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[財津和夫さん]言葉の大切さ 若者へ

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「学生たちは、自分の子供のようだ。年寄りにはできないことをぜひ、やってほしい」(大阪芸術大学で)=浜井孝幸撮影

 「詞を書く心は、次元を超える。目に見えるものだけじゃなく、直感的なものも表現されていると思って読んでみたらどうかな」

 今月15日、大阪芸術大学(大阪府河南町)での今年度最後の講義。一つひとつの言葉をかみ締めるように語った。

 教授として、2004年から教壇に立つ。当初は、ロックの歴史を解説するなどしていたが、今年度は「歌詞の創作」を、初めて講義のテーマに据えた。「年を重ねるうちに、言葉の大切さに改めて気付いた」からだ。

 年12回、少人数のゼミ形式。俳句を題材に、日本語の微妙なニュアンスや情緒を学んだり、学生の作品を批評し合ったり。「若者は若者らしく。情念や生活感にあふれ、自由で破天荒な本音の詞が、もっと出てきてもいいと思う」

◇         ◇         ◇

 高校2年生の時に見たビートルズの映画に衝撃を受けた。「彼らのようになりたい」。福岡の大学在学中に結成したバンド「チューリップ」は、「心の旅」「青春の影」「サボテンの花」など数々のヒットを飛ばし、ニューミュージック界の草分け的存在になった。

 5人兄弟の末っ子。「家族の中心ではなかったし、傍観者的に、こそこそ生きるのが向いている」と今でも思っているが、バンドの中では最年長で、リーダーだった。「地方の出身だし、クソがつくほど真面目な性格」と、責任感の強さ故、メンバーに厳しく当たったこともある。「僕たち団塊の世代は、がむしゃらに突っ走る宿命だった」。野外ライブや、ソロでの活動も精力的にこなした。

 05年10月、仕事に向かおうとしても足が前に出ず、がくぜんとした。冷や汗が出る、やる気が出ない、眠れない、といった更年期障害の症状が始まった。

 当時は、チューリップの4度目の再結成ツアーの真っ最中。仕事の重圧や、多忙ですれ違いがちな家族への気苦労もあった。だが、「生まれながらの性分で、ずっと蓄積されてきたストレスが、ついにコップの縁からあふれ出てしまったようだった」。

 医師のカウンセリングを受け、散歩などで体を動かすことを心がけた。何かの本で読んだ、「病気を認める」という言葉が支えになった。生き方も見直した。「これからは、無理も、やせ我慢もしない。わがままに、やりたいことをやっていく」。闇夜をさまようような不安は次第に薄れ、還暦を過ぎる頃には元気を取り戻した。

◇         ◇         ◇

 沈む夕陽(ゆうひ)は止められないけど それでも僕は追いかけて行く――。

 1978年、30歳でリリースした「夕陽を追いかけて」の一節だ。

 東京から福岡へ、西へ西へと向かう飛行機の中で浮かんだ詞。かつては「端から見ていられた」夕陽だが、65歳の今は「老いゆく自分」が重なる。

 「アメリカの豊かな文化とイギリスのとがった音楽の影響を受けた僕たちは、歌詞よりもサウンドを前面に打ち出してきた。そのうち、洋楽と日本語の良さをものにした、歌謡曲でも演歌でもない、本当の日本のポップスがきっと生まれる。そんな曲が出てきたら、僕らがその礎を築いた、と思えるんじゃないかな」

 次世代の音楽シーンを担う若者たちへの橋渡し。「わがままに生きる」と決めた余生において、「もちろん、やりたいことの一つ」だ。(石原毅人)

 ざいつ・かずお 歌手、作詞・作曲家。1948年、福岡市生まれ。71年、バンド「チューリップ」結成。72年、「魔法の黄色い靴」でデビュー。78年からソロ活動も。松田聖子らへの楽曲提供でも知られる。89年に解散したチューリップの6度目の再結成ツアーを昨年終えた。

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