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[中山律子さん]絵筆で狙うパーフェクト

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「熱中しやすい性格」と自己分析。「絵三昧の生活を送り、スケッチ旅行にも出かけたい」と話す。傍らの作品は「パーフェクト」(東京都内の自宅で)=源幸正倫撮影

 広い窓から春の陽光が注ぎ、キャンバスの絵を照らす。赤いウエアに白いミニスカートのボウリング選手がボールを投げた瞬間を捉えた作品「パーフェクト」だ。

 「これまでに自分を描いたのは、この1枚だけよ」。東京都内の自宅アトリエ。レーンを転がるボールの行方を見つめる作品中の鋭い目つきと異なり、穏やかな笑みを浮かべながら説明してくれた。

 

 1969年、26歳の時に女子プロボウラー1期生としてデビューすると、翌年、女子初のパーフェクトを達成。NHK紅白歌合戦の審査員に選ばれ、テレビコマーシャルにも出演するなど、「さわやか律子さん」は国民的人気者に。爆発的な「ボウリングブーム」を先導した。

 「パーフェクト」で描いたのは、この頃の自分。当時の写真を見ながら、アクリル絵の具で仕上げた。60歳で絵を始めてから、11年になる。

 いい時代は長く続かなかった。

 73年に石油ショックが起こり、経済不況のあおりでボウリングブームは急速にしぼんだ。その後、32歳で結婚、35歳で出産したが、選手生活は試練の連続となる。酷使してきた左膝を痛め、40歳を過ぎて手術。50歳を前に右肩にも激痛が走り、2年以上の長期戦線離脱に追い込まれた。

 右腕はほとんど後ろに上がらず、力強いスピードボールを投げられない。「引退しよう」と何度も思った。

 そんな時、静岡県のボウリング場から「初心者対象の教室で教えてほしい」と頼まれた。一般ボウラーに囲まれて気付いた。「年をとってもできる、いろんな人に出会えるスポーツ。子どもたちも勝負の面白さを知り、強い精神力を養ってほしい」。その魅力を伝えるのが自分の使命だと思い、生涯現役のプロボウラーとして故障から復帰するきっかけとなった。

 全国のファンは今もほうっておかない。会場に「律子さん」が姿を見せると、一気に華やぐ。ボウリングに一生をささげながら、「両立したい」と思っているのが絵画だ。

 鑑賞するのは小さい頃から好きだったが、「まさか還暦で描き始めるとは思わなかった」という。左膝の治療も兼ねて通っていた整体の近くに絵画教室があり、気になっていた。「いつか行ってみたい」と思いながら2年以上が過ぎたある日、思い切って教室を訪ねた。

 毎週水曜、仲間6人と先生に指導を受けている。6週に課題1作のペースで創作し、終わらないと家に持ち帰る。これまで50作以上を手がけ、完成したのは「バラの花」など10作ほど。教室に通い始めた後、請われて日本プロボウリング協会会長に就任したため、あまり時間が割けなかった。「未完作品が多いのよ」と照れ臭そうに笑う。

 ここ何年か、創作の励みにしているのが「文化人・芸能人の多才な美術展」だ。北野武さんや安倍首相らも出展者に名を連ねてきた巡回展で、1年ごとに作品を替えている。「パーフェクト」は2009年の出品作だ。

 ボウリングで頂点を極めた向上心は今も健在。「まだ自分の色が見えてこない。もっと明るく元気のいい、迫力のある絵を描きたい」と理想を追い求める。

 今の目標は、75歳までに個展を開くこと。「どんどん描かないとね」と、絵筆を持つ右腕に力を込めた。(小林直貴)

 なかやま・りつこ プロボウラー。1942年、群馬県生まれ。幼少期に両親の郷里の鹿児島県に転居。愛知県のバレーボールの実業団チームに入るが、解散後、帰郷してボウリングを始める。25歳で上京し、翌年プロテスト合格。通算33勝。2004年、日本プロボウリング協会会長。12年、同名誉会長。


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