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「自殺」を出版した末井昭さん(2)笑って開く気持ちの窓

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 ――クマさんことゲージツ家の篠原勝之さんにお母様のダイナマイト心中の話を笑ってもらったことで、それが隠すべき出来事ではなくなったんですね。

 「それはクマさんに会う前から、フリーでエロ雑誌のイラストとか描きだしたころから、自分の家庭が貧乏で、母親が心中して、村でも差別されるような存在だったということが、自分が表現者として選ばれたことだと思うようになっていましたね。表現者だなんておこがましいですけど。そういう暗い話を人には話さなかったけど、自分の表現に入れ込むみたいな感じですよね」


 ――表現に関わりだしてきて、負の出来事をそういう風に思えるようになってきたと。

 「暗い絵ばかり描いていたんですよね。イラストなんかでも。当時、グラフィックデザインでは横尾忠則さんや粟津潔さんが脚光を浴びていて、二人ともモダニズムデザインから捨てられていた日本的な暗いモチーフ、たとえばお葬式の矢印とかそういうものをデザインに取り入れていて、その影響が大きいですね。アングラというか、そういうブームがあったので、デザインをやっていたころも、僕も自分の中にあるそういう暗いものやどろどろしたものを表現したいと思っていたんです」


 ――じゃあ、時代にもすごく助けられたというか。

 「時代と場所ですね。アンチモダニズムというか、きれいなものに対して、どろどろした情念のようなものを視覚化したいというのがあったのと、そういうことができるキャバレーとかエロ雑誌で仕事をしていたということもあります。まあキャバレーでは思うように表現できなかったけど、エロ雑誌は自由でしたから。広告関係のデザイナーなんかになっていたら、また違っていたかもしれませんけど」


「世間サマ」から自由に

 ――今まで「世間サマ」の価値観に縛られていたのが、自由になった。

 「そうなんですよ。工場労働者のころはもろ世間サマの世界ですよ。川崎の三菱重工に2年ぐらい勤めていたんですけど、本にも書きましたけども、びっくりしましたよ。僕は中途採用だったから、みんなより退職金が少なくなるとか同僚にそんな話をされて、え? みんな何考えているんだって思いましたよ。世間サマと言っても、世間には苦悩を抱えたり自分自身を見つめたりしている人もいると思いますけど、その当時は自分の周りにそういう人はいなかったから」――本のインタビューの中で、青木麓さんも両親の自殺の経験は、アーティストにとってはプラスになるとおっしゃっています。

 「青木さんは両親が心中した女の子で、僕よりすごいんです。ただ練炭で心中しているんで、ダイナマイトに比べると地味かなと。そんなこと比べても仕方ないんですけど(笑)。20歳になったら自分も自殺すると思っていたそうですが、写真家の荒木経惟さんに会って生きようと思ったという人なんです。今は着物を紹介するサイトをやっているんですけど、インタビューさせてもらったときは銀座でギャラリーを任されていて、自分で好きな作家を選んで展示していたんです。お父さんが芸術家タイプの人だったんで、中学生ぐらいの時からSMとか教えてもらったり、ちょっと人とは違う感性を持っていたのが良かったのかもしれないですね」


 ――やはり自殺を考える人とか、残された人とか、その周辺の生きづらさを抱えている人とか、世間サマからものの見方を外してみるということがいいのではないかと書かれています。

 「世間サマの物差しは、いい学校に入って、いい会社に入って、いい暮らしをするのがいいということで、当然自殺なんかはあってはならないことなんです。でもその物差しに自分を合わせようとすると、生きづらくなる人も多いと思うんです。『自殺』で、会社や学校に行くのがつらいときは、逆方向に行く電車に乗ってみることって書いたんですが、それは世間に背を向けることの比喩として書いたつもりなんです。表現の世界に入れば、世間に背を向けることもネガティブなこともプラスに転化できるんです。今、ブログとか誰でもできるじゃないですか。表現まで行かなくても、それに近いことができるし、それをやれば見てくれる人が近所にいなくても、世界を含めてどこかに一人や二人ぐらいはいるんじゃないかと思うんですよね」


 ――ブログのことに触れられましたが、ご自身も前の奥さんのところを飛び出して、今の奥様(写真家の神蔵美子さん)とも最初はうまくいかなくて、うつうつしていた時、ネットで毎日日記を書かれることでその状況から抜け出されたと書かれています。これはやはり表現でもあるし、ただ一方的に発信するだけでなく、誰かに受け止めてもらうというのが重要なのでしょうか?

 「二つあると思うんですね。書いたものを読んでくれる人がいて、俺もそうだったとか、読んで面白かったとか、そういう反応があるとうれしいですよね。それから、書くことによって、自分を客観的に見られるようになるということがあるんです。日記でも人に読んでもらうことを前提にすると、一部分を膨らませたりするんです。その方が面白くなるから。それは体験をフィクション化することで、フィクションになると辛い体験も自分から離れていくように思うんです。そのことで自分が楽になります。自分の中だけにしまい込んでいると、辛い記憶の反復になって気持ちが沈んでいくだけですから」


 ――そういうものを受け止めてくれる誰か、プラス、書くことで整理整頓して客観視するという場を皆持てれば、自殺は減るかもしれないですね。

 「減ると思います」


笑うことで、できること

 ――暗く書かないということですが、笑いの効用について聞かせてください。笑うことで自殺スパイラルから抜け出せるのではないかと書かれていますが、青木さんも自殺したお父さんの目が半開きになっているのを見て笑ったりされています。

