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「自殺」を出版した末井昭さん(1)母がダイナマイト心中

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 「ウイークエンドスーパー」「写真時代」など度肝を抜く雑誌を次々に創刊した伝説的編集者、末井昭さん(65)。母親がダイナマイトで心中したことでも知られる。自殺について自身の体験やインタビューを基にした「自殺」(朝日出版社)を出版した末井さんに話を聞いた。(岩永直子)

末井昭(すえい・あきら)

 1948年、岡山県生まれ。編集者。エッセイスト。工員、キャバレーの看板書き、イラストレーターなどを経て、75年から編集者に。「ウイークエンドスーパー」「写真時代」「パチンコ必勝ガイド」など、話題の雑誌を次々創刊し、写真家の荒木経惟さんらと一時代を築く。著書に、「芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった」という有名な出だしで始まる半生記『素敵なダイナマイトスキャンダル』(復刊ドットコム)『絶対毎日スエイ日記』(アートン)などがある。バンド「ペーソス」でテナーサックスも担当。


 ――面白い自殺の本という宣伝文句が驚きです。自殺というと深刻に、まじめに考えないといけないという意識の人が多いと思うのですが。最初、そのような依頼があった時、ご自身でも違和感を感じられたそうですね。

 「最初は自殺と面白いが結びつかなくて、自分では書けないなと思っていたんです。それに、自殺について書くことは決して楽しいことではないし。そうしたら、担当編集者の鈴木さんが、色々な自殺の統計資料を持ってくるんですよ。そういう要素も入れないといけないと思うと、ますます書けないなと思っていたんです。僕は統計的なことに興味がなかったですから」

 「書こうと思ったのは、東日本大震災がきっかけですね。テレビで被災者の実情を見るたびに、だんだん自分も何かしないといけないと思うようになったんです。何か、人の心に届くようなことがしたくなって、それで自分に与えられている、自殺についてブログで書くということに取り組んでみようと思うようになったんです。とりあえず、連載の第1回は震災の日の自分のことを書いてみようかなと思ったんですけども」


 ――東日本大震災で死者2万人という大きな数字を聞いてもそれほど何も思われなかったが、テレビで個々の被災者の様子を見て胸に迫ったと書かれています。

 「2万人と聞いて、ただ驚くだけでね。個々のことがわからないから。でもテレビで被災者の人たちを見ると、みなさん本当に謙虚なんです。(まき)ストーブを入れてもらって暖かいですとか、ありがとうございますとか。それを見ていたら、涙ぐんでいましたね」

 「自殺に関しても、自殺者3万人とか数字で言われても、ああそうなんだと思うだけでピンとこない感じだったんです。だけど、自分が知ってる人が自殺したりすると色々考えますよね。自殺者3万人というと、3万通りのそれぞれの事情があるわけですよ」


自分の体験した「自殺」を書く

 ――ご自分のことを書こうと思ったのはどうしてですか。

 「僕は体験したことしか書けないから。自分の体験を振り返ってみると、知人で自殺した人もいるし、自殺未遂した人もいる。僕も3億円の借金のこととかうつだとか、色々せっぱ詰まった状態になったことが何度かあったんで、そういうことだったら書けるかもしれないと思って、書き始めたんです」

 「僕は自殺しようと思ったことは一度もないんですけど、自殺の入り口に立ったことは何度もある。借金を競馬で返そうなんて本気で思ったりしていたので、そういう経験を面白く書けば、笑ってもらえるかもしれないと。自殺を考えている人は、悩みを外に出せなくて自分の中で堂々巡りしてるわけですよね。そうするとますます悩みが深まってしまう。それを自殺スパイラルって言ってるんですけど、笑うってことは自殺スパイラルから抜け出せるのではないかとも思ったんです」


 ――自分の体験しか書けないという思いが最初からあったにせよ、やはりご自分も数字や統計を見たのでは心を揺さぶられなかったから、ご自分の経験や身近な人のことを書こうと思ったわけですか?

