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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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抗がん剤、「使うか使わないか」にこだわるな

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 「なかなか効く抗がん剤に出会えません。次の抗がん剤はどれにしたらいいのでしょうか?」

 乳がんで抗がん剤治療中のWさん(64)は、セカンドオピニオンを求めて、私の診察室に来られました。


進行がんのWさん 「次の抗がん剤は?」

 Wさんは、17年前に乳がんの手術と、術後の抗がん剤治療を受けたあと、特に問題なく過ごしていましたが、1年半前に、リンパ節転移が見つかってから、状況が一変します。

 2回目の手術を受けたあと、2種類の抗がん剤治療を受けましたが、その直後に、皮膚と肝臓への転移がみつかりました。その後、4種類の抗がん剤を使ってきましたが、どれも、はっきりした効果はなく、皮膚転移は悪化し、腕のむくみや痛みも出てきて、日常生活もままならない状態になってしまいました。

 今使っている抗がん剤も、副作用がきついだけで、実感できる効果はなく、皮膚転移に伴う症状はさらに悪化しています。担当医からは、「今回の抗がん剤も効いていないので、別の抗がん剤に切り替えましょう」と言われたそうです。

 抗がん剤の種類はたくさんあり、すでに7種類の抗がん剤治療を受けているWさんにも、「使える抗がん剤」はまだあります。

 「乳がんで承認されている抗がん剤で、まだ使っていないものとして、AとBとCがあります。臨床試験では、こういった効果が示されていて、副作用としては、こんなものがあります」なんていう説明をするのは、専門医にとっては、難しいことではありません。丁寧に時間をかけて説明したあとで、「次に使うなら、Aでしょう」という結論を告げれば、それで、冒頭の質問への回答はしたことになります。

 でも、そんなセカンドオピニオンであれば、インターネットで情報を集めるのと、さして変わりません。実際、Wさんは、そういった情報を、すでによく知っていました。Wさんが本当に求めていたのは、そんな、ありきたりの情報ではなかったということです。


「使えるから使う」のでなく、「目的があるから使う」

 「使える抗がん剤があるのだから、順番に使っていけばいい」というアドバイスは、患者さんの希望に沿っているように見えますが、あまり適切とは言えません。

 そもそも、抗がん剤というのは、「使えるから使う」ものではなく、「目的があるから使う」ものです。治療目標も考えずに、抗がん剤の選択肢を並べて、順番に選んでいくというのは、本末転倒なのです。

 これまで、担当医とは、抗がん剤の選択肢のことしか話したことがなかったというWさんですが、私の診察室では、いろんなことを語ってくれました。


 「家事がほとんどできなくなっちゃったけど、主人や子供たちが、分担してやってくれて、本当に、家族に支えられているんです。いつも、『ありがとう』って言っています」

 「皮膚転移や腕のむくみはひどくなる一方だけど、それ以外は元気だし、いつもにこやかに過ごしているので、周りの人たちからは、『お元気そうね』って言われるんですよ」

 「この病気になってからの方が、人生が充実している気がします。銀杏いちょう並木を見て、『きれいだな』と、しみじみ感じたり、美術館に行って、1枚の絵に今までよりも感動していたり、ものの見え方が違っています」

 「死んでも魂が残ると思えば、死ぬこと自体はそんなに怖くないけど、まだやりたいこともあるし、もっと楽しみたいから、死ぬのはもう少し先であってほしい。もう少し普通の生活ができるように、皮膚や腕の症状を、なんとかやわらげてほしい」


 Wさんの目標は、「今ある症状を軽くして、家族とともに普通の生活を送りたい」というものでした。

 これまで使った抗がん剤は、この目標に近づくというよりは、むしろ、目標に逆行するものでした。次に使う抗がん剤で、この目標に近づける可能性が高いのであれば、それを試みる意義がありますが、これまでの経過などを考えると、目標に逆行してしまう可能性の方が高そうです。

 そのことは、Wさん自身もよく理解されていました。

 私は、抗がん剤はやらないことにして、今までよりも積極的に緩和ケアを受けることを勧めました。


治療目標のために、抗がん剤をやめる

 「そうですね。抗がん剤はやめてみようと思います」

 Wさんは、晴れたような笑顔で、そうおっしゃいました。

 Wさんは、抗がん剤をやるかどうか悩むのをやめたということであって、けっして、何かをあきらめたわけでも、治療に消極的になったわけでもありません。むしろ、「がんとうまく長くつきあう」という目標に向かって、より積極的に進むことを決めたのです。

 そんなWさんを支えるために、医療がすべきことは山ほどあります。症状を緩和するために、いろんな知恵や技術を集めて、適切な治療(緩和ケア)を行っていくのが、医療の大切な役割です。

 抗がん剤を使わなくなったり、使える抗がん剤がなくなったりすると、「もう治療法がありません」と言い放ってしまう医師もいるようですが、それは間違いです。抗がん剤を使っていようがいまいが、そんなことは関係なく、困っている患者さんを癒やすのが医療の本質であり、「もう治療法がない」なんてことは、けっしてないのです。