 「青木さんは独特の話し方をするから、詳細はわからないんですけど、そのときは辛いですから、笑うより方法がなかったんじゃないかと思うんです。自分の親の死に顔を見て笑うなんてことは、世間サマから見たら不謹慎なことですけど、バカにして笑っているわけではないので、僕は笑ってあげる優しさではないかと思ったんです。それを聞いたとき僕もびっくりしたんですけど、そういう感性が面白いと思いました。世間からはズレてるけど、そのズレで救われているような感じがするんです」


 ――それこそアルコール依存症で自殺未遂を繰り返した月乃光司さんのインタビューでも、自助グループの集会で、中年紳士が皆の前でまじめな顔で「今の私は、自分のアパートの部屋から見える女子高生を見ながらオナニーはしません!」と発表したのを聞いて、客観的に見ると笑える光景に接した時に、はっとしたというか、今までの自分が変わったということを聞き出していらっしゃいますよね。

 「月乃さんは、アルコール依存症や薬物依存症、自殺未遂の人たちが参加する『こわれ者の祭典』というイベントをもう10年ぐらい前から続けています。そのイベントがあることはずっと前から知っていたんですけど、そこに出てくる人は精神的に病んでいる人が多そうで、これまで怖くて行けなかったんです。月乃さんとインタビューで知り合ってから、去年初めて行ったんですけど、統合失調症の人とかうつの人とか、いろんな精神障害者が出てきて、何もしゃべんないでにらんでいるだけの人とか、そういう人を平気で出しちゃうんで、なんか、すごいなと思って。それを見て、泣いたり笑ったりお客さんがしていて、ステージに立つ人も、それをる人も、ともに救われるように思って、いいことしてるなあと思ったんです」


クスッと笑ってパッと変わる

 ――ご自身も、自叙伝の『素敵なダイナマイトスキャンダル』の出だしで、「芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった」という有名な言葉から書き始めています。笑ってはいけない悲惨な出来事なのに、つい笑ってしまう表現なわけですが。

 「僕は文章はやっぱり笑ってもらいたいということがあるんですね、昔から。僕がクマさんに自殺の話をしたとき、笑ってもらって気持ちが楽になったことがあるので、そういう感じが文章で出せればいいなと。ただ、笑わそうと思って書いても、そういうテクニックもないし、そういう意図があると逆に笑えないと思うんです。そうではなく、まじめなことを書いていても、クスッと笑えるような、そういう感じに書ければいいなと思ってるんです。ギャグというよりはユーモアっていうのかな。その程度のものなんですけども」


 ――事実としては大変に悲惨な事実なのに、ふっと笑える表現にする。青木さんにしても月乃さんにしても、何か笑いって、自殺とか生きづらさや追いつめられた人に対して救いになったりするんでしょうね。この本はそもそも面白い自殺の本ということで出発しているということですが、笑いってなんなんですかね?

 「僕は、お笑いというものが好きなわけじゃないんですよね。テレビを見ていると、お笑い番組多いんですけれども、見ていて全然笑ったことがないんですよ。ああいうふうに一生懸命笑わそうと、仕事として一生懸命やっているのを見ると、必死な感じだけが伝わってきて笑えないんですよね。そういう笑いじゃなくて、なんだろうな、例えば夫婦げんかしているとき相手の顔にごはん粒がついていたりして、思わずクスッと笑って、けんかにならなくなったりするようなものかなあ。暗い状況があったりしても、青木さんがお父さんの死に顔を見てクスッと笑うような、大変な時になんか面白いところ探そう、笑えるところを探そうというのは、なかなかできないかもしれないけれど、もしそういう瞬間があったら、暗く閉ざされたものがぱっと変わるっていうか、ちょっとクスッと笑うだけでぱっと世界が変わるみたいな。そういうものなんだろうと思うんですよね」

 「青木ヶ原樹海を歩く仕事をしていて、何百人もの人を自殺から救っている作家の早野梓さんにも、樹海を案内してもらった後にインタビューしたんですが、自殺未遂で首に縄の跡がついている人と話していて、自殺するならもっと南の島に行ってした方がいいよ、こんなところでするんじゃなくてと言ったら、おじさん自殺を勧めるんですかって言われて、おまえ死ににきたんだろうみたいな。その人は自殺を思い留まって帰ったそうですけど、ちょっとクスッとでも笑ったら、その人は死なないだろうということですね。笑いって、そういう、なんだろうな、窓みたいなもんじゃないですかね。気持ちのね」


 ――気持ちの窓。

 「自分一人で悩んでいるときは、窓がないと思うんです。悩んで悩んで、いくら悩んでも自分の中だけのことだから同じことの繰り返しで解決策は出てこないし、悩みがどんどん深まるだけなんです。悩みのスパイラルですね。そういうとき親しい友達とかいればいいんだけど、それもいないというような時、ふっと笑いが起これば、ぱっと窓が開くこともあると思うんです。窓っていうのは、真っ暗な世界に光が差し込むようなイメージで言っているんですけど」

 
末井昭(すえい・あきら)

 1948年、岡山県生まれ。編集者。エッセイスト。工員、キャバレーの看板書き、イラストレーターなどを経て、75年から編集者に。「ウイークエンドスーパー」「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」など、話題の雑誌を次々創刊し、写真家の荒木経惟さんらと一時代を築く。著書に、「芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった」という有名な出だしで始まる半生記『素敵なダイナマイトスキャンダル』(復刊ドットコム)『絶対毎日スエイ日記』(アートン)などがある。バンド「ペーソス」でテナーサックスも担当。

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