 「ああ、それは考えていなかったけれど、言われてみればそうかもしれないですね」


 ――だから数字よりかは、身近な人がどういう思いで、ということに興味があると。

 「そうですね。僕は数字的なことより、個々の心の中のことに興味があると思うんです。全体として数が減ることに越したことはないけれど、でも、そこに僕は関与できない」


 ――でも、身近な人とか目の前にいる人とか、自分のこととかには関与できる。そしてそのことの方がむしろ、書いても人の心に届くと。

 「そうですね。読んでくれる人も、僕が勝手に想像して、その人に話しかけるみたいな気持ちで書いたんです」


 ――他人が自分の自殺や身内の自殺について語る言葉はどうでしたか? 両親が心中した着物コーディネーターの青木麓さんや、アルコール依存症になり自殺未遂を繰り返した月乃光司さんにインタビューされていますね。それまで他人だったわけですが、個々の経験を具体的に聞くと、やはり違いましたか?

 「青木麓さんとはその後、僕が結婚の保証人になったりして親戚になったような感じですね。青木さんは以前は自殺を考えていたみたいですけど、いまは食べることに興味があるって言うので安心してます。食べることに興味があることは、生きるってことにつながりますから」

 「それから、月乃光司さんが主宰している『ストップ自殺!』というイベントに出させてもらったりしました。月乃さんも、イベントで自分の自殺未遂体験を語って笑ってもらうということをやっているので、僕が自殺について面白く書くことと似ているように思いました」

 「秋田大学法医学教室教授だった吉岡尚文さんにもインタビューしたんですけど、最初、担当編集者の鈴木さんから、吉岡さんが作った『秋田県の憂鬱(ゆううつ)』という論文のような冊子を見せてもらったときは、それが統計的な内容だったんで興味を持たなかったんです。けど、『秋田県の憂鬱』という言葉がずっと頭に残っていて。それで自殺率ワースト1の秋田に行ってみたくなって。でも、町を歩いただけでは何もわからないので、吉岡さんにお話を聞くことになったんですけど、法医学の立場から面白い話を聞かせてもらって良かったと思っています」


母様のダイナマイト心中

 ――ご自身の経験としては、どうしてもお母様のダイナマイト心中が重要ですけれども(※末井さんの母親は、末井さんが小学1年生の頃、隣家の男性とダイナマイトで心中している)。「母親、怒っているんじゃないかなと思いますね。ダイナマイト心中の話ばっかり何度も書いていますし」


 ――幼い頃の出来事でしたが、お母様の自殺直後は虚無感とか孤立感があったと書かれていますが、今振り返るとその後の人格形成にどのような影響があったのでしょう?

 「田舎なんで、自殺者が出ると、差別というか、ちょっと奇異な目で見られますよね。しかも不倫心中ですから。白い目というか、腫れ物に触るというような感じですよ。小学校1年生ぐらいからずっとそういう目で見られていましたから、そういうのは結構自分の性格とかに影響しているかなと思ったりしますね。だからいまだに『世間』のようなものが怖いというか、嫌いなんですね」


 ――純粋にお母さんが亡くなって寂しい、というよりは。、お母様は結核でほとんど一緒に過ごせなかったそうですが。

 「そうです。病院に入院していたし、ほとんど接触がなかったんです。母親が亡くなって、寂しいというのは心のどこかにあったんでしょうけれども」


 ――どちらかというと世間の白い目に孤立させられるという。

 「そうですね。自分の中でそういう意識を持ったのかもしれないですね。そういうヘンに見られているという自意識があって、自意識が強くなったのもその影響かもしれないですね」


 ――ずいぶん長いことお母様の自殺については話せなかったと。話すとその場が暗くなっちゃうからと書かれていますが、それだけですか? 話せなかった理由は。

 「デザイン会社で働き出してからは話したことはありましたが、なんかやはり言っちゃいけないという感覚がありました。言うと自分が閉め出される、はね飛ばされると。言っても良くはならないという気持ちがありましたね。たとえば工場に勤めていたときなんか、同僚に実は…みたいな話をしても、なんかそれで仲良くなれるというより、逆にこいつとつきあわない方がいいんじゃないかと思われるような。そっちの意識の方が強かったですね」


 ――心の中では孤立したり、虚無感を抱えてらしたけど、表向きは工場でも明るく振る舞ったりしていらしたんですね。

 「明るかったですね。裏表あるんですよ、僕は。二重人格みたいに。学校でもそうだったんですよね。小学校の時も、なんか努めて明るくふるまって、成績も良かったので学級委員長のようなこともやらされたりしていて、わりと明るく振る舞うという感じだったんですよね。でもたいてい一人で、学校終わると一人で山に登ったりしていましたけどね。学校以外は一人でいることが多かったですね」


 ――暗いことはもちろん悪いことではないですが、やはり世間の目を意識したんですか?

