って行く必要が以前から叫ばれていますが、薄く広く配置された産科医療体制では遺伝カウンセラーや臨床心理士がいる施設は少ないのが現状です。医師・助産師・看護師のなかでゆっくりと話をきいたり、もう少し長い期間フォローアップしたりしていくしかないのかもしれませんが、こういった悲しみをもっと認識しなくてはいけないと思いました。

 選択的人工妊娠中絶に否定的なカトリックの国イタリアで、この小説がベストセラーになったことは非常に興味深いと感じました。日本で同様の小説が書かれても、そこまで多くの人の興味を引き、読まれるかどうかは疑問だと思います。しかし、日本にも同様の問題に直面し、苦しみを抱えた人が表では声を上げられずにいるのは事実です。この小説が日本でも広く読まれて欲しいと思いました。


 

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宋 美玄(そん・みひょん)

産婦人科医、医学博士。

1976年、神戸市生まれ。川崎医科大学講師、ロンドン大学病院留学を経て、2010年から国内で産婦人科医として勤務。主な著書に「女医が教える本当に気持ちのいいセックス」(ブックマン社)など。詳しくはこちら

このブログが本になりました。「内診台から覗いた高齢出産の真実」(中央公論新社、税別740円)。

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5件 のコメント

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絨毛検査をしました。

はい

一人目の子どもを劣性遺伝の病気で亡くしたため、二人目は絨毛検査をしました。私のかかりつけの婦人科の先生は、モラルという名の価値観は押し付けず、私...

一人目の子どもを劣性遺伝の病気で亡くしたため、二人目は絨毛検査をしました。

私のかかりつけの婦人科の先生は、モラルという名の価値観は押し付けず、私の希望を尊重してくれました。

すぐに遺伝子カウンセリング、絨毛検査の専門医に連絡をとってくれ、私たちにできるのは医療としてのサポートだけれど、あなたには心のサポートも必要だからと、彼女が信頼している心理カウンセラーも紹介してくれました。人気のあるカウンセラーなので、すぐに予約が取れませんでしたが、そのことを伝えると、「彼女は今すぐにカウンセリングが必要なケースだから」と、先生が個人的に電話をかけて、すぐにカンセリングを始められるように手配をしてくれました。

カウンセリングは夫婦で受けました。カウンセラーには、再び子どもを病気で失うことも、妊娠を中断することもどちらもつらいことだから、あなたにとって、苦しみが軽い方を選んだらよいとアドバイスをされました。価値観を押し付けるようなことは何一つ言われませんでした。

遺伝子カウンセラーとは、第一子の病気のときにすでに顔見知りでしたが、私にカウンセリングに行く前に遺伝子の検査をする病院に連絡をして手配を整えてくれており、とても協力的で、こちらが不快になるようなことはいっさい言われませんでした。

ドイツの医療現場には、心理的なサポートをするスタッフが必ずいます。第一子は3つの病院にお世話になりましたが、それぞれの病院で、心理的なサポートを受けられたことに感謝しています。

お医者さんに望むのは、自分の価値観、意見、感想を押し付けないことです。それから治療の選択肢、リスクなどをわかりやすく説明してくれること。

私がお世話になったお医者さん、医療スタッフは、本当にすばらしい人ばかりでした。子どもの命は助かりませんでしたが、彼らには本当に感謝しています。

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記憶と記録の整理と整備 コントロール

元放射線科医 寺田次郎 六甲学院56期

人間は全てを抱えているようで、ほとんどすべてを捨てながら生きています。多くの事実は記憶の片隅にほおりこまれて忘却され、いくつかの記憶は印象に残り...

人間は全てを抱えているようで、ほとんどすべてを捨てながら生きています。
多くの事実は記憶の片隅にほおりこまれて忘却され、いくつかの記憶は印象に残り、そのうちいくつかが記録に残ります。
だから、忘れていたような記憶が何かのきっかけで思い出されるような現象が起こるわけですね。

人に見せるかどうかは別として、感情や事実の記憶の文章化というのは有用な作業です。
事実と言っても、多くの場合は個人や複数の人間から見た目線です。
それを解釈する人間の状況や立場が記憶を操作し、それが記録そのものを操作します。

勝てば官軍で、歴史そのものが操作されてきたのが人類の歴史ではありますが、そういう真理を逆に個人の歴史に応用してやることで、このややこしい現代という時代を生きていきやすいのではないかと思います。

記憶を記録という事実に変換して、色々な角度から眺める。
ほど加減をわきまえたうえでの記憶や記録と感情のコントロールですね。
大きなファクターもあれば、小さなファクターもあってリンクしています。

「たとえ重い障害の子供であっても産んで育てる」という意思を実行に移すのは個人なり周囲の影響が多いです。
しかし、そういう意思を根っこでコントロールしているのは、その社会(集団)における「常識的な慣習や科学」です。

これは政治が占いで決められた歴史を思い出すと分かりやすいと思います。
昔は科学よりも、個人や組織の感情に訴えかける手段がとられたということです。

逆に距離を置けば冷静に考えられます。
社会から離れられなくても、頭の中が自由になれば、冷静になることができます。
何とかならないものは事実とそれまでの学習です。

勿論、答えが出るとも限りませんが、どう考えていいか分からない状態を続けるよりはましなのではないかと思います。

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愛の定量性と関係性の論理学 ストレス耐性

元放射線科医 寺田次郎 六甲学院56期

同じ情報に対して、人の反応はそれぞれです。悲劇的な情報に対して、悲しむ人、強がる人、無表情のふりをする人。程度問題や相手によって態度が著しく変わ...

同じ情報に対して、人の反応はそれぞれです。
悲劇的な情報に対して、悲しむ人、強がる人、無表情のふりをする人。
程度問題や相手によって態度が著しく変わる人もいます。

この時に意外と気づかれていないのが距離感やタイミングの問題です。

通るかわかりませんが、これを書く前に、日野原先生のコメント投稿に
「人が作った器具や機械を通して、患者の生活と医療者が繋がるというのはパラリンピックと相似だと思います。
病気や障害、つらい過去を持った人が、全てにおいて敗者なわけではありませんから。」
と書きました。

これを見た人は、温かい診療を期待するかもしれません。
(それは患者さんの日野原先生への信仰心の影響もあります。)

でも、僕はいつでも、誰とでもそのような対応をすることはできません。
色んな条件が重なると、優先順位として、効率と正確性(「わからない」も含めて)を重視します。
すると、患者さんとしては「何あいつ」となります。
聖者でなければ、ニコニコと演じられる俳優の方が多くの患者さんとしては望ましいのです。

僕も最初からそこまでふてぶてしくなかったですが、与えられた条件の中で、量も質も全て求められても困ると割り切っています。
今は重症患者の来ないところにしか仕事に行きませんが、そこで重症者やコミュニケーションの難しい人間を連れてこられても、最低限以上は困ります。

医療の持ついくつもの側面を同じ人から語られると、普通の人は逆に困惑するのかもしれません。
その辺は単発のバイトゆえのむつかしさでもあります。

ところで、文字にするということは、書き手と受け手が自分のタイミングと距離感で接する「遠い距離感」の行為です。
多くの人は、無視はできないけど、無視するわけにもいかない事実と向かい合うのにとてもいい行為なのかもしれませんね。

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