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がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~・コラム

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「抗がん剤は効かない」のか?

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 引き続き、近藤誠さんの、「抗がん剤は効かない」という主張について考えます。

(1)「抗がん剤は絶対ダメ」というのは思考停止では?
(2)これって「エビデンスに基づく医療(EBM)」?
(3)刺激の強い言葉で患者さんの不安をあおっているだけ?
(4)そもそも、「抗がん剤が効く」ってどういうこと?

 という疑問のうち、最後の(4)の話です。


医者同士の「抗がん剤論争」

 文藝春秋2011年1月号に、「抗がん剤は効かない」という近藤さんの文章が載ったあと、週刊文春2011年1月20日号には、「『抗がん剤は効かない』は本当か」という反論記事が載りました。書いたのは、勝俣範之さんと上野直人さん。お二人とも、私の尊敬する腫瘍内科医です。反論記事では、近藤さんの取り上げたエビデンスについて、どこまでが正しくて、どこからが偽装や誤解なのかを、丁寧に検証しています。その後、近藤さんの再反論もあり、さらに多くの人々を巻き込んで、「抗がん剤論争」は続いています。

 この論争は、EBMのルールに沿って判断すれば、勝俣さんと上野さんの方に軍配が上がるのですが、EBMのルールが浸透していない世の中にあっては、むしろ、「ズバッ」と断言する近藤さんの主張の方が、読者の支持を得ているようです。

 腫瘍内科医が、いくらエビデンスを正しく伝えようとしても、エビデンスを共通言語とする文化がなければ、そのメッセージは、読者の心には、なかなか響きません。

 ただ、近藤さんのメッセージも、読者の心に響いているかと言うと、必ずしもそうではない気がします。「なんとなく抗がん剤はイヤだなぁ」と思っている人の心をつかんで、思考を停止させてしまっているか、病気や治療と向き合っている患者さんの心を乱しているだけのようにも見えます。

 そもそも、医者同士が、医者の視点だけで、「抗がん剤は効かない」とか、「いや、抗がん剤はちゃんと効く」とか、そういうことを喧々囂々けんけんごうごうと言い争っていても、あまり、意味がありません。医療現場で、「抗がん剤が効くかどうか」を実感するのは、医者ではなく、患者さんであり、その「効果」は、患者さんの価値観によって左右されるからです。


患者の価値観によって変わる「効果」

 「抗がん剤が効く」というのには、2つのレベルがあります。

 一つは、「エビデンスとして示される、客観的な効果」であり、もう一つは、「一人ひとりが実感する、主観的な効果」です。

 前者は、「臨床試験の結果、ある条件を満たす患者さんの集団において、ある抗がん剤による延命効果が証明された」というように語られるもので、社会全体の利益の平均値が最も大きくなる、「最大多数の最大幸福」を目指しています。

 後者は、一人ひとりの価値観に基づき、「その人なりの幸福」を目指すもので、その方向性は、一人ひとり違います。

 EBMは、前者の考え方(「客観的な効果」)を追求するものだと誤解されがちですが、EBMの提唱者であるデビット・サケット氏は、EBMにおいては、「エビデンス」だけでなく、「患者さんの価値観」も重視すべきであると強調しています。一人ひとりの患者さんが直面する疑問点からスタートし、「エビデンス」と「患者さんの価値観」に基づいてその解決策を探るのが、本当のEBMなのです。

 エビデンスを正しく理解することの重要性は、この連載でも、繰り返し述べてきましたが、エビデンスは、あくまでも、道具(「モノサシ」「共通言語」)であり、それによって価値観をしばられることはありません。自分なりの価値観に照らして、うまく使いこなすべきものが「エビデンス」であり、エビデンスそのものよりも、価値観をしっかり持つことの方が、重要です。

 価値観とは、「これからの人生をどのように生きたいか」という思いであり、医療現場では、「この治療で何を目指すのか」という「治療目標」につながります。

 近藤さんは、エビデンスを「偽装」して、ゆがんだ「モノサシ」を世の中に広めるという、ルール違反をしていますが、もう一つのルール違反は、患者さん一人ひとりの価値観を考慮せず、一律に、近藤さん自身の価値観を押し付けようとしていることです。

 近藤さんの主張に心乱されないようにするためにも、自分なりの価値観と治療目標をきちんと持っておくことが重要でしょう。


「効く」とは「治療目標に近づくこと」

 抗がん剤が効くかどうかを判断する際の指標として、「がんの治癒」、「延命」、「症状の緩和」「がんの縮小」などがあります。臨床試験で、これらの指標が使われていれば、そのデータを、エビデンスとして知ることができますが、それはあくまでも、「モノサシ」にすぎません。治療目標が違えば、当てはめる「モノサシ」も違ってきます。

