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石井苗子の健康術

yomiDr.記事アーカイブ

「忠臣蔵」の悲劇…原因は心の病?

(「仇討ち」に感動する日本人の判官びいき)

 世界に共通するとはいえないでしょうが、人を感動させる共通点はあります。「悲劇」であることです。そこに「愛」とか「団結」といった要素が加わると、感動に加えて、「ひいき」という気持ちまで作り出す。

 毎年12月になると話題になる「忠臣蔵」は、史実なので「元禄赤穂事件」と呼ぶのが正確なのだそうですが、実は私、この人気に気味悪さを感じるのです。

 当時もし生きていて同じことを言ったらさぞ嫌われたでしょうし、今でもマイナーな感想だといわれるのですが、1年9か月もってから殺された吉良よしひさ上野こうずけのすけ)の恐怖を、人ごとではないぐらいゾッと感じてしまうのです。

 たしかに、「梶川与惣兵衛かじかわよそべえ日記(梶川日記)」によれば、殿中で斬りかかった時、浅野長矩ながのり内匠頭たくみのかみ)は「遺恨がある」という言葉を残していますから、何か思うところがあったのでしょう。

 一方、「いじめ」の権化のように脚色されている吉良は、「老人ゆえ、何も覚えがない」、つまり「イジメの自覚はない」といった言葉が記録にあります。

 他にも、浅野長矩は現代でいう心療内科的な持病があったとも記されていますが、これは誰も証明することができません。彼が短気であったゆえに起こったとされる史実は残されていますが、そこから刃傷にんじょう事件の発端を憶測するのはあまりにも早急な判断だと思います。

 私の中には、悪役が吉良上野介、ひいき対象は浅野長矩、ヒーローは赤穂藩国家老・大石良雄( 内蔵くらのすけ)と討ち入りに参加した元・赤穂藩士たちという構造は、群集心理的な「判官ほうがんびいき」という気持ちが作り上げたものだと思うのです。

 この構造には現代に通じるものを感じています。「いじめ」に耐え続けてきたが、キレてしまって殺人行為に至るのは、殿中で刀を抜いてはいけないというルールまで破ってしまうほど自制がきかなくなってしまうのに似ています。それが本人の問題だったのか、「いじめ」が引き金だったのかはよく分かりませんが、その後、浅野長矩には「切腹」を言い渡され、赤穂城も開け渡しとなったのに対して、吉良家に「おとがめ」がなかった。ここらへんが人々の判官びいきになっていく入り口になったのでしょう。

 権力が「弱い者いじめ」をしたと庶民が感じるとき、反感がすごいパワーを持ち始めるものです。のちにあだち」と呼ばれる復しゅうにでさえ、喝采を送るまでの市民感情を作り出していきます。

 大石良雄は長い間、藩主世子の浅野大学長広を立て、お家再興を願い続けていました。内心で復讐を描き続けてきたかもしれませんが、再興の願いが聞き入れられなかったときに、これまでのがまんがまた新たな感情を湧きおこし、命日に当たる元禄15年12月14日に事件を決行します。

 彼らの「仇討ち」と呼ばれる行為は、吉良家の人々にとって、ストーカー行為とどこが異なるのでしょうか。

 この辺を研究している人を私は知りませんが、以下の点についても、私は事件を美化することができません。赤穂藩浅野家に武士は300人以上いたのだそうです、その内の47人だけが起こした「元禄赤穂事件」です。80%以上が参加しなかった。多くの武士が事を起こさない方が無難だと思ったからでしょう。ところが、幕末まで不参加者は庶民から厳しい批判の対象になりました。上記の資料にもバッシング対象とされて自害までした人がいたと書いてあり、恐ろしく思いました。

 私は、首謀格の大石が実行まで2年もかかった理由は、参加しない人を増やそうとしたのではないかと思うのです。できるだけ「仇討ち」にかかわる人間を少なくしたかったのではないかと。主君の無念を晴らすといいますが、顔を見たことも声を聞いたこともなかった主君に対して、一時の感情は仕方ないとしても無念の気持ちを維持していられるかと言えば疑問を感じます。脱落していく者や、精神的に不安定になって行く者も多かったのではないか。そういう人たちを大石は認める時間を作っていたと思います。

 1年9か月も待っての「殺人行為」は、私には異常に思えます。もっと恐ろしいことは、もしかしたら自分もそういった「執着した怒り」の感情を持っているのではないかということです。冷静になれば「無駄なことを」と思いますが、引くに引けなくなっていく人の気持ちというのも理解できます。時間が過ぎるに従って、「ま、いいか」と思っていたことがだんだん悔しくなってきたという感情もあります。大石はもしかしたら、刃傷事件とは別の感情を持って討ち入りの計画を立てたのかもしれません。

