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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[神足明子さん]奇跡信じて前向きに

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笑顔取り戻した里帰り

「一日中、ほとんど夫婦一緒に過ごします。こんなに一緒にいることは結婚してからありませんでした」(川崎市内で)=守谷遼平撮影

 コラムニストの神足裕司さん(56)は、2011年9月にくも膜下出血を発症しました。現在は妻、明子さん(54)ら家族が在宅介護をし、リハビリを支えています。明子さんは「緩やかにでも回復しているという手ごたえが何よりの励みです」と話します。

 夫が倒れたのは、故郷の広島県での仕事を終え、東京に戻る飛行機の中でした。緊急搬送された都内の病院から「すぐ来てください」と川崎市内の自宅に連絡があったのです。事態をつかめず、「入院しなくちゃいけないかな。着替えやタオルはいるかしら」などと考えながら、同居している私の母と娘を連れ、病院に向かいました。外出していた息子も合流しました。

 そこで医師から、「くも膜下出血で容体は極めて重篤。緊急手術が必要」と知らされたのです。「会わせたい人がいるなら呼んだほうがいい」とも言われました。

パパなら大丈夫

 裕司さんは仕事仲間と朝まで飲み歩くなど不規則な生活を送り、倒れる前月には高血圧と診断されていた。

 「病院に行かなくちゃね」と夫婦で話したばかり。「早く対処していれば」と悔やみました。

 手術は成功し、生命の危機は脱しました。でも、脳はダメージを受けており、治療は続きました。「このまま意識が戻らない可能性もある。目が覚めても家族のことは覚えていないかもしれない」。医師の言葉は厳しいものばかりでした。でも「パパなら大丈夫」と不思議と悲観的にはならなかったのです。

 夫が目を覚ました時の喜びは忘れられません。「手を握って」と声をかけると、私の手を握ってくれ、家族の顔もわかっていました。ただ、リハビリ専門病院に転院後、自分の状態に気付き始めた夫は、ふさぎ込み、リハビリに取り組まないこともありました。「がんばって早く家に帰ろう」と励ましました。

 退院が近づくと、周囲の誰もが、療養型施設への入所を勧めました。在宅介護は家族の負担が大きすぎるというのです。でも、夫の寂しそうな姿を思うと、自宅以外は考えられなかった。

 後遺症で言葉が思うように出ない夫は、自分から「トイレに行きたい」とは言えません。でも、家族が表情を察して「トイレに行く?」と問いかけると、うなずいてくれる。施設ではそこまでしてくれないと思いました。

子どもの協力

 12年9月、裕司さんは退院、1年ぶりに自宅に戻った。介助しやすいよう浴室やトイレを改修。門から玄関への階段には、車いすのまま昇降できるリフトを設けた。

 夫は自分の力で立ち上がることも、歩くこともできません。要介護度は最も重い「5」。食事は一人で出来ますが、ベッドから車いすへの移動や着替え、トイレなど、生活のほとんどに介助が必要です。

 夫の大きな体を支えるのが大変で、腕が肩より上げられなくなったことも。ただ、夫も少しずつ、こちらに合わせて体の重心を動かせるようになり随分と楽になりました。

 社会人の息子や大学生の娘も、家にいるときは率先して手伝ってくれます。朝夕2回、ヘルパーさんも来てくれる。木曜は施設で時間をかけてリハビリに取り組む日。上手に入浴もさせてくれるのでスッキリした顔で帰ってきます。

物書きの心健在

 裕司さんの意識が戻って間もなく、明子さんは「少しでも回復につながれば」と、紙と鉛筆を渡した。最初はたどたどしい字だったが、家族の名前や好きな飲食店の名を記した。次第に文章の形になった。

 12年10月から3か月間、コラムニスト、えのきどいちろうさんのラジオ番組で、夫の書く「手紙」を紹介してくれることになりました。えのきどさんは学生時代からの知り合いで、彼あての手紙形式のエッセーです。話があったとき、夫は「やる」と即答しました。やはり物書き。原稿を執筆する時は何よりも集中しています。後遺症による記憶障害があるため、書いたことを読み直し、思い返しながらなので時間がかかりますが。

 昨年9月に広島に里帰りしたのも、回復を促したと思います。倒れる直前に出ていた地元テレビ局のスタッフらとカラオケに出かけた時のこと。女性アナウンサーからマイクを向けられると、好きだった「ハナミズキ」を、はっきりした声で歌ったんです。思わず涙があふれました。

 それから夫の様子が目に見えて明るくなりました。愛する故郷で、大切な何かを取り戻したのでしょうね。

 この先、どこまで回復するのかはわかりません。でも、いくつもの奇跡を目の当たりにしてきたのです。前向きに介護に取り組んでいこうと思っています。(聞き手・田中左千夫)

 こうたり・あきこ 1959年、東京都生まれ。森村学園専攻科卒業。勤務先の出版社編集部で、学生だった裕司さんと知り合い、85年に結婚。専業主婦になり、1男1女をもうける。昨年12月に刊行された裕司さんの闘病エッセー集「一度、死んでみましたが」(集英社)では、まえがきを執筆している。

 ◎取材を終えて 重い後遺症が残る裕司さんの介護。心身ともに負担が大きいはずだが、明子さんの表情は明るかった。医師らが回復を絶望視した時も、在宅介護を始めた時も、「良いことだけを信じ、あきらめたことは一度もありませんでした」と話す。前向きな姿勢が日々の介護を支え、リハビリにもこのうえない力を与えているのだろう。裕司さんのコラムニストとしての本格復帰を心待ちにしたい。

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