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[ルー大柴さん]茶道師範 仕事にも幅

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「師範の免状をいただいた時は、凛(りん)とした気持ちになった一方で、フォックス(キツネ)につままれたみたいだったよ」(東京都内で)=加藤祐治撮影

 「薄茶を差し上げます」

 先月半ば、東京都新宿区にある「遠州(えんしゅう)茶道宗家研修道場」の一室。螺鈿(らでん)細工が施された炉縁(ろぶち)の脇に正座し、柄杓(ひしゃく)を手に釜の湯をくむ。吉兆模様の祥瑞(しょんずい)茶碗(ちゃわん)に注ぎ、茶せんを細やかに揺らして茶を()てる。「どうぞ」と差し出す姿は、茶人「貫庵(かんあん)大柴宗徹(そうてつ)」の顔だった。

 テレビで見るにぎやかな雰囲気との違いに目を見張ると、「おもてなしの心を込めてお点前をすると、ピュア(純粋)でイノセント(無垢(むく))な思いだよ」。いつもの英単語交じりの「ルー語」が飛び出した。

 430年の伝統を持つ遠州流茶道と出合ったのは、2006年。仕事が減り、「ライフの転機の時期だった」。袱紗(ふくさ)の使い方や茶碗の置き方など独特の作法が複雑で、自分には合わないと感じた。それが「石の上にもスリーイヤーズ、少しできると楽しくなったよ」。4年で準師範となり、昨年4月、家元から師範の免状と庵号を授かった。

 幼稚園の学芸会で拍手を浴びて以来、役者になるのが夢だった。23歳の時、テレビドラマでデビューしたが、その後は鳴かず飛ばず。役者以外で何かできないかと、くどくてアクの強いキャラクターを打ち出すと、タレントとしてブレーク。34歳の遅咲きだ。

 「マチャアキ、何言ってんだよぉ」。あえて空気を読まずに割り込み、大先輩の懐に飛び込む。怖かったが、かわいがってもらえた。全テレビ局でレギュラー番組を持ち、強烈な個性と裏腹の渋い脇役もこなせる俳優として、舞台やNHK大河ドラマにも出演。「長い下積み時代、初めは応援してくれた母にまで『妻子を泣かすな』と言われただけに、やったぞ!と意気揚々だった」と振り返る。

 だが、徐々に飽きられ、40歳代に入ると仕事は減った。どうしていいか分からず、気がつくとテレビから遠ざかっていた。

 転機は50歳を過ぎた頃。05年にマネジャーが代わり、ある日、「中途半端ですよ」と一喝された。30歳代半ばの彼の指摘を「若造が」と無視するのは簡単だ。だが、返す言葉もなく「その通りだ」と思った。意識を変え、新たな道を見いだすため、激しい議論を繰り返した。

 そこで誕生したのが「ルー語」だ。父親が4か国語を話す環境に育ち、自身も高卒後に米欧を放浪して英語を身につけた。英単語を交ぜて話すクセを強みにしようと「何だよ、(やぶ)からスティック(棒)に」「それは寝耳にウオーター(水)だ」と、ことわざや慣用句に取り入れた。ブログに書くと女子高生の間で話題となり、再ブレークを果たした。

 茶道を始めたのも、自身を変えるためだ。元来、静かな雰囲気は嫌いじゃない。人間修養にもなるはずだ。すると、昨秋は松江市でお茶会に呼ばれるなど、仕事の幅も広がり始めた。

 還暦を迎えた今、社会活動に関心を持つようになった。きっかけは07年、NHKみんなのうた「MOTTAINAI~もったいない~」を歌ったこと。「環境問題など知らなかったけど、子供たちに歌うのは責任重大だ」と自分にできることを考え、富士山の樹海清掃や駅前ごみ拾いなどボランティア活動を始めた。

 「自分が関わることで興味を持つ人が増える。そんなふうに役立てればいいし、一緒にやるとトゥギャザー感が生まれる。それが最高なんだ」(本田麻由美)

 るー・おおしば タレント、俳優。1954年、東京生まれ。テレビや舞台のほか、ドジョウやメダカの採集・飼育の趣味を生かして雑誌連載も手がけ、国連生物多様性の10年日本委員会の「生物多様性リーダー」などを務める。遠州流十三世家元と家族を描いたドキュメンタリー映画「父は家元」(東京、横浜などで公開中)に出演。山野美容芸術短期大学客員教授。

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