 そういった自分の奥底にも潜んでいるかもしれない「怒り」の感情を感じてしまうと、「忠臣蔵」の人気がちょっと薄気味悪く思えてくるのです。楽しんで観ている人間の残酷性のようなものを感じる。11月、12月の歌舞伎座の演目は2か月続けて「忠臣蔵」です。満員御礼の日もあって興行的にはうれしいニュースですが、なんだか気味が悪いな~と劇場前の大勢の人をよけながら歩いて通り過ぎる日があります。

石井苗子さん顔87

石井苗子(いしい・みつこ)

誕生日: 1954年2月25日

出身地: 東京都

職業:女優・ヘルスケアカウンセラー

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17件 のコメント

私も同意見です

ねじまきどり

私も元禄赤穂事件を美化することには恐ろしさを感じます。吉良が浅野をいじめていたのかどうかは分かりませんが、たとえそれが事実であっても斬りかかり殺...

私も元禄赤穂事件を美化することには恐ろしさを感じます。
吉良が浅野をいじめていたのかどうかは分かりませんが、たとえそれが事実であっても斬りかかり殺害しようとしたことは許されることではありません。
現代でもストーカー事件といわれるものの中には恨みによる事件もあるわけですが恨みがあるからと言って殺人を認める人は少ないでしょう。
ストーカー事件を起こした犯人側の人間が、恨み(たとえば不倫や詐欺)があったのだから一方的な処罰はおかしいと、被害者側の人間や家族を襲ったらどうなるでしょう。
元禄赤穂事件はまさにそのような事件だと言えます。
江戸時代当時は考え方や価値観が違ったでしょうから民衆に受けたのかも知れませんが、現代を生きる人々までが賞賛するのは非常に危険な思想だと思います。
たとえ殺人を犯しても恨みがあれば問題ないということになります。
いじめられたから殺すのが受け入れられる・・・
忠臣蔵を物語だからとか現代では起こりえないとか言う人々はきっとそれを受け入れる人なのでしょう。

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記憶を使った政治

じぞう

英語では歴史(history)のことを記憶の政治(memory politics)と呼ぶことがあるらしい。過去の事実というのは、ほとんどと言って...

英語では歴史(history)のことを記憶の政治(memory politics)と呼ぶことがあるらしい。

過去の事実というのは、ほとんどと言っていいほど断片的である。
「事実を書き残した」のだとしても、それは「当人が書き残したいと思ったことだけを書き残した」のであり、その時点で残さなくてよいものが切り捨てられている。
さらに言えば、人間の記憶などいい加減なもの。本人は事実だと認識していても記憶違いかもしれない。
あるいは書き残したものに全く脚色がなかったのかどうかも疑問だ。
そう考えると、いくら情報を集めて事実については断片的な情報しか集まらず、裁判で使えるような「客観的な事実」「疑いようのない事実」など出てくるはずはない。
全ては断片的な(しかも真偽が不確かな)情報からの憶測に過ぎない。

「メディア・リテラシー」でも言われているように、ニュースなどは「編集」された時点で既にバイアスがかかってしまっているものだ。
「歴史」も人間が編集したのであれば、編集された時点で何らかのバイアスがかかる。

要するに歴史あるいは「歴史的な事実」というのは、特定の集団が「そういう記憶を共有したいと考えていること」の最大公約数なのだ。
「聖徳太子の像」が本物であっても偽者であっても、日本人だと自覚している人の間で同じイメージが共有されていて、「同じ話題で盛り上がることができる」ことが歴史の意義なのだ。
したがって「正しい歴史」なんてものはなく、「みんなが正しいと思っている」のかどうかで歴史は形作られる。

誰かが作り上げたイメージをみんなで共有するのが「歴史」なのだ。
各国の政府もこれを上手に利用することがある。

私は忠臣蔵は「間違った熱狂」だと思いますが、これも断片からの推測ですね。

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色々な見方があります

ポメ

色々な見解あってのものです。>吉良は、「老人ゆえ、何も覚えがない」・・これは吉良がボチボチ老人性の痴ほう症の発症があったのではないか?とも考えら...

色々な見解あってのものです。

>吉良は、「老人ゆえ、何も覚えがない」

・・これは吉良がボチボチ老人性の痴ほう症の発症があったのではないか?とも考えられるわけです・・いかがでしょうか? そのような権力のある老人は老人は好き嫌いがはっきり出てかなりひどいことも言い放題になりますね。介護を済む身になると身に染みると思います。

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