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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

yomiDr.記事アーカイブ

腫瘍マーカーの意味、誤解していませんか?

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 「気持ちが晴れないまま、悶々もんもんと過ごしています」

 Yさん(76歳男性)は、5年前に早期肺がんの手術を受け、その後、順調に経過しているのですが、一つだけ、とても気になっていることがあります。それは、術後の経過観察の際にチェックしている、血液検査の「CEA」の値が、3年前から、高めで推移していることです。


肺がん再発を心配するYさん

 CEAは、「腫瘍マーカー」と呼ばれる、血液検査の項目の一つで、がんの患者さんで上昇していれば、がんの勢いを反映している可能性があります。Yさんも、そのことはよくご存じで、「肺がんが再発したに違いない」と、絶望的な気持ちになっていました。

 経過観察していた外科の担当医は、CTやPET-CTなどの画像検査を行ったり、胃カメラや大腸カメラの検査を行ったり、体じゅうを、くまなく検査しましたが、がんの再発や、新たながんの出現は見つかりません。

 「これだけ検査して、がんが見つからないのだから、安心していいですよ」と説明を受けても、Yさんの気持ちは晴れません。

 1年前、CEAがさらに少しだけ上昇したところで、Yさんの不安はピークに達し、外科医からの紹介で、私の診察室にやってきました。

 「もう、肺がんが全身に広がって、私は末期なんです。早く診断して、治療をすぐに始めなければ、死んでしまう。腫瘍内科に行ったら、もっと細かい検査をしてもらえるはずだと言われて、すがるような気持ちでここに来ました」


不安という「後遺症」

 このような患者さんが、私の診察室に来られるのは、珍しいことではありません。Yさんのような、手術後の経過観察中に腫瘍マーカーが上昇したという患者さんも多いですが、より多いのは、「健康診断で腫瘍マーカーが高いことがわかり、腫瘍内科を受診するように言われた」という患者さんです。

 「患者さん」と書きましたが、腫瘍マーカーが上がること自体は、「病気」ではありませんので、適切な表現ではないかもしれません。実際、「腫瘍マーカーが高い」という理由で病院に来られる方の多くは、「病気」が見つからないまま、通院を終えます。ただ、そういう方々は、「大丈夫でしたよ」と言われても、気分が晴れることはなく、不安という「後遺症」にさいなまれます。これは、現代医療の生み出す悲劇の一つと言ってもいいかもしれません。

 日本の医療現場では、腫瘍マーカーが漫然と測定され、この数値に翻弄されている方は数多くおられます。時に役に立つこともある腫瘍マーカーですが、その意味を理解しながら適切に活用しないと、このような悲劇を生むことがあります。

 腫瘍マーカーが使われる目的には、主に次のようなものがあります。

(1)がん検診(がんの早期発見)

(2)早期がん手術後の経過観察(再発の早期発見)

(3)進行がんの「病気の勢い」の評価(治療効果判定)


数値は、あくまでも「参考」

 腫瘍マーカーが上昇するのは、一般に、体じゅうにがんが広がっている「進行がん」の場合です。進行がんでは、(3)の「治療効果判定」の目的で使う意義が、ある程度確立しています。腫瘍マーカーが上がれば、病気の勢いが増していて、治療が効いていないということ、腫瘍マーカーが下がれば、治療が効いているということを示唆します。

 ただし、腫瘍マーカーは、あくまでも、「参考」にするべきものであって、それを下げることが治療の目的ではありません。患者さんや医療者の中には、数字でわかりやすく示される検査値を、あたかも、患者さんの運命を決定するものであるかのように思い込む人もいて、腫瘍マーカーが上がったり下がったりするたびに一喜一憂していますが、そこまで思い詰めるほど本質的なものではないという理解が必要です。

