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[一般の部・入選] 天使が来た!

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打浪 綾(うちなみ あや)(63) 兵庫県・主婦

 あのころの私は孤独に苛まれていた時期である。仕事を終え家路に着くと、そこはガランとした廃墟のようだった。自営業の夫は仕事一筋、二十歳の長男は専門学校を退学、勝手に就職をしている。二男も兄貴に続けとばかり高校を退学、これまた親の思惑などどこ吹く風で、自分で探した建築業などに就いているありさまだ。

 三人共に出て行ったら最後、鉄砲玉のごとくいつ帰ってくるか予想もつかない。フロとメシだけあればこと足りる、そんな現状だ。家族でありながら家族でない。

 ただでさえ人恋しくなる黄昏時、一人寂しさに浸っていたとき夫からの電話。

 「お袋が倒れた、病院にすぐ来るように」と。

 駆けつけた病室ではかつて目にしたこともない、義母の変わり果てた姿が横たわっていた。脳内出血で左半身が全廃とのこと。すでに処置も終わったのか、幾本もの管に包まれていた。その姿からは、義父亡き後、広大な田畑や屋敷を一人守り続けてきたたくましさなどは見る影もない。

 この日を境に私はもはや、寂しいだの孤独だのと嘆いてる暇はなくなってしまった。

 私は義母のことは親として、人として尊敬している。良家の出自らしく上品で慎ましい。だがそれを鼻に掛けることもなく、貧しい農家出身の私でも、快く嫁として平等に扱ってくれた。息子たちが幼い頃は毎週のように実家に行った。そういえば、あのころ流行っていたスーパーマリオの手編みのセーターに初挑戦していたとき、私は肩を凝らしてついに寝込んでしまった。見かねた手先の器用な義母が苦笑し、「後は私がやったげるから、あんたは養生しとき」そう言って息子二人のそれを、軽々と編み上げたものだ。

 自分の家庭のことは存外ほったらかしにしているくせに、母親の事となると夫の顔つきはまるで違った。家のことは心配せんでもいいからとにかく看病を頼むと。無論、私も腹をくくっていたので異存はない。だが、夫は二人兄弟の弟だ。義兄夫婦は手も金も出さないが口だけ出すという厄介な存在であった。

 看護、介護に関してこういう問題が浮上することは、巷ではよく耳にすることだが、まさか私がその中の一人に加わるとは思いもよらなかった。

 そんな周囲の波風など知ってか知らずか、義母は日々病魔と戦っていた。発熱のためリハビリもできず、熱が下がるころには意欲も下がり、理学療法士がさじを投げ出す始末である。座ることも立つこともできない。会話は自ら発することはなく、問いかけに辛うじて返事ができる程度である。

 やがて三ヶ月後、規則通り退院が近くなる。事前の話し合いで、義兄夫婦はこんな重病人在宅では無理だ施設にすると言ったが、私たち夫婦はノーを突き付けた。施設に家庭のような生活はない、家にいて通常の生活を見るだけでもそれは大きなリハビリになると。仕事も辞めて私がみます。リハビリもやり必ず歩けるようにしてお返ししますと、大ミエを切ってしまった。当たり前の話だが、義母は自分の家に帰りたがっている。

  退院の日が近付くにつれ我が家はにわかに活気づいていた。不出来な息子たちも参戦して手すりを付けたり、トイレの改修、寝室の模様替えと不思議なほどに協力してくれる。

 口にこそ出さないが夫も息子たちも「おばあちゃん」と生活できることが嬉しくてしょうがないという風だ。退院後はあれほど鉄砲玉だった男連中が、そろいも揃って夕飯時に帰ってくるのである。土曜日の夜ともなると息子らの友人たちまでやってくる始末。私も大勢の食事作りが全く苦にならない。ここにきてやっと家族らしさを取り戻せた気がした。まさしく義母は天使(随分トウのたった)だ。天使が我が家にやって来た。息子たちは大きくなった今でも、義母の存在を決して忘れてはいなかったのだ。

 義兄夫婦は、訳あって介護ができないのだろう。だが子は言わずとも親の姿をよく見ているものだ。子が親の面倒をみる。この当たり前のことを、当たり前に、肩ヒジ張らずやっていこうと私は決意も新たにしたものだ。 大勢の若者に囲まれての義母は毎日が驚きと新鮮の連続で、線でしかなかった目が点になり、笑い声も日々変化に富んできた。ベッドから椅子への移乗も容易になった。歩行練習も私がリビングを三周! と言っても、義母はもう一周! と頑張る姿が何とも頼もしい。歩けさえすれば、自分の家に帰れる目標ができたことで、やる気に火がついたようだ。

 結局義母は自分の家に帰ることは叶わなかったが、半年が過ぎるころにはゆっくりではあるが自力で歩けるようにまでなっていた。回復の見込みなしとまで言われた人が、ここまで頑張ることができた。

 しかし季節は巡って初冬の早朝、思いがけない痙攣発作。再び脳出血を起こし入院。二ヶ月後には帰らぬ人となってしまった。

 義母の心情を思うと今でも胸は痛むが、家族の絆が深まった喜びは何にも代えがたい。

第32回「心に残る医療」体験記コンクールには、全国から医療や介護にまつわ る体験や思い出をつづった作文が寄せられました。入賞・入選した19作品を紹 介します。

主催:日本医師会、読売新聞社
後援:厚生労働省
協賛:アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)

審査委員<敬称略>
落合 恵子(作家)、竹下 景子(俳優)、ねじめ 正一(作家・詩人)、原 徳壽(厚生労働省医政局長)、外池 徹(アフラック社長)、石川 広己(日本医師会常任理事)、吉田 清久(読売新聞東京本社医療部長)

 

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