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[戸田奈津子さん]タップ気ままに 胸躍る

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「痩せるとか目に見えた効果はないのよ。でも音楽に合わせて踊るのは楽しいわ」と戸田さん(東京都豊島区のダンススタジオ「RHYTHM SPEAKER」で)=本間光太郎撮影

 東京・池袋の地下にあるタップダンススタジオに「カン、カ、カン」とタップシューズで床を蹴る軽快な音が響く。

 ブロードウェーミュージカル「コーラスライン」の名曲「ワン」に合わせたダンス。「こんなに速く動けないよ」と悲鳴を上げながら、5回、6回とステップを繰り返す。

 タップダンスを習い始めたのは2011年。中学、高校の先輩の女性に誘われてスタジオに通い始めた。子どもの頃から運動は苦手で「体を動かすことは大嫌い」。40歳を過ぎて健康を意識して水泳を始めたが、すぐに通わなくなった。それだけに、タップを続けていることが「驚くべきこと」と笑う。大好きなミュージカルの曲などに合わせて踊ることが楽しい。「ここまでやってギブアップするのもちょっと悔しいじゃない」

 昨年11月、タップダンスの発表会に臨んだ。ジャズのスタンダードナンバー「シング・シング・シング」に合わせて手作りの衣装で踊ったという。

 最初は片方の足で立つのもやっとだった。足の運びをメモに取り、自宅でDVDを見ながら練習して、ステップを習得した。「のみこみが悪くてね。年をとったなぁと感じる」と苦笑い。でも、仕事一筋で年齢を意識したことがなかっただけに「年をとった」と思う自分も新鮮だ。

 日本を代表する字幕翻訳者だが、本格的に仕事ができるようになったのは40歳を過ぎてから。大学卒業後、映画雑誌やアニメの翻訳をしながらチャンスを待ち続け、出世作となる「地獄の黙示録」に出会う。そこから、次々と仕事が舞い込むようになり、試写室と自宅の机を往復する日々を過ごした。

 「20年待ち続けて、やっとやりたい仕事ができるようになった」。無我夢中で仕事に打ちこみ、多い時には年間50本を手がけた。「今日はラブロマンス、明日はSFという具合で集中力が必要。脳の一部分だけフル回転させていたようなもの」と振り返る。

 転機は5年ほど前。「映画にドラマを感じることが少なくなった」と気付いた。ビジュアル重視の映画が増えるにつれて、物足りなさを感じるように。字幕翻訳を手がける映画の本数をこれまでの5分の1程度まで減らした。

 自由な時間が増え、海外旅行やドライブを存分に楽しめるようになった。昨年末には、パラオへ海を見に行き、その後、パリに出かけた。パリでは、一日中街を歩き回って友人に驚かれたという。「タップのおかげで足腰が強くなっているのかも」と喜ぶ。

 時間の束縛から放たれ、「タップを始めたように、気まぐれな挑戦もしてみたい」と話す。そのためには、健康第一。仕事も「自分が楽しんでできるもの」に取り組んでいくつもりだ。

 「全盛期のようにあれもこれもとやると負担になる。体と相談しながら、老後を楽しまなくちゃね」。心のゆとりに裏打ちされたちゃめっ気たっぷりの笑顔を見せた。(野倉早奈恵)

 とだ・なつこ 映画字幕翻訳者。1936年、東京都生まれ。70年に「野性の少年」で字幕デビュー。「地獄の黙示録」(80年)が出世作となり、「E.T.」「硫黄島からの手紙」「タイタニック」など作品多数。海外の映画関係者の通訳も務める。

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