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茂木健一郎のILOVE脳

yomiDr.記事アーカイブ

「朝カレーは脳にいい?」の問いに脳科学者は

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 人間の身体というものは、実に複雑なもので、単純に決めつけることができない。科学者として受けるトレーニングの中で、もっとも大切なことの一つは、生命を単純化し過ぎるな、ということかもしれない。あるデータが出たからといって、その解釈については慎重でなければならない。


「好きだから食べる」

 世間には、そのあたりのことが伝わっていないようで、時々、私たち科学者にとっては困った質問を受けることがある。例えば、「朝のカレーは、脳にいいですか?」というような質問。確かに、私はカレーが好きで、朝から食べることも多い。しかし、脳にいいから食べているのではなくて、単に好きなだけである。カレーのスパイスが脳を活性化させるというデータもある。しかし、だからといってすべての食べものの中でカレーが一番脳にいいかどうかはわからないし、また、脳にいいとしても、毎日カレーを食べるのがいいかどうかもわからない。


「勉強は朝がいいの?」

 「勉強をするのは、朝がいいと聞いたのですが、本当ですか?」という質問も困る。確かに、朝起きた後は、眠っている間に側頭連合野の記憶が整理されて、「すっきり」しているから、勉強に適しているともいえる。その一方で、勉強はできる時にする「ベストエフォート」が正しいともいえるし、何よりも、朝勉強しても、集中力の密度と質によって、どれくらいはかどるかは全く異なる。

 生きものというものは、複雑なもので、決してデータを独り歩きさせてはいけない。むしろ、総合的に、いろいろなことを勘案して判断しなければならないのだ。


「23andMe」にサービス提供停止命令!

 そんなことを考えていたら、アメリカからトンデモないニュースが飛び込んできた。このコラムの読者のみなさんは、私が、「23andMe」という遺伝子検査サービスに申し込んで、ぐずぐず、うだうだ延ばしながら、先日、ようやく学会で訪れたサンディエゴのポストから、サンプルを送った(「届け! 私の分身」究極の健康診断に脳は…)、ということをご存じだろう。

 ところが、この程、アメリカで食品や医薬品や医療機器などの行政をつかさどるアメリカ食品医薬品局(Food and Drug Administration, FDA)が、まさにその「23andMe」に対して、サービス提供をやめなさい、という書簡を送った、というではないか!


データの独り歩きで、医療過誤の恐れも

 どういうことか、と思って調べて見ると、どうやら、FDAは、検査の結果が独り歩きして、最悪の場合医療過誤につながることを懸念しているらしい。例えば、遺伝子検査の結果、ある薬が適合しないというデータを知らされた患者が、勝手に薬を飲むのをやめてしまうかもしれない。あるいは、乳がんのリスクが高い、というデータが出た患者さんが、極端な場合乳がんの切除手術をしてしまうかもしれない。

 実際には、薬の処方や、手術などの医療行為は、専門家である医者の判断に基づいて行われる。しかし、確かに、処方された薬を患者が飲まなくなってしまう、というケースはあり得る。このような点を懸念して、FDAは過去に23andMeとの話し合いを続けてきたが、改善が見られないとして、この度の書簡送付に至ったのだという。


どうなる?私の唾液、遺伝子データは

写真1

 一体どうなるのだろう、と思っていたら、28日の朝(日本時間)、23andMeのCEOから、写真1のようなメールが届いていた。「23andMeは、新しいサービスであり、いろいろな問題点もあるが、これからもFDAとの協力関係の下、遺伝子検査を提供して行きたい」という趣旨の文面である。どうやら、今23andMeのラボの中にある私の唾液は、検査される方向のようであるが、今後のFDAとの交渉によっては、私のデータ解析が遅れる、あるいは中止される可能性も出て来た。


宣伝文句に踊らされずに…

 一体、私の遺伝子データはどうなるのか。予断を許さない情勢だが、一方で、今回の件は、さまざまな教訓を含んでいるように思う。

 私は科学者だから、たとえばある病気になるリスクが「普通よりも1.6倍高い」というようなデータが出たとしても、それを「確率」として冷静に受け止めることができるだろう(と思う)。しかし、一般の方はどうか。とりわけ、「~~は脳にいい」というような宣伝文句に踊らされがちな方が、23andMeのような遺伝子検査を受けて、その結果をまに受けたとしたら。そう考えると、FDAの懸念にも、理解できる点がある。

 一方で、23andMeのような、新しいサービスの登場は必然であり、応援して行きたいとも思う。23andMeは、検索大手Googleの出資した会社。今回の件は、安全確実を図りたい行政と、イノベーションに邁進まいしんするIT企業との間の文化の衝突と見ることもできる。今回のようなゴタゴタを経て、私たちの脳と健康情報とのつき合いは、少しずつ進化して行くのではないか。23andMeとFDAが、話し合いを続けて、サービスがより高度なものになることを期待したい。

 それにしても、私の遺伝子データは、いったいどうなるのか。この連載でこの件を書き始めた時は、これほど「波瀾はらん 万丈」の展開になるとは思わなかった。引き続き、この欄で経緯をご報告していくので、ぜひご愛読ください!

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茂木 健一郎(もぎ けんいちろう)
脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。1962年、東京生まれ。東大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。クオリア(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心を研究。最先端の科学知識をテレビや講演活動でわかりやすく解説している。主な著書に「脳の中の人生」(中公新書ラクレ)、「脳とクオリア」(日経サイエンス社)、「脳内現象」(NHK出版)、「ひらめき脳」(新潮社)など。

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