 CEAを含む、多くの腫瘍マーカーは、「早期がん」で上昇することはありませんので、(1)の「がんの早期発見」の目的で使うことには、無理があります。健康な人に検査を行って、腫瘍マーカーが高かった場合、それをきっかけに、「進行がん」が見つかることもありますが、がんとは診断されないことも多く、「早期がん」が見つかることは稀(まれ)です。逆に、腫瘍マーカーが正常値であったとしても、「早期がん」がないという保証にはなりませんので、それだけで安心してしまうのは、正しい理解とは言えません。


「偽陰性」や「偽陽性」は多い

 本当はがんがあるのに、検査では陰性(腫瘍マーカー正常)の結果が出ることを、「偽陰性ぎいんせい」と呼び、本当はがんではないのに、検査では陽性(腫瘍マーカー高値)の結果が出ることを、「偽陽性ぎようせい」と呼びます。

 (1)の目的で行う腫瘍マーカー検査では、早期がんがあっても、「偽陰性」となることが多い一方で、がんではないのに、「偽陽性」となって、余計な不安を与えられ、余計な検査を受けなければいけない人が、たくさん出てくるわけです。真の「陽性」であっても、見つかるのは「進行がん」であることが多く、がんを早期発見するという目的にはかなっていません。

 こう考えると、(1)の目的で腫瘍マーカー検査を受けても、何もいいことはないように思えます。

 ただ、前立腺がんのPSAや、卵巣がんのCA125や、肝臓がんのAFPなど、一部の腫瘍マーカーは、「早期がん」でも数値が上昇するため、がんの早期発見に活用できる可能性があります。

 このうち、PSA検査による前立腺がんの検診については、以前取り上げたことがあります(本当に必要ながん検診とは=2013年7月4日=)が、その意義がないことを示した臨床試験もあり、また、PSA検診によって救われる命があるとしても、それよりもはるかに多い人々に、偽陽性や過剰検査や過剰治療などの不利益が生じることがわかっており、世界的にも意見が分かれています。

 最有力候補のPSAですら、議論が定まっていない状況ですので、早期発見には向かないCEAなどの一般的な腫瘍マーカーを、(1)の目的で使うのは、避けるべきなのですが、今も、「健康診断でCEAが高いと言われました」と言ってやってくる「患者さん」は、後を絶ちません。


健診では受けない方がよい

 健康診断を扱う業者の中には、腫瘍マーカー検査を「オプション」として提案し、追加料金を取っているところもあるようです。「オプション」と聞くと、なんだか、やっておいた方がよさそうな気になりがちですが、腫瘍マーカー検査の目的や、それに伴う不利益をよく理解した上で、適切な判断をする必要があります。

 「健康診断では、腫瘍マーカー検査は受けない方がよい」というのが、私からのアドバイスです。

 それでも、腫瘍マーカーをはかってしまい、「高値」の結果が出た場合は、安心のために、やむをえず、いろんな検査をすることになります。

 そして、精密検査で異常がないことを確認できた場合は、こう説明します。


 「がんの所見は見つかりませんでしたので、安心してください。腫瘍マーカーは、『偽陽性』だったと考えられます。今回は、過剰な検査を行うことになってしまいましたが、次に健康診断を受けるときは、腫瘍マーカーをはからない方がよいと思いますよ。もう腫瘍マーカーのことは忘れましょう」


 不安にかられながら、いろんな検査を受けて、「がんでなくてよかったです。これですっきりしました」と満足する方もいますが、「肉体的にも精神的にも疲れたし、今も、もやもやが残っています」という人の方が多いようです。追加料金を払って受けたオプション検査で「得たもの」は、なんだったのでしょうか?


「再発の早期発見」に意義はあるか

 (2)の「再発の早期発見」の目的で腫瘍マーカーを使うことについても、いろいろと議論があります。(1)と同様、「偽陰性」や「偽陽性」の問題は、ここでも生じます。冒頭のYさんは、「偽陽性」の結果に苦しんだわけです。

 真の「陽性」であった場合、がんの再発を早期に発見できたということになりますが、再発を早く見つけて、症状が出現するより前から治療を開始する意義があるのか、というポイントも考える必要があります。

