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介護・シニア

武家茶道…無駄ない点前 粛然の間

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 江戸時代に徳川将軍家や大名家の間で広まった武家茶道は、千利休のわび茶の流れをくみながら、武家らしい独特の所作を今に伝えている。シニアの女性2人が、武家茶道の一流派・石州流大口派の茶道教室を訪ね、その神髄に触れた。

星野さん(左)から石州流の所作を習う(右から)大池さん、皆見さん。あいさつの際は軽く拳を握る(大阪府高槻市で)=浜井孝幸撮影

 「武家茶道がどんなものなのか興味があった」と話す大阪府高槻市の大池美枝さん(63)と、同市の皆見(みなみ)盟子さん(76)が体験した。2人はそれぞれ裏千家、表千家での茶道の経験があるという。

 50年以上、修練した免許皆伝者の春翁庵・星野宗休さん(67)が、高槻市内の自宅で開く教室「茶道ほしの」の茶室、芥川松月軒を訪ねた。

 石州流は、大和小泉藩2代藩主の片桐石州(1605~1673年)を祖とする流派で、石州が江戸幕府4代将軍、徳川家綱の茶道指南役になったことから、武家の間で広まった。

 流派の所作について、星野さんは「千利休の嫡男、道安の流れをくみ、武士の茶道らしくさっぱり鮮やかな清楚(せいそ)な点前が特徴です」と説明した。

 茶器などを持つ際に使う袱紗(ふくさ)はふつうは左に着けるのに対し、左は刀を差すため、右に着ける。あいさつをする際も手のひらを膝の前で畳につけず、軽く拳を握って腰の横でつける。このほかにも三千家などとは異なる所作は多いという。

 紋付きはかま姿の正装で星野さんがたてたお茶を、2人は石州がデザインしたとされる水玉模様の茶碗(ちゃわん)で味わった。点前が終わった後のあいさつも独特だ。「いちおうあいしまいます」など昔ながらの言葉遣いがそのまま残っている。

 心地よい緊張感が漂う茶室で、星野さんは「武士らしいというだけではなく、茶器などに触れる手のひらを畳につけないのは清潔に保つという意味もあります」と続けた。

 所作の違いなどの質問に一つひとつ丁寧に答える星野さん。最後に「茶道の流派の中では少数派ですが、江戸時代に剣は柳生、茶は石州と言われた。その伝統と相手を敬う精神をしっかりと伝えていきたい」と話していた。(森川明義)

 皆見さん「前に一度、武家茶道を見たことがあったが、今回はそれとは異なって楽しかった。袱紗を広げる袱紗さばきは花が咲いたような美しさだった」

 大池さん「すごく丁寧にお茶をたてていると感じた。自然な流れの中で心を込めていることも分かった。裏千家を習っているが、武家茶道にも興味を持てた」

伝統に忠実 多数の流派

 武家茶道には石州流のほか、建築、造園などで名高い大名茶人・小堀遠州(1579~1647年)を祖とする遠州流など数多くの流派がある。

 茶道の歴史に詳しい裏千家今日庵茶道資料館(京都市上京区)の橘倫子学芸主任によると、武家茶道は大名が将軍を屋敷に迎えて接待する御成(おなり)の際には、能とセットだったといい、その特徴を「袱紗の位置など江戸時代、武士に合わせ改良が加えられた。武家茶道の流派では、その当時の形が残っているケースが多い」と語る。

 石州流は、奥義を伝える際、優れた人物には免状を出す権利など全てを伝える「完全相伝」の形態を取ったため、統一された家元制度はなく、現在、数多くの派に分かれて継承されている。星野さんは「大口派も伝統を忠実に伝えている流派の一つ」と話している。星野さんが自宅で開いている教室「茶道ほしの」の連絡先は、072・683・8684。

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