 それでも、世の中では、いまだに、「抗がん剤をやるかどうか」に焦点が当てられています。

 人生の目標を考え、がんという病気といかに向き合うかを考える中で、抗がん剤を使うかどうかという問題は、小さな一部分にすぎないのですが、そうやって問題をわい小化することで、人々は、思考を停止させてしまっているのかもしれません。

 近藤誠さんの「がん放置療法」が注目を集め、「抗がん剤論争」が世間をにぎわせているのも、その一方で、「とにかく使える抗がん剤をすべて使ってほしい」と言う患者さんが増えているのも、そういう背景があるからなのだという気がします。

 「使える抗がん剤」にこだわる患者さんの中には、抗がん剤を、トランプのカードに例える人もいます。

 手持ちのカードが何枚かあって、抗がん剤を使うたびに、それが1枚ずつ減っていく感じがするというのです。抗がん剤が効かなくなって、次の抗がん剤に切り替えるとき、こう思うそうです。


 「また、カードが1枚減った。残りは〇枚で、これがゼロになったら、ゲームは終わり、自分の寿命もそこで尽きる」


 抗がん剤がすべてだと思い詰めると、こうなってしまうのでしょう。


 「抗がん剤で運命が左右されるわけではありません。落ち着いて、治療目標を考え、適切な治療法を選びましょう。『緩和ケア』というカードは無限にありますよ」


 私は、こんな風に説明しますが、しみついたイメージを変えるのは容易ではありません。


使える薬を増やせば、「がん難民」は救われる?

 「使える抗がん剤」を求める患者さんの声に呼応するように、世の中には、「使える抗がん剤を増やすべきだ」という論調が広まっています。手持ちのカードが多ければ多いほど、患者さんは安心できるし、幸せになれる、という考え方です。

 手持ちのカードが尽きて、それでも、「抗がん剤を使ってほしい」と切望する患者さんもいて、そういう患者さんのことは、「がん難民」と呼ばれます。そんな「がん難民」を救うためにも、「使える抗がん剤を増やすべきだ」という主張がなされます。


 「今は、使える薬が少ないのが問題である。新薬を開発して、どんどん使えるようにしなければいけない」

 「欧米と比べて、新薬の承認が遅い『ドラッグラグ』が、根本的な問題であり、これをなんとか解決しなければいけない」


 私自身、新薬開発に携わっていますので、新薬開発をさらに促進し、ドラッグラグを解消することの重要性は理解しているのですが、これさえ実現すれば、「がん難民」問題も解消するかのような考え方は、正しくないと思っています。

 2006年の正月、NHKで、「日本のがん医療を問う」という番組が放送されました。スタジオには、患者さんや医師などが集められ、私もその中の一人だったのですが、この番組中、VTRで登場した医師の言葉に、私は引っかかりました。

 その医師は、「もう治療法がない」と言われてやってきた進行がんの患者さんを前にして、このようなことを言っていました。


 「確かに、日本で保険適応となっている治療法はもうないのですが、自己輸入とか、いろんな方法を使えば、使える薬はあと3つあるんです。使える薬があるうちは、まだ、あなたにも希望があるということです」


 この言葉に喜ぶ患者さんの姿が流れ、「がん難民を救う救世主がいた」というイメージで、編集がされていたのですが、私は、強い違和感を覚えました。

 「使える薬があるうちは希望がある」というのは、「使える薬がなくなったら絶望だ」と言っているのと同じことです。

 「もう治療法がない」と言い放って、患者さんを絶望に追いやる医師も問題ですが、この医師は、「まだ治療法がある」と言って、「見せかけの希望」を与え、ただ、絶望を先送りにしているだけであり、問題の本質はなんら変わっていません。治療中は、絶望を直視しないですんでも、その先には、もっと深い絶望が待っているのかもしれません。

 「抗がん剤を使えるうちは希望があり、抗がん剤がなくなったら絶望である」というイメージから抜け出ることが重要なのに、この医師は、そのイメージをより強く植え付けているわけです。

 「がん難民の救世主」どころか、私には、こういう医師や、こういう医師を好んで取り上げるマスメディアこそが、「がん難民」を生み出しているように思えます。


「使える抗がん剤」より「本当の希望」を

 ドラッグラグを解消するのは重要なことですが、それでは、「がん難民」の根本的な問題は解決しません。なぜなら、「がん難民」が本当に求めているのは、「使える抗がん剤」ではなく、真の「希望」であり、「安心」であり、「幸福」であるからです。

 では、「がん難民」を救うためには、どうしたらよいのでしょうか?

 溺れていると思い込み、わらにすがろうとする「がん難民」に対して、「わら」という「見せかけの希望」を手渡すのではなく、「けっして溺れているわけではない」と知ってもらった上で、大海原に広がる、「本当の希望」に気づいてもらうことが重要なのだと、私は思います。

 「本当の希望」が何なのかは、皆さん一人ひとりで考えてもらうしかないのですが、「家族や友人、そして、医療者は、あなたをサポートするために、いつもそばにいる」ということは、知っておいていただきたいと思います。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)
腫瘍内科医。東京生まれの神奈川育ち。1998年東京大学医学部卒。2010年より虎の門病院臨床腫瘍科部長。国立がん研究センター中央病院、東京共済病院などで、抗がん剤治療を専門に手がけてきた。がん薬物療法専門医会代表も務める。

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