 「ていうかね、暗くいられないんですよね。暗くいると、自殺のことを話すのと同じように、人からまた注目されちゃうから。あいつはなんで暗いんだ、ヘンなやつだということで注目されますからね。みんなに溶け込みたかったんだと思いますけれども」


心中は「売り物」か

 ――それで長いこと話せずにいて、でもデザイン関係の人に話した時に「それが末井君の売り物なんだね」と言われたと。きつい言葉ですね。

「営業の人なんですけども。デザイナー、営業という関係で一緒に仕事をすることもあって、後楽園遊園地の仕事とかをしていたんです。その人は僕の話をまじめに聞いてくれたので、わけのわからないデザイン論とかよく話していたんですよ。この人なら母親のことを言ってもいいかなという感じがあって、話したんですよね。最初はまじめに聞いてくれたんですが、一緒に喫茶店に入るたびにその話をしていたら、『それが末井君の売り物なんだね』と言われて。すごいショックでしたよ。裏切られたような、バカにされたような気持ちになって、すごく恥ずかしくなって。自分では売り物という意識はまったくなかったんで、ああそうなんだみたいな感じで、それからまた口を閉ざす感じになったんですね」


 ――怒りじゃなくて恥ずかしさ?

 「売り物にしてると思われたから、すごく恥ずかしかったですね」


 ――なんて無神経なこと言うんだ、じゃないんですね。

 「そう」


 ――で、しばらく人に話せなかったわけですが、ゲージツ家のクマさんこと篠原勝之さんに話したと。

 「その間にもう一人デザイナーの人がいて。僕がキャバレーに行くきっかけを作ってくれた、ハワイチェーンというキャバレーに勤めていた人がいたんですけれども。その人とはすごく仲が良くて、母親の話も含めていろんな話をして。表現とはなんなのだというようなこともよく話していて。自殺を強調したわけじゃなくて、もっとトータル的に、デザイン論、表現論のようなことを話すうちに、そういう前歴があるということは話していました。仲が良かったし、そのことも受け入れてくれたんで」


 ――やはり受け入れてもらわなくてはいけないような話なんですね。

 「うーん。話すとき警戒していたと思いますね、相手を見て。場が暗くなると自分の居場所がなくなるような気がして。でも、そのデザイナーの人は暗い人で、暗い話は平気だったんです。母親の話だけじゃなくて、お互い暗い話をしていたんです。クマさんに話した時の反応とは全然違いますよ」


 ――で、クマさんに話した時に、すごいじゃないかと笑ってくれた。

 「おーすごいなー末井はー、ってね」


 ――そこで初めてご本人としては吹っ切れた。

 「まあ、次の日から変わったというわけじゃないんで、グラデーションはあると思うんですけども、振り返るとそれはすごく大きなことでしたね。今度クマさんとトークショー(※既に終了)をするんですが、クマさんに会う以前と、ポストクマさんとでは、自分はどう変わったかということを話そうかなと思ってるんです。それ以来、平気で言えるようになったというか、売り物にしてなぜ悪いと思えるようになったんですね。たぶん、編集・出版という仕事に関わっていたからじゃないかと思うんですけども。まだ工場労働者だったら、クマさんにそういう風に言われても、工場に戻ってみんなに言えたかどうかはわからない。編集・出版に関わっていたから、そのことを表現することができるようになったんだと思いますけども」


 ――クマさんからそう言われた時はどういう気持ちになったんですか?

 「(うれ)しかったですね、ウケたと思って。クマさんは状況劇場とかに関わっていて、ポスターなんか作っていたので、デザイナーとしてあこがれの人だったから、そういう人に褒められると言ったらヘンだけど、すごいなって言われたから、嬉しかったということはありますよね」


 ――もうこれはしゃべってもいいんだと。

 「まあ、それでも話す人は選んでいたと思いますけど。誰彼構わず話したわけじゃないですよ。初の著書の『素敵なダイナマイトスキャンダル』という自分の半生記を書いた本では、いきなりダイナマイト心中のことから書き始めているんですけれども、その前に文章で書いたことはないんじゃないかな」

 

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