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死見つめ 穏やかに過ごす…ぽっくり寺の半世紀

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山中眞悦住職(右)の法話を聞く参拝者たち(吉田寺で)=守屋由子撮影

 「ぽっくり往生の寺」として知られる、奈良・斑鳩の吉田寺(きちでんじ)。高度成長期から超高齢時代へと、急激な変化を遂げたこの半世紀で、参拝者の姿はどう変わったのか。住職の山中眞悦(しんえつ)さん(59)を訪ねた。

 本堂の奥にある阿弥陀如来(あみだにょらい)座像を背に、眞悦住職の法話が始まった。「医療が進歩し、福祉が充実して、みなが長生きできる時代になりました。でも、最後は必ず死が訪れる……」。背筋を伸ばした50人ほどの年配の女性たちが聞き入っている。やがて、それぞれが小さな木魚をたたき、「なむあみだぶつ」を唱える。

 吉田寺は、檀家(だんか)もなく、墓地もなかった。戦後の一時期は、住職さえ不在だった。信仰心の厚い人が集まる念仏講の寺で、「本尊の阿弥陀如来の前で祈祷(きとう)を受ければ、長患いせず、シモの世話にならない」という言い伝えも、限られた人が知るものだった。

 東京五輪が開かれた半世紀前は、眞悦住職の母のかをるさん(86)が、集まってくる女性たちの相談相手を務めていた。「(しゅうと)がぼけて、便を壁に塗った」「(しゅうとめ)が寝たきりになって、長い」。「認知症」や「寝たきり」のことを他人には言いにくかった時代。女性たちは、親の安らかな最期のために祈った。

 その吉田寺に、大きな転機が訪れる。1972年、作家の有吉佐和子さんが、認知症を巡る本人や家族の葛藤を描いた『恍惚(こうこつ)の人』を刊行。その関連で、テレビ局が吉田寺を「ぽっくり往生の寺」と紹介した途端、全国から参拝者が殺到するようになったのだ。

 同年、高知大学文理学部(哲学専攻)に入った眞悦住職は、目を疑った。帰省するたびに参拝者が倍増し、本堂や庫裏に人があふれていく。ピーク時には、全国から1日にバス27台、500人以上が訪れた。

 参拝者の大半は、60~80歳代の女性たち。いつからか、木魚の穴に、自分の願い事を記した紙を入れていく習わしができた。「長患いしませんように」「とうにょうでんように」「安らかに死ねますように」。先代住職や家族がしばしば木魚の掃除をしないと、たたいてもよい音が出ない。

 「ぽっくり願望とは、健康で長生きをしたいという『長寿願望』の裏返しでは。医療の進歩や発展の裏で、実は誰もが、自分の老いや病、死について深く思い悩むようになっていた」と、眞悦住職は振り返る。

 バブル経済が崩壊し、昭和から平成に変わる頃、参拝者は、地域の老人会などの団体から、職場や趣味などでつながった少人数のグループや夫婦へとかわっていった。平均寿命が延びたというのに、特に男性で、険しい顔、あきらめ顔をした人が目につくことが気がかりだという。

 吉田寺で祈祷を受けた人の子や孫たちの参拝が増えたことも、最近の変化。「おかげさまで、祖母のシモの世話をしたのは3日だけで済みました」「父は2年患いましたが、自宅で、よい往生でした」など、状況はそれぞれだが、「よいみとりができた。あやかりたい」という思いが共通している。

 こうした体験の中から、「死を見つめつつも、自分らしさをしっかりと持ち、人生を穏やかに過ごす超高齢時代の新しい生き方」(眞悦住職)が、少しずつ根づいていくのかもしれない。(鈴木敦秋)

 吉田寺 平安時代中期の987年(永延元年)、浄土教の先駆者である恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(942~1017)が開いた。源信の母の臨終の際、除魔の祈願をした衣を着せ、念仏を唱えると、苦しみもなく往生したとされる。現代では、参拝者がその衣にみたてた肌着を持参し、祈祷を受ける。

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