 患者さんにとって、「抗がん剤が効く」というのは、「治療目標に近づくこと」です。治療目標に照らして、プラスになっていると実感できれば、「効いている」と言えますし、マイナスになっていると感じるのであれば、「効いていない」ということになります。

 治療目標がはっきりしていなければ、「抗がん剤が効くかどうか」を考えることはできませんし、効果を判定することもできません。

 私は、進行がんの患者さんと、治療目標を話し合うとき、よくこう説明します。


 「がんとうまく長くつきあうことを目指しましょう」


 「うまく」というのは、がんの症状や治療の副作用で苦しむのをできるだけ避けて、いい状態を保つことであり、「長く」というのは、できるだけ長く生きることです。つまり、「延命」と「症状の緩和」を念頭に、治療目標を提示しているわけです。

 ただ、「うまく」と「長く」の重みやバランスは、患者さんの価値観によって違いますので、この治療目標を押し付けるのではなく、これをきっかけに、より具体的な目標を考えていただくことが重要だと考えています。

 「命の長さが延びるとしても、脱毛の副作用がある抗がん剤だけはやりたくない」と訴える患者さんがいれば、その思いを最大限尊重しながら、治療方針を話し合います。

 「3か月後の娘の結婚式には、なんとしても出席したい」と訴える患者さんがいれば、その思いをかなえるために最善の治療方針を話し合います。


「どう生きたいか」が大事

 抗がん剤論争では、抗がん剤が、「効く」か「効かない」か、抗がん剤を、「やるべき」か「やるべきでない」か、という議論が、さんざんされてきました。

 でも、この線引きは、あまり本質的ではないと、私は思っています。より重要なのは、「自分がどう生きたいか」という価値観であり、「抗がん剤で何を目指したいのか」という治療目標です。それによって、「効く」の意味も違ってきますし、結果として、抗がん剤治療を受けるという判断になることもあれば、抗がん剤を受けないという判断になることもあるでしょう。

 がんというのは、とても厄介な病気ですが、だからこそ、安易な考えに流されて、思考を停止してしまうのではなく、きちんと向き合い、自分なりに納得できる治療方針を考えるべきなのだと思います。


近藤さん本のタイトル 高野風に修正すると…

 近藤さんの主張をもとに、4回にわたって、がんや治療との向き合い方を考えてきましたが、最後に、刺激の強い近藤さんの本のタイトルを、勝手ながら、私なりに修正させていただき、このテーマを終えたいと思います。

 「患者よ、がんと闘うな」
 → 患者よ、がんとうまく長くつきあいましょう

 「がん放置療法のすすめ」
 → がんとの共存のすすめ

 「抗がん剤は効かない」
 → 抗がん剤論争に惑わされない ~自分の価値観を大切に~

 「医者に殺されない47の心得 ~医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法~」
 → 刺激的な情報も心穏やかに受け止める48の心得 ~医療と薬を自分なりに活用して、元気に、長生きする方法~



 この連載も48回目となりましたので、手前みそながら、「48の心得」とさせていただきました。

 連載は、12月いっぱいで終了の予定ですが、もうしばらくおつきあいください。

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高野先生コラム_顔120

高野利実(たかの・としみ)

 がん研有明病院 院長補佐・乳腺内科部長
 1972年東京生まれ。98年、東京大学医学部卒業。腫瘍内科医を志し、同大附属病院や国立がんセンター中央病院などで経験を積んだ。2005年、東京共済病院に腫瘍内科を開設。08年、帝京大学医学部附属病院腫瘍内科開設に伴い講師として赴任。10年、虎の門病院臨床腫瘍科に部長として赴任し、3つ目の「腫瘍内科」を立ち上げた。この間、様々ながんの診療や臨床研究に取り組むとともに、多くの腫瘍内科医を育成した。20年、がん研有明病院に乳腺内科部長として赴任し、21年には院長補佐となり、新たなチャレンジを続けている。西日本がん研究機構(WJOG)乳腺委員長も務め、乳がんに関する全国規模の臨床試験や医師主導治験に取り組んでいる。著書に、「がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う『HBM』のすすめ―」(きずな出版)や、「気持ちがラクになる がんとの向き合い方」(ビジネス社)がある。

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