 大腸がんであれば、再発を早期に見つけて、手術などで根治を目指すことがあり、その意義は、臨床試験でも証明されています。国内外の、大腸がんのガイドラインでは、CEA等の腫瘍マーカーを、(2)の目的で測定することが推奨されています。

 一方、肺がんや乳がんの場合は、(2)の目的で、CEA等の腫瘍マーカーを測定する意義は示されておらず、国内外のガイドラインでは、「手術後の経過観察中に、腫瘍マーカーを漫然と測定すべきではない」とされています。

 乳がんについては、手術後の経過観察中に、腫瘍マーカーを含む検査を頻繁に行うグループと、行わないグループを比較するランダム化比較試験が、日本でも行われており、その結果が待たれています。

 腫瘍マーカー検査をめぐっては、いろいろな考え方があるわけですが、いずれの場面においても、

  • 検査を受ける目的は何か

  • 検査の精度はどうか(偽陰性や偽陽性の可能性がどれくらいあるのか)

  • 検査結果をどう解釈し、どう行動するか

  • 検査を受けることによって得られる利益は何か

  • 検査を受けることによって生じる不利益は何か



 といったことを、きちんと考えておくことが重要です。何でもかんでも検査は受けた方がよいとは考えず、検査による不利益の存在も知っておく必要があります。


医療は、人の幸せのためにある

 CEAが上昇し、不安に苛まれ、切羽詰まった思いで私の診察室に来られたYさんに対し、私は、時間をかけて説明しました。


 「CEAが上昇してから2年経ちますが、最新のPET-CT検査も含め、これまでの検査で、がんの所見はみられていませんので、『偽陽性』と考えていいでしょう」

 「CEA検査を受けていなければ、今ある不安はなかったはずです。でも、検査は受けてしまったわけですから、あとは、考え方の問題でしょう。検査を受けたこと自体を忘れて、『CEAの呪縛』から逃れた方がいいのではないでしょうか」

 「症状がない限り、余計な検査を受けるのはやめて、気楽に過ごしましょう」

 「今見つかっていないがんや別の病気が、これから出てくる可能性は、もちろんあります。でも、そのときになってから、最適な選択を考えればいいのではないでしょうか。今起きていないことをあれこれ考えて、不安になる必要はありません」

 「がんが見つかったら、そのときは、私が担当医となって、Yさんのために、最善の医療を行うことを約束します」


 Yさんは、こう言いました。

 「先生の言っていることは、頭ではわかるけど、やっぱり、気持ちは晴れないんですよ。もう私は、CEAの呪縛から逃れられない気がしています。いつも家にこもって、誰ともしゃべらず、悶々と過ごしています」

 「でも、これからも先生のところに通っていいですか?」

 それ以来、Yさんは2か月に1回、私の診察室に通院しています。毎回30分ほど、同じようなことを繰り返しお話ししているだけですが、最近は、少しずつ、病気以外のことも考えられるようになってきたようで、雑談にもバリエーションが出てきました。最初にお会いしたときより、表情も明るくなってきたように思います。

 Yさんのような方々とお話ししていると、「医療の意味」を考えずにはいられません。たった一つの検査をするときでも、「医療は、人の幸せのためにある」という原点は、忘れないでいたいものです。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)

 がん研有明病院 院長補佐・乳腺内科部長
 1972年東京生まれ。98年、東京大学医学部卒業。腫瘍内科医を志し、同大附属病院や国立がんセンター中央病院などで経験を積んだ。2005年、東京共済病院に腫瘍内科を開設。08年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。10年、虎の門病院臨床腫瘍科に部長として赴任し、3つ目の「腫瘍内科」を立ち上げた。この間、様々ながんの診療や臨床研究に取り組むとともに、多くの腫瘍内科医を育成した。20年、がん研有明病院に乳腺内科部長として赴任し、21年には院長補佐となり、新たなチャレンジを続けている。西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員長も務め、乳がんに関する全国規模の臨床試験や医師主導治験に取り組んでいる。著書に、「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ―」(きずな出版)や、「気持ちがラクになる がんとの向き合い方」(ビジネス社)がある。

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