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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[塚本けいこさん]最期まで「絶対治る」

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高座に上がる夫 励まし続け

「末期がんと告知されて夫は気弱になった。治ると励ますことで、生きる気力を持ち続けてほしかった」(大阪市内で)=原田拓未撮影

 落語家の笑福亭松喬(しょきょう)さんは昨年7月、肝臓がんのため62歳で亡くなりました。がんが見つかった時、すでに末期でしたが病気を公表。

 治療をしながら1年半、高座に上がり続けました。妻でフリーアナウンサーの塚本けいこさん(60)は、「絶望的な状況でも夫を励まし続けたのは、私自身のためでもあったと思う」と振り返ります。

死 受け入れず

 がんがわかったのは、2011年の12月。ちょうど60歳を迎え、還暦落語会などで多忙な年でした。体重が減り、「疲れが取れへん」と何度も言うので病院に行くと、「肝臓に腫瘍がある。すぐに大きな病院へ」と言われました。

 あらためて診てもらった総合病院の医師は、「がんです。大きいなあ」と、コンピューターの画面を見たまま、告知しました。夫は帰り道、「お前は長生きせえ」と泣きました。普段とは全く違う弱い姿にショックを受けました。「この病院にはお世話になりたくない」と、知人に別の病院を紹介してもらい、検査入院しました。

 しかし、腫瘍は大きく、もう手術ができない状態だとわかりました。ここの医師も空模様でも話すように淡々と、「会いたい人がいるなら会ってください。治療しないのも一つの選択です」と言いました。死を受け入れなさいと言われたようで、夫より先に、「嫌です。どんなことでもします」と答えました。

衰えない気迫

 年末から、抗がん剤の投与が始まった。放射線治療とがん細胞の増殖を抑える薬も服用し、10日から1週間程度の入退院を繰り返した。治療の影響で味覚が落ち、「ご飯が苦い」と一口食べるのも苦しそうにしていた。

 食べないと体が持たないと思い、彩りのよい弁当を買ったり、おいしい汁物を魔法瓶に詰めたりして病院に行きました。イカ焼きでもエビカツバーガーでも、食べたいと言われれば買いに走りました。でも、やっぱり半分も食べられない。私は一緒に食べながら「おいしいねえ」と繰り返しました。酷だったかもしれませんが、そう思い込ませ、食べてもらいたかったのです。

闘病中の2013年1月、大阪・住吉大社での奉納落語会で高座に上がる松喬さん

 仕事や通院などほとんどの行動を共にするようにしました。それまで寝室は別だったのですが、「一人は怖い」というので、一緒に寝るようにしました。薬の副作用で倦怠(けんたい)感が強くてつらそうでした。しかし、「演じていると病気を忘れられる」と、舞台での気迫は衰えません。「仕事してる場合じゃない」と言う人もいましたが、夫には仕事こそ命だったのです。

前向いて看病

 けいこさんは、インターネットや雑誌で情報収集に努めた。別の病院で保険適用外の治療法を行っていることを知り、試したいと思った。

 夫は最初、「先生がどう思わはるか」と消極的でした。主治医に嫌われたら頼る人がいなくなる、と心配したようです。「私が先生に手紙を書いてお願いする」と説得し、両方の病院で治療を並行して受けることになりました。でも、1回目の治療後に肝臓の状態が悪くなり、主治医から、「これ以上続けるならうちでは診られない」と言われ、やめました。

 告知から1年たった2013年の正月は、自宅で迎えました。体調は比較的よく、新ネタの練習をしたり、仕事の打ち合わせをしたり。新車を買って、「これから楽しむんや」と希望を持っていました。

 ただ、食欲は落ちて、やせる一方。「一口でいいから」と勧めると、「食べられへんもんの気持ちはわからんやろ」と怒る。私も「がん患者の妻の気持ちなんてわからんやろ」と返してしまう。どっちも余裕がないからすぐにけんかになる。なんでもっと優しい言い方がでけへんのやろ、と自分が嫌になりました。

 4月、抗がん剤治療のために再度入院した。6月には、肝不全による嘔吐(おうと)が始まり、すべての仕事をキャンセル。その後、容体はさらに悪化し、7月30日に亡くなった。

 夫は「もうこのまま眠りたい」と漏らすこともありましたが、私はいつも、「大丈夫。絶対治る」と励まし続けました。死を前提にした話はしないようにしていたので、遺言めいたやりとりはありませんでした。もっといろんな話をしたかったとも思いますが、治ると信じて励ますことで、最期まで前を向いて看病できたと思います。(聞き手・中井道子)

 つかもと・けいこ 1953年、大阪市生まれ。74年和歌山放送に入社。80年に退社し、フリーアナウンサーとしてテレビやラジオの司会などで活躍。仕事を通じて知り合った松喬さんと88年に結婚。1男1女をもうける。

 ◎取材を終えて 松喬さんは闘病中、けいこさんに「ようやってくれるなあ」「あんたのやることに間違いは何もない」など、さりげなく感謝の言葉を伝えてくれたそうだ。夫を失った悲しみがまだ癒えないけいこさんだが、「夫の言葉が今の私を支えている」と話す。松喬さんが末期がんとわかってからも高座に上がり続けたのは、落語家としての執念に加え、懸命にケアをしてくれるけいこさんを喜ばせたかったからだと思えてならない。

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