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第32回「心に残る医療」体験記コンクール

イベント・フォーラム

[一般の部・入選] 心に残る医療

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日野 克美(ひの かつみ)(64) 茨城県・教師

 2010年2月10日は第2の人生の始まりとなった。「急性骨髄性白血病です」医師は淡々と事実を告げた。家内は顔面蒼白となり私は「間もなく自分は死ぬのだ」と不思議なほど冷静に受け止めた。「治療計画を説明します。化学療法が標準的治療となります。この治療で8割の方が寛解になりますが1年以内に6割の方が再発します。その場合は骨髄移植しか手がなくなります」ここまで医師は一気に説明した。「私はデータからしか判断しません」と付け足したのは、科学的根拠に基づいた治療しかしませんという宣言と受け止めた。「何か融通の利かない医師のようだなあ」と言う印象を受けた。「因みに治療費は1か月364万円になります」何気なく聞いていた耳を疑った。「1か月!1年ではない1か月である。我が家の家計は破綻だ。命が助かる前に我が家の家計がお陀仏になる。」告知を冷静に受け止めたのだが経費の説明には度肝を抜かれた。家屋敷を売り払っても追いつかない。真っ白になった頭に「でも高額医療制度があり一定の額を超えた分は国が負担してくれます」という医師からの天の声が聞こえた。それを早く聞きたかった。

 その日から病床の人となった。風邪もひいていたためすぐには治療ができずまずは抗生剤で風邪を治すところから治療が始まった。高熱にも悩まされた。40度近くの熱が続く。呼吸が苦しくなる。ふと見ると左足から膝まで象の脚のように腫れ上がって真っ赤になっている。更に体中に十円玉程度の赤い斑点ができている。何事が起きているのかと驚愕していると理学療法の青年が体をマッサージに来た際に「心配ありませんよ。これは薬疹ですから、よくあることです。想定内です」という。これですっかり安心した。理学療法の青年は大回診の折、一緒に病室を回りそれぞれの患者の状態をしっかり把握しているのだった。医師や看護師は忙しくとてもゆっくり患者の話を聞いている余裕はない。そこへいくと理学療法士たちは30分から1時間ゆっくり話を聞いてくれる。

 高熱も収まりいよいよ抗がん剤による治療が始まった。次第に体毛が抜ける。吐き気が始まる。皮膚が黒ずんでくる。爪が死人の爪のような色になる。口内炎ができ口の中が口内炎だらけになる。すべて白血球が少なくなったせいでちょっとした菌やウイルスにも抵抗できなくなっている。鏡で我が姿を見るととても助かる人間には見えない。「自分は助からない2割に入るのかな・・・」と考えていると、理学療法の青年が「大丈夫ですよ。すべて想定内です」ときっぱり言う。心が上向きになったところへ看護師長が「私たち現場の人間の経験からくる直感ですが、この人は助かる、この人は助からない、というのが分かります。日野さんは助かる人です」とにこやかにしかも自信を持って告げてくれる。胸にこみ上げてくるものがあった。痩せ衰えて骨と皮ばかりになった体を眺め「おいっ。助かるんだぞ!」と自分で叱咤激励した。

 感情の起伏が全くない医師だと思った主治医が意外な面を見せる。恐ろしい響きの骨髄穿刺をする時が来た。これは胸骨に管を刺し髄液を取る作業である。インターネットで家内が調べると大人でも悲鳴をあげるほどの痛みを伴う。この検査には30分ほどかかるという。とんでもない。目の前で胸に穴をあけられるなどとても耐えられそうもない。そこで医師に「全身麻酔をしてください」というと「とんでもない。その方がダメージが大きいです。部分麻酔で十分です。ちゃっちゃとやりますから、ちゃっちゃっと」と冗談を言うような調子で言う。その勢いに押されてついに胸に穴をあけられることとなった。麻酔の注射を胸骨の周りに打つ。痛い。「麻酔が効くまで1分半かかります。この沈黙の時間がいやなんだよな。」と呟くように言って沈黙に耐えられないように何やらしきりに呟いている。妙な先生だなと笑いが込み上げてきた。案外冗談が通じる方かもしれないと思えてきた。

 麻酔が効いてきた。「じゃあやりますよ。えいっと。さてできたと。では抜きますよ」と声をかける・「よいしょっと」と掛け声をかけると体がすーっと浮き上がるような感覚に襲われた。「はいっ、終わりました」と声がかかる。痛みはなかった、「先生、痛くないですよ。なかなかの腕ですね」というと「たまたま痛くなかっただけですよ」と照れたようにいってそそくさと引き上げて行った。

 私の病室には英語の雑誌が置いてある。職業柄様々な英語の本が積んである。主治医は目ざとく見つけると「あっ、英語だ。蕁麻疹が出る!」と叫ぶ。英語が大嫌いという。そこで「先生、この病室に入ったら英語で話すということにしませんか」と誘いかけると「そんなことをしたら注射を痛くしますよ」と切り返してきた。これは波長が合いそうだと直感した。それ以後私の部屋にある息子の漫画を見つけると「おっ、珍しい漫画だ」と手に取ってじっと見入る。「お貸ししましょう」というと「そうですか。では遠慮なく」と借りて行った。次の日の夕方、人目を忍ぶように病室へ来た。手には大きな紙袋が下がっている。「これは私の息子が読んでいるものですが結構面白いですよ」とどさっと漫画を置いて行った。こうして漫画の貸し借りが始まった。

 218日間の入院の日々は決して楽なものではなかった。一度心臓が止まるほど高熱が続いた。

 その度に主治医が適切な処置をし、看護師が真夜中でも苦しむ私の背中を擦ってくれたり、理学療法の青年が筋肉の衰えの激しい足をマッサージしながら「大丈夫ですよ、心配ありません」と励ましてくれた。

 惜しくも団十郎は無理をしすぎて倒れてしまったが、私は家族や肉親、友人の熱い応援を得てまだ生きている。そして妙に気の合う主治医に恵まれ、若いながらも患者の心を汲みながら治療をしてくれた理学療法の青年たち。真夜中でも嫌な顔一つせず飛んできては天使のように介護してくれた看護師さんたち。思い出すたび手を合わせたくなる。

第32回「心に残る医療」体験記コンクールには、全国から医療や介護にまつわ る体験や思い出をつづった作文が寄せられました。入賞・入選した19作品を紹 介します。

主催:日本医師会、読売新聞社
後援:厚生労働省
協賛:アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)

審査委員<敬称略>
落合 恵子(作家)、竹下 景子(俳優)、ねじめ 正一(作家・詩人)、原 徳壽(厚生労働省医政局長)、外池 徹(アフラック社長)、石川 広己(日本医師会常任理事)、吉田 清久(読売新聞東京本社医療部長)

 

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